五日目
翌日は快晴。
あれから追手もなく、林を抜けた一行は順調に目的地のほうへと進んでいた。
「ジャックさん、乗馬の練習付き合ってください」
「……もう、一人で乗れるだろう」
「まだちょっと不安なのでお願いします」
移動の休憩中、木陰で腰掛けるジャックのもとへ、クリンは馬をつれてくる。
あの話し合い以降ことさらに冷たくなってしまったジャックに、クリンはとにかく話しかけ、コミュニケーションを試みていた。
御者席で何か話題をふっても、無視まではされないが返ってくる返事はそっけなく、沈黙は増えた。
だが、探り合いと化かし合いの警戒合戦の時よりはマシだと、クリンは前向きに考えていた。
「うわ」
「ほら、すぐ慌てる。馬にも不安が伝わるぞ、落ち着け」
「だって怖いですもん」
馬が突然方向転換しそうになって慌てたところへ、ジャックはクリンの手綱を引いて馬を宥める。
子どものように「だって」「だもん」と言いながら口を尖らせるクリンを見て、ジャックはハァとため息をついた。
なんだかんだ冷たく接しながらも、ジャックの兄貴分気質は板についてしまっているようで、それからも丁寧な乗馬の練習は続いた。
「ジャックさん。隣座っていいですか?」
「……」
「いただきまーす」
今度は昼食タイムだ。
いつもはミサキとマリアと三人で食べていたそれも、クリンは席を外してジャックのもとへ。
うんざりするジャックにおかまいなしに、クリンは隣に座って携帯食料を開ける。
クリンのストレートな作戦は、ジャックにだってバレバレだろう。だがクリンはあえて遠回りな作戦なんて選ばなかった。
とにかくジャックの心をほだし、説得し、氷を溶かしてしまいたい。そのために必要なのは小賢しい駆け引きなどではなく、体当たりの「誠意」だと思った。
「ジャックさん。妹さんの話を聞いてもいいですか」
「断る」
「妹さんとはおいくつ離れてるんですか?」
「断ると言っただろう。やめてくれ」
「……すみません」
携帯用の素っ気ない食事を頬張りながら、クリンはしゅんとなりそうな心に喝を入れて、気合を入れ直した。
「じゃあ僕と弟の話を聞いてください。セナは僕が一歳の時に引き取られてきたんですけど、ランジェストン家にやってきた日を誕生日に設定してるんですよ。これって両親が見つかって誕生日がわかったら、お祝いする日も変わっちゃうんですかね」
「さらっと重たい話をするな……」
「ジャックさんならどうします?」
「どっちも祝えばいいだろう」
「なるほど、それは名案だ」
ごくっと水を飲んで、ジャックとの会話のラリーが続いていることにホッとしながら、クリンはとにかくコミュニケーションを続ける。
「そういえばジャックさんのお誕生日はいつなんですか?」
「俺の話はいい」
「お祝いしたいですんですよ。させてください」
「今年はもう終わった」
「じゃあ来年だ。ちなみに僕の誕生日はあと三週間後なんです」
ジャックのつれない返事をさらっと聞き流しながら、クリンは水の入ったボトルに視線を落とした。
「毎年家族そろってお祝いしてくれるんですけど、僕は誕生日って両親に感謝をする日だと思うんですよね。だから毎年何か親孝行を考えるんです。でも、今年は両親にお礼ができないので、それだけは申し訳ないです」
「手紙を書けばいいだろう」
「そっか……じゃあそうします。ジャックさんは、ご両親にちゃんと会ってますか?」
「……」
「妹さんのこと、ご両親とどんなふうに話していますか?」
怒られることを覚悟で、ずかずかと相手の領域に踏み込んでみた。
さすがにやりすぎかなぁとビクビクしながらも、怒りでもいいから、冷たく固まってしまったジャックの心を動かしたかった。
ジャックは怒らなかった。
だが、次の言葉はさすがに重たい罪悪感をクリンへ与えた。
「両親は十年前に帝国軍に殺されたよ」
「……」
「まあ、妹を虐待するようなひどい親だった。生きていても妹のことを話せるような親ではなかったな」
「……ごめんなさい」
「だからこそ俺だけは妹を守ってやりたかった。どうだ? 人の傷口に塩をぬれて満足か」
「本当に……ごめんなさい」
何度謝ってもこの罪悪感が拭われることはないだろう。
ただ彼を説得したかっただけなのに、逆に彼の深い孤独を思い知らされてしまっただけだった。しかも彼の傷口を広げるという最悪の形で。
うつむいてしまったクリンを横目に、ジャックは言った。
「無意味だろう、こんな会話。互いに疲れるだけだ」
「……それでも、僕はジャックさんと話がしたいです」
「俺はもっと君が苦手になりそうだよ」
「僕は好きですよ。ジャックさんみたいな兄が欲しかった」
「ごめんだな、こんな性格の悪い弟」
ジャックは早々に食事を切り上げて、クリンのそばを離れた。
クリンは追えなかった。
彼の背中に見えない壁を感じて、その拒絶の強さに心がぺしゃんこになってしまいそうだったから。
それでも、あきらめたくはない。
クリンは折れてしまいそうな心をなんとか立て直して、最後の一口を飲み込んだ。