表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

前編


 今から十年ほど昔、まだ小学生だった時のこと。

 毎年春に行われる健康診断、その中の視力検査。わずか一年間で、ガクッと視力の落ちた年があった。

 1.2から0.4という激減だが、ただし、視力低下は左目だけ。右目は、相変わらず1.2を保っていた。

 当時、僕は読書にハマっていた覚えがあるから、その影響だったのだろう。もちろん普通に明るい場所で読むならば、目を悪くすることもなかったはず。しかし僕の場合、毎晩布団の中で、眠ってしまうまで二、三時間ひたすら本を読む、という習慣だった。

 布団に入る時点で、室内灯はオフ。それよりも確実に明るさの弱い、枕元の電気スタンドだけで、本を読んでいたから……。これが原因だったに違いない。

 両目ではなく左目だけの視力低下というのも、この説に合致する。仰向けで顔の上に本を掲げて読むのは手が疲れるから、ずっと横向きで――本を枕の隣に置く形で――読んでいたのだ。この姿勢だと、どうやら無意識のうちに片目だけ酷使することになるらしい。自分では気づいていなかったのだが。


 ともかく。

 そんな感じで目が悪くなった僕だったが……。

 とりあえず右目は健在なので、あれから十年、大学生の今に至るまで、大きな不便を感じることは少なかった。眼鏡も必要ないくらいだった。

 ただし。

 自分では意識していないが、僕は基本的に、右目だけで物を見ているらしい。たまに「右目では見えないが左目では見える」という領域に意識を向けると、露骨にボヤけた感じになっている。

 例えば、手前にいる人に半分重なるような位置に立つ、向こう側の人。「右目で見ると手前の人の陰に隠れているが、左目で見ると隠れていない」という部分がある場合、そこだけ、ぼんやりと見えるのだ。まるで陽炎かげろうのようだが、ちょうど手前の人の体の横に沿っているので、逆にそちらの輪郭を強調するような形になっていた。

 そんな状態であっても、「はっきり向こう側も見えないと困る」という時は、少し自分の立ち位置をずらせば良いだけだから、それほど困りはしないのだが……。


 中には、例外もある。

 例えば今。

 少し熱いくらいの、たくさんの照明に照らされた、木目調の舞台の上。

 僕は、歌を歌っていた。

 趣味でやっている合唱。所属している合唱団の、年一回のコンサートだ。

 合唱というものは、耳を使って他パートの演奏を聴いて、それに合わせて音もリズムも奏でるわけだが……。

 耳だけではなく、目も必要になってくる。歌う者と客席との間に立つ、指揮者の存在だ。その指揮棒の動きに、注目する必要があるのだ。

 ちなみに、歌う者は指揮者を凝視するわけにはいかない。少なくとも、歌う者の体も顔も、指揮者ではなく客席、それも出来るだけ奥の方を向いて歌うことになる。『歌』の場合、人間の体そのものが楽器なので、近くに意識の焦点を当ててしまうと声が遠くまで飛ばないから、と言われているのだ。それが物理的に正しい理屈なのか、単なる気分の問題なのか、そこまでは僕にもわからないのだが。

 ともかく、そんな感じで、視野の片隅で見ないといけない指揮者。しかも『合唱』なので、舞台の上には奏者がたくさん、二列にも三列にもなって並んでいる。一応、誰の位置からでも指揮者が視界に入るような並びになっているのだが……。

 さあ、困った。僕の目は、普通の人とは、見え方が違うのだ。時々、指揮者の振る指揮棒が、僕の前の列の人に微妙に重なって、「左目では見えるけれど右目では見えない」という領域に入ってしまう。

 だが一部ボヤけて見えるからといって、コンサートの途中で、立っている場所を勝手に変えるわけにもいかない。もう諦めて、『目』ではなく『耳』から入ってくる情報に基づいて「おそらく、こういう指示なのだろう」と推測することになる。これでは指揮者を見ずに歌っているのと同じだな、と内心で苦笑しながら……。

   

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ