表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/8

第五話 落下 side夏子


 身体が熱い。息が苦しい。

 周りは真っ暗。何も見えないよ。


 嫌だ、一人は怖いよ。

 誰か助けて。お願い──


「秋……」


 無意識に名前を呼ぶと同時に、視界が明るくなっていく。目の前の光を求めようと手を伸ばしたその時、何者かに手首を強く掴まれた。




「夏子ー。大丈夫ー?」


 目の前にあったのは秋の顔──ではなく、優希の顔だった。


「あれ? 起きた途端、何その微妙そうな顔?」


 眉根を(ひそ)める優希に、誤魔化すように視線を逸らし、顔の下半分を布団で覆う。


「……そう言えば、此処は……?」


 片方の目を擦りながら上体を起こし、周囲を見渡す。見覚えのある机、椅子、タンス、ぬいぐるみ。今自分が寝かされている場所もそう、見覚えのあるベッドの上だった。


「何も覚えてないんだね。観覧車の中で倒れてたのを遊園地の人が見付けてくれて、家族に連絡してくれたらしいよ。それであんたの両親が迎えに来て、当のあんたは家でぐっすり寝てた。で、今、私は迎えに来たってワケ」


 ……迎えに来た? 家にいるのに何で?


 疑問に思いながら、然り気無く窓の外に視線を向ける。


 あれ? さっき遊園地にいた時は夕方だったのに、何で外が明るくなっているんだろう。


 ていうか、休みの日なのに何で優希は制服を着て……ん? あれ? もしかして──


「私、一日寝てた?」


「うん」


「そうなると、今日は月曜日の朝?」


「せいかーい」


 親指を立てて頷く優希に、一気に血の気が引く。


「ち、遅刻しちゃ……ゲホッ……ゴホッ……」


 立ち上がろうとした瞬間、止まらなくなる咳。熱があるせいなのか、動悸がする。息切れも酷い。優希は咳き込み続ける私の背中を撫で、顔を覗き込んだ。


「体調悪いなら無理しちゃ駄目よ? あんたここ最近ご飯も食べれないくらい調子悪かったじゃん。今日くらいは休みなって」


「……で、でも」


 優希に視線を向けようと顔を上げたその時、視界にある物が飛び込んだ。それは手首にいつの間にか出来ていた、大きな痣。


 何、これ。

 知らない間に何処かでぶつけた?


 心臓が大きく跳ね、額に冷たい汗が滲む。痣から目を離せずにいた私を、優希が怪訝な表情を浮かべて覗き込んだ。


「どうかした?」


「う、ううん!」


 反射的に手首を背中の後ろに隠し、誤魔化すように笑う。眉を寄せて私を見つめる優希に苦笑いを溢しながら、ハンガーに掛けてあった制服を手に取った。


「あれ? 学校行くの?」


「う、うん。テスト前だし」


「真面目だね~」


 感心したように優希は呟く。そんな彼女を前に背中の後ろに隠した手首の痣を、そっともう片方の手で撫でる。


 この痣のことは、後ででもいいや。

 今日は取り敢えず学校に行こう。

 秋が元気かだけ、確かめたい。








 下駄箱で靴に履き替え、優希と共に教室に向かう。うん。学校に行けるくらいは元気だ、私。大丈夫。昨日の痣もきっと知らない内にどこかでぶつけただけ。


 自分の中で必死に言い聞かせたその時、後ろから肩を思い切り叩かれた。


「っはよー! 元気かー?」


 振り返るとそこにいたのは鹿野。八重歯を覗かせながら目を細めて笑っている。いつも通り楽しそうだ。うん、何も考えてなさそう。


「そう言えば萩、昨日のデートどうだったよ?」


 鹿野は私と優希の間から顔を覗かせ、明らかに嫌そうな顔を浮かべている優希を完全無視。興味津々な顔色で私を見つめる。


「うん。やっぱりフラれた」


「んあ!? マジ!」


 三白眼を見開き、更に白眼の面積を大きくする鹿野。優希が空気を読めと言わんばかりの大きな溜め息を吐く傍ら、私は苦笑いを浮かべる。


「他に好きな子がいるんだって。私じゃダメみたい」


 私の言葉に鹿野は「えっ」と声を漏らし、両手を組んで唸り声を上げた。


「……そっかぁ。でも萩ならまたいい男見つかるさ!」


「ありがとう。根拠の無い励まし」


「どういたしまして~」


 後頭部を掻きながら、鹿野は照れたように笑う。

 別に褒めてはないんだけど、鹿野(こいつ)のお陰で少しは元気が出た気がする。ほんの少しだけ感謝しとこ。


 そんなことを思っている間に教室の前へ。鹿野が大きな欠伸をしながら扉を開けたその時、教室の生徒達の視線が一気に此方に集まった。

 何事かと思い、教室の中に足を踏み入れて前方に視線を向けると──衝撃的な光景が目に入り、身体が固まった。


「何だよ、あれ……!?」


 鹿野は目を見開いて呆然とし、優希は口を半開きにしている。暫く私も言葉を無くしていたが、気付けば黒板の前に群がる生徒達を掻き分けて、前へと身体を乗り出していた。


「萩、お前何して……!」


 教卓の下に置いていた雑巾を手に取り、黒板に()()()()()書かれた文字を必死で消そうと試みる。


 黒板に大きく乱雑に目立つように書かれていた文字──


『葉山秋はゲイ』


『葉山は男とヤッた』


『秋はホモだ。病気だ』


 心にも無い言葉が羅列されていた。


 擦っても全然消える気配が無い。「葉山ってゲイなの?」「病気って何のこと?」等と後ろから聞こえるクラスメイト達の声が、心の中の焦りと不安をかき乱していく。


 駄目だ。雑巾を水で濡らしてこないと、全然消えない。


 雑巾を強く握り締め、水道へ向かおうと踵を返したその時だった。


「っ!」


 ……いつの間にいたのだろうか。

 教室の前方の扉の前には、秋が佇んでいた。


 秋は驚く様子も無く、嘆く様子も無く、虚無的な瞳でただ黒板を見つめている。


「秋……」


 無意識に秋に手を伸ばそうとしたが、秋は無言で私に背中を向け、その場を去っていく。


「待って! 秋!」


 焦りに身を駆られ、秋を追おうと教室を飛び出した。教室に向かう生徒達の間を潜り抜け、必死で廊下を駆けていく。


 階段を降りていく秋を目の前に捉え、私も階段を駆け下りる。秋がどこかに行ってしまう、消えてしまう──そんな想いに潰されそうになっていく胸。


「秋!」


 名前を呼ぶと同時に、踊り場まで足を踏み入れた秋の腕を強く掴む。私が追い掛けてきたことに気付いたのだろうか、振り返った秋の顔は無表情だった。


「……何」


「秋、大丈夫だよ、()()()()消しておくから……」


「嘘? 嘘って何?」


 秋は鼻で嗤うように息を漏らすと、私に少しずつ滲み寄った。


「あれは嘘じゃない。真実だろ。お前も知ってるじゃないか。きっと誰かが事実を書いたんだろ」


「で、でも」


「そして教室にいた奴等の反応、あれが現実だ。お前も俺にもう近付くな。病人扱いされるぞ、俺と同じようにな」


 言葉を無くし視線を泳がせる私に、秋は再び呆れたように笑う。そしてそのまま踊り場から階段へと踏み出そうとした。


「ま、待って!」


 秋を引き止めようと思わず手を伸ばそうとした。しかし──


「触るな!」


 怒声と共に振り払われる手。

 バランスを崩す身体。

 後方へ蹌踉めくと同時に、自分の背後が階段であることに気付いた。


「あ──」


 スローモーションみたいに秋が遠ざかっていく。


 秋は無表情から一変、目を見開き咄嗟に私に手を伸ばそうとした。

 しかし、間に合う筈も無く──


 身体に走る衝撃。

 揺らぐ脳。

 暗転する視界。


 生徒達の甲高い悲鳴が聞こえたのを最後に、私の意識は途絶えた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ