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三国志銭記 ~魏蜀通貨戦争~  作者: ほうこうおんち
最後の三国大戦の章
32/52

賈充の陰謀

 寿春に居る諸葛誕の元に、蜀の諸葛氏の「手土産」を預かったという商人が訪れた。


(随分と下手糞になったものだ)


 諸葛誕は、露骨な程の大量の銭を贈るやり方に苦笑いする。

 諸葛誕は司馬孚から蜀のやり方を聞いていた。

 使者、親戚への挨拶として良質な銅銭を贈る。

 粗悪な銭と違い、良質な銭はそのまま通貨として使用出来る。

 通貨として蜀の貨幣、蜀貨が使われる事で、魏は蜀に遠隔操作されてしまう。

 贈る相手を操るという簡単な事に留まらず、贈る相手が事実上の造幣局長となる事で経済を牛耳る事が出来る。

 更には通貨量そのものを操作する事で、魏の物価や経済を混乱させられる。

 後漢末のように通貨量偏在インフレを起こす事で農村を壊滅させ、内乱を起こさせる事も出来る。


 時間を掛けてジワジワと浸透していたやり方だったが、異才・司馬懿によって気配を察知され、その弟で「司馬懿を二人得た」と評された司馬孚が全容を明らかにした。

 蜀のやり方が次第に下手糞になり、徐々に尻尾を掴みやすくなって来たのもあった。

 この寿春は豊かな土地で、荊州南陽と共に三国の商人たちが入り混ざって活動している。

 合肥新城の戦いで、援軍として司馬孚が大軍を率いて来たが、その後で寿春も徹底調査をした。

 その時は、上手く証拠が消されていたが、ある人物の行動である事までは掴めたと言う。

 蜀の侍中・郭攸之、諸葛亮が「出師の表」で名を挙げながら何の活躍も聞かれない人物である。


 思えば、目立たず、諸葛亮から「誠実で私心が無い」とされる性質は、大量の銭を扱って敵国だけで無く同盟国をも操ろうと言う策に最適の人物であろう。

 本国の方針に逆らったり、己の欲を満たそうとしたら、途端に蜀の本音に辿り着かれる可能性がある。

 足跡を残さない事こそ最適なのだ。


 だが、司馬孚が商人に対し多少荒っぽいやり方で、蜀から魏への浸透の痕を探そうとした時、その隠滅において名を掴まれてしまった。

 今後はやり辛くなるだろう。

 そんな中、毌丘倹・文釿の乱が起こる。

 寿春を介した魏への工作はしばし中断された。

 そして再開直後、随分と露骨になっていた。

 郭攸之が交代したのか、或いは死んだかもしれない。

 諸葛亮の第一次北伐の頃から活躍していた人物で、もう寿命を迎えていてもおかしくない。

 司馬孚のように長生きしているのは珍しいのだ。




 その司馬孚が、先年亡くなった司馬師に報告し、出来た蜀貨対策とは「蜀貨の入り口を一本化し、総量を把握して流通量を制御する」であった。

 その一本化の過程で、政敵の夏侯玄が殺され、司馬一門に近い夏侯威・夏侯和に窓口が移る。

 夏侯玄派の毌丘倹・文欽が反乱を起こしたのはその為である。

 司馬伷の岳父である諸葛誕も夏侯玄と近かったが、これまでの親戚付き合いから司馬一門と言って良い。

 自分に大量の銅銭が送られて来た、その総量を新たな惣領・司馬昭に報告すれば何の問題も無い。

 諸葛誕はそう考え、洛陽に報告の使者を送ると、数千万銭の五銖銭を受け取った。

 洛陽の大将軍司馬昭からは、総量報告への感謝と、受け取った銭は戦火に遭った寿春の復興と、呉や呉に亡命した文釿への備えとして兵を揃えるよう指示が来た。

 諸葛誕は善政を施すと共に、十万の兵を蓄える事となる。




・・・・・・・・・・


 魏の新しい権力者・司馬昭には劣等感コンプレックスが有った。

 司馬家は、「司馬八達」や「司馬兄弟は父に劣らぬ才人」と、纏めて評価される事が多い。

 しかし「八達」で曹操が実際に評価したのは伯達こと司馬朗、仲達こと司馬懿、叔達こと司馬孚の三人だけだ。

 中には凡人や愚物も居るが、恐らくは己が目立つ事を嫌がる司馬朗か司馬懿が己を埋もれさせる為にした、風評操作かもしれない。

 同様に「司馬兄弟」と言っても、若くして名を知られていたのは司馬師であり、司馬昭はそのおまけである。

 司馬昭も無能ではない。

 司馬一門で見れば、かつての司馬朗に並び、従兄弟で皇帝側近の司馬望よりも上だろう。

 だが、比較対象が司馬懿、司馬師、司馬孚となると、どうにも己が劣って見える。

 司馬孚は恐らく

「儂は伯達兄上にも、仲達兄上にも及ばぬよ。

 ただ長生きした経験が知に肉付けしたに過ぎぬ」

 と言っただろう。

 だが司馬昭は近い身内に及ばぬという劣等感から、激しい嫉妬心を抱くように、何時しかなっていた。

 やがてこの劣等感や嫉妬心に、賈充が入り込む。




 司馬懿は古い価値観を持っていた。

 井田法という周の古法を復活させようとしたり、名家名門重視の姿勢で夏侯玄と対立したりした。

 文帝、明帝の実学的な世は、司馬懿の好む世と言えただろう。

 一方司馬師の価値観は、政敵としてかつて斃した何晏らに近いものがある。

 父や叔父が危険視した蜀貨を、司馬師は受け入れようと言うのだ。

 後漢末の混乱を知らないが故の恐れ知らずとも言える。

 司馬懿存命中は圧迫された詩文や玄学といった浮世離れした学問も、司馬師の代で復活している。


 こう在るべきだ、という世の在り方についての考え方が司馬昭には無い。

 亡き兄の考えが一番近いかも知れず、それを引き継ぐ事にした。

 当然、兄の事績を剽窃したものだと、知る人は謗るであろう。


「言わせたい者には言わせておけば良いのです」

 賈充は司馬昭に説く。


「武公(司馬師)の政治は道半ばであり、それを全うする事に何の恥じる事もありますまい」

 それは司馬昭にも分かる。

 だがそれだけでは、世は自分の望む兄や父に並ぶ評価をしないだろう。


「武公を超える大功が有れば、世間は何も言いますまい」

「それは何か?」

「呉と蜀を打ち破る事です」

「言うは簡単だ」

 かつて曹爽の副将として蜀を攻め、敗れて左遷された記憶のある司馬昭は、そう吐き捨てる。

 三国は攻めた側必敗。

 それが三国の世を膠着させている。

 呉も蜀も天嶮を以て国境としている。

 守るに易いが、攻める時はそれが兵站への負担となる。

 通り道として重要なのは長江中流から下流に掛けての地域、つまり荊州襄陽と揚州合肥。

 これは恐らく後世に至るまで変りなかろう。


「手立ては有ります。

 毌丘倹・文欽の乱をもう一度起こすのです」

「諸葛将軍が守る寿春に呉軍を誘い込むのか?」

「その辺はおいおいと。

 まずは大戦を起こすのです。

 呉軍を動かすと共に、蜀軍も動かす。

 呉蜀に財政的な負担を掛けるのです。

 考えてみれば、蜀が貨幣を差し出して魏を傀儡とするは実に妙策。

 しかしながら、それは同時に蜀の富を吐き出し続けてでなければ成り立ちません。

 如何に天下の銭貨を産む蜀と言えど、一年に造れる量に限りが有りましょう。

 それを上回る出費を強いれば、貯める事無く富を吐き出し続けて魏を抑え込んでいた蜀は、先に破綻しましょうぞ」

 なる程、相手が諸葛亮ならば通じぬ戦法だが、財力無視で大軍を動員する姜維と、銭の政策が年々下手になっている蜀の尚書令ならば、宝の山を持ちながら破産も有り得よう。


「その為に諸葛将軍を犠牲にするのか……。

 将軍は我が弟の舅なのだぞ。

 これまでも親戚として家族ぐるみの付き合いをして来た」

「あの方は夏侯玄とも親しく、曹爽・司馬家と二股を掛けていました。

 明帝の御代には、画餅呼ばわりされ、冷遇されていました。

 この先も必要不可欠かと言われたら、そうでも無いでしょう」

「うむ…………」

「私の関係に捉われ、天が与えた機を失いまするか?」

「やむを得ないか……。

 だが、勝てようか?

 我が采配は亡き父にも亡き兄にも劣る」

「大将軍自らが采配を振るう必要はありますまい。

 鍾会や鄧艾ら武将に任せれば宜しゅう御座います」

「よし、賈長史、其方に一任する」


 賈充は頭を下げながら、ほくそ笑んだ。




・・・・・・・・・・


「諸葛将軍、お久しゅう御座います」

「賈長史、御役目御苦労様です」

 賈充は司馬昭の命令として、寿春の視察に来ていた。

 先年、文釿に進言された呉の孫峻の侵攻があり、寿春一帯には警戒が発令されている。

「この地が大戦の舞台となるやもしれず、大将軍はよくよく視察せよと仰せでな」

「ハハハ、この諸葛誕が守る限り、呉軍に付け入る隙は与えませぬ。

 大戦に等発展させる失態は犯さないと、お伝え下さい」

 自信満々の諸葛誕を、賈充は値踏みするような目で見ている。

 そして唐突に聞いた。

「諸葛将軍は、司馬大将軍が至尊の椅子に座るべきと思いませぬか?」

 諸葛誕は一瞬、何を聞かれたのか分からなかった。

 理解すると、不快な表情になる。

「それは大将軍が帝位を簒奪すると言う事だろう?

 其方は名刺史、賈豫州(賈逵)の子ではないのか。

 代々魏のご恩をお受けしながら、どうして国家を裏切り、魏朝を他人に差し出そうとするのだ。

 儂が平気で聞き流せることではない。

 もし洛中で事変が起れば、儂は当然魏朝の為に命を投げ出すつもりだ」


 諸葛誕は、司馬懿にも司馬師にも簒奪の意志が無かった事を知っている。

 郭太后を立て、魏の権力者として世を差配しているが、曹家から帝位を奪う気は無いと言っていた。

 司馬懿の遺言は「身を慎め」であり、司馬師の遺言は「郭太后を大事にせよ」である。

 司馬一族に魏簒奪の意志は無く、仮にその意志が有るなら一門の自分は相談されるだろうと諸葛誕は考えている。


 賈充は黙って諸葛誕の元を辞した。

 寿春城から離れる程に口元が緩む。

(上々じゃ、疑惑の種子は撒く事が出来た。

 今はこれで十分だろう)


 陰謀が密かに始まった。

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