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司馬懿隠居す

「一族の者たちよ、儂は暫く病気になろうと思う」

 大魏国の太傅(皇帝教育係)・司馬懿は子や弟たちにそう告げた。

 司馬懿、(あざな)は仲達、この年六十八歳である。


「名目とし、正妻(張春華夫人)が亡くなり、気力が衰えたという事にするが……。

 さて、実際は如何なる理由からじゃと思う?」

 司馬懿は皆を試すように問う。


「曹爽が事にございましょう」

 簡単にそう答えたのは司馬懿の次男・司馬昭、字は子上である。

 年齢は三十六歳と若いが、才人と評判である。

 散騎常侍、征蜀将軍を勤めたが、蜀の王平に敗れた為に現在は議郎となっていた。


「暫く曹爽めを泳がせ、その失政を誘う気ですな」

「ほお? 曹爽の失政とは何か?

 曹爽殿は儂の戦友・曹真殿が子息であるぞ。

 その失政とは如何なる事かの?」

「曹爽は父上の度々の忠告を無視し、戦での失敗を繰り返しております」

「その方もな。

 共に蜀を攻めて、手も無く敗れおった」

「……これは手厳しい。

 しかし、曹爽殿は蜀のみでなく、呉にも敗れておりますぞ」

「曹爽殿の失敗は魏の損失じゃ。

 儂は嫌われてでも、曹爽殿にこれまで以上に進言せねばなるまいな」

「されど曹爽は増長し、父上の言に耳を貸そうといたしません」

「儂の言い方が悪かったのかもしれぬぞ。

 いずれにしても、戦争での失態をもって内輪で争うは、敵に付け入る隙を与える事になろう、違うか?」

「それは……」


 言葉に詰まった司馬昭に代わって答えたのは、長男・司馬師、字は子元である。

 この年三十九歳、弟以上の才人と器量人として知られていた。

 今は散騎常侍、中護軍(皇帝の近衛兵の指揮を執る役職)の役に就いている。

「曹爽は父上を遠ざけ、権力を独占しようとしております。

 父上は実力で人材を推薦していますが、曹爽は名家の出の者のみを推薦し、自分の派閥としております」


 だが司馬懿はその答えにも満足していない。

「名家の貴公子であろうが、国や民を損ねておらねば、言うべき事はなかろう。

 それに、儂とて漢朝の名門の子弟を推挙しておるがの」

「曹爽が側近に置いているのは、先帝が遠ざけた者ばかりです。

 先帝が嫌った理由は、詩文や儒学玄学ばかりで実を伴わぬ輩だったからです。

 しかし、その彼等は不思議と豊かになっています。

 もしかしたら、民に重税を課して、私欲を肥やしているやもしれません」

「思い込みで物を申すな。

 苛政の証はあるまい。

 その方は、その側近連中とは親しかろう。

 民に重税を敷いておらぬのは、よく知っておるだろうに」

「ですが、何か不正をせねば、あそこまでの富豪にはなれますまい。

 大将軍という重職の曹爽を使い、何かをやっている可能性があります」

「なれば儂は出仕し、曹爽殿を諫めねばのお」

「心にも無い事は仰いますな。

 父上は曹爽やその側近を泳がせ、悪事の証拠を掴んだら失脚に追い込みたい、それ故の仮病でしょう」

「ふむ、子元はそう思うか?」

「私も左様に思います」

「ほお、子上もか……」


 司馬懿は少々物足りな気な表情となった。

 そして弟たちにも問う。

 大方は司馬師の言った事だろうと言う空気の中、すぐ下の弟が口を開いた。


「私には権勢の事は分かりません。

 興味が無いからです。

 それ故に思うのですが、兄上は曹爽殿を泳がして悪事を為すの待つというより、悪事か何かは知らぬが、何をやっているのか知りたい事が有るのではないでしょうか?」

 そう言ったのは司馬孚、字を叔達といい、温厚寛達で誠実な性格と言われている人物であった。

 兄の仲達とは一歳違いの六十七歳で、魏の現職尚書令である。


「ほほお、面白い。

 叔達は何か掴んでおるのか?」

「いえ、そこは何も。

 皆目見当もつきません。

 ただ、私は先帝陛下の崩御について、些か疑問を持っております。

 あの若い先帝の急な死。

 それと今の陛下の擁立について……」

「そこまでにしておこうか」


 ここまで出て来た先帝とは、後漢末の英雄曹操の孫、魏二代皇帝曹叡の事である。

 曹叡は司馬懿、そして曹爽の父の曹真を信頼し、度々侵略を図る蜀の諸葛亮からの防衛を命じていた。

 自らも軍を率いて親征し、もう一つの帝国「呉」を打ち破った事もある。


 司馬一族との相性は良い。

 ある時、諸葛亮の罠によって諸将が釣られようとしていた。

 都督の司馬懿は、陣に籠って敵の後退を待つ腹積もりであったが、諸将はいきり立ち、命令違反をしてでも突出しかねない。

 そこで司馬懿は

「陛下に伺いを立て、陛下が攻めよと申したら、この儂も命を顧みず蜀軍を攻めるであろう」

 と言った。

 司馬懿の奏上文を呼んだ曹叡は、その真意を察し、

「討って出るを禁じ、命令違反の者は処罰する」

 と返答した。

 その明敏な皇帝も、既に崩御している。


 司馬懿は一同を見渡すと、話し出した。

「子元の言う事と、叔達の言う事、足して一つじゃ。

 儂は確かに曹爽めの失敗を待っておる。

 それがあ奴の足元を掬う好機じゃからな。

 だが、その間に調べておきたい事がある。

 それが叔達が申した先帝の死に関わる話ともう一つ……」

 司馬懿は一同に一つの物を見せる。


「これは蜀貨(蜀の銭)ではありませんか」


 銅の鉱山を抑え、良質の銭を鋳造出来る、益州の地を抑えた「皇帝」を名乗る劉禅を君主とした政権、蜀漢。

 彼等はただ「漢」とのみ名乗るが、周囲は地方名から「蜀」と呼ぶ。

 その蜀が作る銭貨は蜀を溢れ、魏にまで流れて来ている。

 銅に乏しく、通貨が劣悪な魏では、敵国蜀の銭である蜀貨が流通して既に久しい。


「この蜀貨が如何いたしました?」

「多過ぎる」

「なんと?」

「叔達、そなたは度支(たくし)尚書をしておった。

 何か気付く事は無かったか?」

 度支(たくし)尚書とは軍事財政の専門職である。

 司馬孚は、蜀の丞相諸葛亮と対戦した兄を、財政・兵員補充・物資輸送から助けていた。


「はい、度支尚書を免じられて久しいので、詳しくは分かりませんが、明らかに蜀貨は増えております。

 実は先帝は、その事に対し疑問を持っていました。

 そして、蜀貨を大量に持つ貴族や商人を呼び出し、時に誅殺して財貨を召し上げていました。

 その財貨を宮殿造営に浪費していましたが……」

「先帝陛下の気の緩みようは酷かったですなぁ」

 弟の司馬進、司馬通たちがそう口を挟む。

 司馬懿、司馬孚は八人兄弟である。

 長兄は既に亡く、四男の司馬馗は任地の魯国に在り、八男の司馬敏は若くして亡くなった。

 「司馬八達」と呼ばれるが、長男、次男、三男以外は然程でもなく、六男の司馬進は凡人、七男の司馬通は言動が過激であった。


愚蠢(おろかもの)、知った口を利くで無い。

 儂は先帝陛下に仕えて久しい。

 遼東の公孫淵討伐を命じられた時も、気の緩んだところ等、何処にも無かった。

 先帝陛下に対し、司空殿(陳羣)や前太常殿(王粛)等が諫言したが、噂と違って殺して等いない。

 諫言した人物や気に入らない人物を処刑した事は無い。

 先帝陛下は、正気であられた」

「では?」

「曹爽が先帝陛下を弑した、左様お考えで?」


 司馬懿は首を振る。

「そこまでは分からぬ。

 曹爽は先帝の信頼篤く、含むところは見当たらぬ。

 だが儂は、この蜀貨が何らかの形で陛下を弑したのではないかと疑っておる。

 それがどのようなものかは、調べてみなければ分からぬ。

 それ故、曹爽とその取り巻きと蜀貨の動きを、暫く見てみたいと思ったのよ」


 そう言うと司馬懿は、

「この事、悟られてはならじ。

 富に目が眩む者は皇帝陛下すら手にかける。

 腕の立つ刺客に狙われているのと同じ気で、慎重に身を処すべし」

 と命じた。


 子弟たちは一族の当主の命に、手を合わせて了解の意を示した。




 正始八年(247年)五月、司馬懿仲達は魏国第三代皇帝曹芳の前に参内し、高齢と正妻の死を理由に太傅辞任を申し出た。

 その場には尚書令である司馬孚が文官の列に、政敵・大将軍曹爽は武官の列にいた。

 司馬懿は曹爽を見ないようにしつつ、横目で彼の側近として参内している面々を眺め

(精々、派手に振る舞って、儂の知りたい事を見せてくれるが良い)

 そう心の中で呟いていた。

魏の正始八年(西暦247年)


■長男

司馬朗(故人)

 司馬望 42歳


■次男

司馬懿  68歳

 司馬師 39歳

 司馬昭 36歳

 司馬亮 三十代?

 司馬伷 20歳

 司馬京 16歳(今回の謀議不参加)

 司馬幹 15歳(今回の謀議不参加)

 司馬駿 14歳(今回の謀議不参加)


■三男

司馬孚  67歳

 司馬邕 44歳

 司馬輔 39歳


■四男

司馬馗  65歳(魯国滞在中で今回の謀議不参加)

 司馬権 37歳

 司馬泰 三十代?

 司馬綏 二十代?


■五男

司馬恂  63歳くらい(?)

 司馬遂 35歳


■六男

司馬進  五十代?

 司馬遜 二十代?


■七男

司馬通  五十代?

 司馬陵 二十代?

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