四日目3
しばらく駆け抜けると街道が二つに別れたため、ジャックはメインの街道とは別の細い街道を選んだ。それは林の中へとつながっており、左右に広がる大小それぞれの沼が目に止まった。
一行はそこで休憩をとることにした。追手はなさそうだし、ここなら人目もごまかせるだろう。
馬の手綱を樹にくくりつけるジャックのもとへ、クリンがマリアを連れてくる。馬車をおりたミサキも、近づきこそしなかったが遠くから見守っているようだ。
「ジャックさん、怪我をしましたよね」
「ああ、たいしたことはない」
「ダメです。マリア、頼む」
「うん」
ジャックの左腕に怪我を見つけ、マリアはすぐに治癒術をかけた。それを素直に受け入れるジャックを、クリンは黙って見ていた。
「何か言いたそうだな」
「……」
『ジャックさんが無事で良かった』
そう思いながらも、クリンは言葉を飲み込んだ。『守ってくれてありがとう』も、違うと思う。たしかにあの時は、彼の強さが心強いと思ったし、一瞬だけ味方になってもらえたような錯覚を覚えたのも本当だ。
だが彼は言うだろう、ミランシャ皇女を奪われたくなかっただけだと。だから、そんな仲間みたいな言葉は言ってはいけない。
「僕は、剣が嫌いなんです」
「……」
ジャックは怪訝そうに眉をひそめた。
「僕は、人の命を奪う武器が嫌いです。命を軽んじる人間も大嫌いです」
「……」
「だから僕は、命をかけずに解決する方法を、いつも探しています」
「俺が戦ったのが気に入らないのか? だがそれは詭弁だな。相手が剣を振るってくるなら、生きるためにこちらも振るうしかないだろう。弟くんだっていつもそうしているじゃないか」
「違いますよ。そんなことが言いたいんじゃない。あれはしかたのない戦いでした。それにジャックさんの戦い方は正しかった」
「……」
ますます意味がわからない、という顔をするジャックに、クリンは尋ねる。
「ジャックさんは、人を殺したことがありますか?」
「……」
「ない、でしょ?」
ジャックからの返答はなかったが、それがじゅうぶん肯定の意味を表していた。
セナと戦った時も、先ほどの戦闘でも、ジャックは相手の武器を奪ったり手を攻撃したりして、相手が戦闘不能になるような戦い方をしていた。決して命を奪おうとはしなかったのだ。
「ジャックさんの剣は、殺すためのものじゃない。人の命を守るための剣でした」
「何が言いたい」
「嬉しいって思ったんですよ」
「……」
「同時に悲しいって思いました」
彼はやはり、自分が思ったとおりの人だった。妹想いで、優しくて、強い人だ。命の重みを分かり合える人だ。
そんな人が、復讐の鬼になって人の命を奪おうとしていることが、ひどく悲しかった。
目を伏せれば、ジャックの腰の剣が視界に入った。鞘に施された金色の紋章は、彼がミサキを睨むたび悲しく光っているような気がした。
「……なるほど。だから、ミランシャ皇女を殺すなと言いたいのか。なめられたものだ」
ジャックの顔がますます険しくなっていく。
治癒を終えたマリアは、二人のやりとりをハラハラしながら見守っているようだった。
「ジャックさん。復讐をやめることはできませんか」
「ふざけるな。七年前に妹が殺されてから、ずっと心に決めていたことだ」
「殺されて、殺し返すんですか? それで本当にジャックさんは救われますか?」
「それは綺麗ごとだ。お前にだって弟がいるだろう。無惨に殺されてみるがいい」
「……」
セナの顔が思い浮かんで、クリンは返す言葉が見つからなかった。
それは想像も絶するほどの苦痛であるに違いない。考えるだけで胸が痛く、腹の奥が沈んでいくような感覚に襲われる。
七年、ジャックはそれ以上の苦しみに耐え続けているのだ。
「たしかに俺は人を殺したことはない。殺すのはたった一人でじゅうぶんだからだ」
ジャックの視線はまっすぐにミサキへと注がれていた。
「俺はこの七年間、一日たりとも妹の死に顔を忘れた日はなかった。皇女を殺す。その想いだけが俺の生きる支えだった。あの馬車でやっと願いが叶うと思ったのにそれすら奪われて、五年だ。どれだけ探したと思う。どれだけ腕を磨いたと思う。やっとこいつを見つけて、成就する時がきたんだ。俺が命を奪うのは、こいつだけだ。……それですべてが終わって、やっと解放される」
「……」
ミサキは唇をきゅっと結んだ。ジャックを見つめ返すその瞳はただただ、悲しそうに揺れているだけ。
ジャックの青い瞳に宿る、重たい影。その影に彼自身が飲み込まれてしまいそうで、クリンは不安感に襲われた。彼の復讐をなしえた時のことを想像すれば、嫌な予感が頭をもたげる。
だからその視線をふさぐように、前へ立ちはだかった。
「させません」
「いいや、必ず成し遂げるさ」
「いやです。僕はミサキの命もジャックさんの命も失いたくありません」
「……」
気がついてしまった。
彼はミサキを粛清したあと、きっと自身の命も断つつもりなのだ。それが人を殺めることへの彼なりの贖罪なのだとしても、到底、認めるわけにはいかない。
ミサキのためじゃない。自分自身の心がそう願うのだから、もう迷いはない。
「言ったでしょう。命を軽んじる人間は大嫌いだと。僕の前で簡単に命を落とせると思わないでくださいね」
「……お前になんのメリットがある」
「そんなもの。僕は自分の矜持に従うだけだ」
「矜持?」
「はい。『命は尊いものだ。その重みに優劣をつけるな、真摯に向き合え』と、故郷の父はいつも僕に教えてくれました」
その教えが人生の支えだった。その教えを守り貫くことが自身のプライドである。目の前にどんな困難がぶらさがっていたって、どんなに悲しい出来事があったって、自分の選択はいつもこれだけだ。
「僕はクリン・ランジェストン。医者の家系です。僕はたったひとつとして、目の前の命を諦めたりなんかしません」
「…………」
「僕は剣が嫌いだ。命を奪うものは嫌いだ。だから、命をかけずにジャックさんと解決できる方法を必ず探します」
ジャックの瞳には、ひとつも動揺が見られなかった。彼の決意もそうとうなものなのだろう。
だが、必ず打ち勝ってみせる。彼の復讐を止める。クリンはそう胸に誓った。