南雲 颯と佐々 理子 2
「あのぅ・・ 会長ってどんな方ですか?」
理子は不安を隠さず南雲 颯に訊いた。理子の頭には『会長』といえば暴力団の会長というイメージしかなかったからだ。
(もしかしたら私は愛人にされるの?まさかそれが治療費の条件?)
普通の人間なら当然浮かぶ不安が、理子の頭をよぎった。
そんな理子の頭の中を覗いたかのように颯が言った。
「安心して。あなたが考えているようなことは絶対ないわ。(笑)」
「そんなの信じられない、って顔してるわね。でも本当よ。第一、会長はあなたの顔とかまったく知らないし。」
それもそうだ、と理子は思ったが、やはり不安は拭えない。
その時、部屋の壁に掛けられていたモニターの電源が入り、一人の女性の姿が映し出された。
(うわぁ、綺麗なひと・・・。ハーフなのかなぁ。)
こんな状況にも拘わらず、理子の目は画面の女性に釘付けになった。
「お待たせしたわ、颯。」
「待ちくたびれたわ、律姉さん。」
「ウソをおっしゃい。どうせまた職員相手に遊んでたんでしょ。主様に言いつけるわよ?」
「ダメーーー!!そんなことしたらもう絶好よ!」
初めて会ったときからずっと毅然とした態度だった天才脳外科医の姿は、この時より理子の前からいなくなった。
「なら、ほどほどにね。南雲総合医療センターの職員はあなたのモノじゃないのだから。」
「分かってるって、律姉さん。私を含め、職員も設備すべてが主様のモノよ。」
主様のモノよ、辺りで院長の顔がデレッとなったように理子には見えた。
「分かってないじゃないの、バカ。センターで主様のモノはあなただけでしょ。他の職員は主様の従じゃないわ。主様がらみになると、なぜかおバカになるわね、あなたは。」
「ん~、その辺は見解の相違ね。この南雲総合医療センターは私のセンターよ。なら、センターに関するすべての『者』と『物』は主様のモノでしょ。」
「はぁ、本当に颯は主様バカよね。まぁいいわ、それでは今から主様よりお話しがあります。」
「えーーーーっ! 今からーーっ!?」
ひどく慌てた颯は自分のデスクからモニターの前へ飛んでいき、驚く速さで正座をした。
そのピンと背筋を伸ばした姿は、まるで神託を受ける巫のようだ。
それにつられて理子もなぜか颯の隣で正座をする。
すると、モニターの画面が一瞬黒くなり、数秒後、今度は一人の男性の姿が映し出された。
(何だろう?急に画面が青っぽくなったけど・・。 )
ふと隣の院長を見ると、先ほどまで正座だったのに、いつの間にか三つ指をついて、頭が床につくほど深くこうべを垂れていた。
どうやら偉い人らしいので、慌てて理子も頭を下げようとすると画面の中の男が言った。
「あぁ、そのまま、そのまま。てか、君は正座なんかしなくていいから。」
これが竜崎 赤斗と理子の出逢いであった。
男は頭を下げたまま微動だにしない院長に向かい、
「こら、颯。お客さんに正座させるとは何事かね?」
そう男から言われ、ハッとなった颯は顔だけを理子に向け、何であなたまで正座を、と言わんばかりにキッと理子を見る。
「まぁいい。まずは二人とも座りなさい。」
男に言われて理子は立とうとしたが、隣の院長はまったく動こうとしない。
「颯、立て。」
「お心遣い感謝いたします、主様。」
そこで初めて院長が動き、自分のデスクに戻っていった。どうやら、二度目で動くのが礼儀らしい。そう言えばどこかでそんな作法を聞いたことがあったのを理子は思い出した。
赤斗は理子が座るのを見計らって、
「初めまして、佐々 理子さん。私は竜崎 赤斗と申します、どうぞよろしく。」
と軽く頭を下げた。
どう見ても院長より地位の高そうな人が、挨拶とはいえ初対面の自分に頭を下げるなんて・・・。
理子は戸惑った。
「はっ、初めまして、佐々 理子と、も、申します!よろしく、お、お願いいたします!」
と、しどろもどろになりながら、挨拶を返した。
「アハハ。そんな緊張しなくていいですよ。おおかた、そこの颯に余計なことを吹き込まれたのではないかね?」
理子は颯にほのめかされた暴力団会長の愛人が頭に浮かんだが、プルプルと頭を左右に振って否定した。
隣では院長がブンブン頭を左右に振っていた。
「では、本題に入ろうかね。」
受付から「病院の絶対者」と称される院長が、正座で出迎えるこの竜崎と名乗る男は一体・・・。
(そんな人が私に何の用なの?)
理子はやっぱり帰りたくなった。
─── 一方、その頃・・・
「会長がお見えになるかも。」と院長から告げられた受付の佐伯は、競歩の記録保持者並みのスピードで「守衛室」に飛び込み、叫んだ。
「竜崎会長がこれから来院ですっ!!!」
いつの間にか佐伯の脳内では「来るかも」ではなく、「来る」へと変わっている。
それを聞いた警備員たちは、一斉に「えっ!?」と驚愕の声を上げるが、そこはやはりプロ。すぐに行動に移り館内BGMを「威風堂々」に変える。
このBGMこそ、竜崎 赤斗の来院を全職員に知らせる、いわば「のろし」であった。
流れる「威風堂々」に気付いた外科部長の顔は、みるみる真っ青になり、同じく内科部長の胃は激しく痛み出す。
医師、看護師、事務局職員の全員が緊張し、中には緊張のあまり泣き出す女性までいるほどだ。
これでは会長ならぬ『ゴジラ来襲』であるが、なぜ職員たちは、竜崎 赤斗の来訪にそこまで怯えるのか?
それは二年ほど前のこと。
覇権争いに勝利し、南雲 颯が院長の座に就いてから初めて竜崎 赤斗をセンターに招いたその日、悪夢は訪れた。
赤斗を迎えるに当たり、新院長の南雲 颯は万全の体制を敷いて迎えるよう、全職員に命じた。
些細な粗相も許されない、そんなピリピリした雰囲気に院内は押し潰されそうになっていたが、ついにその日はやってきた。
正面入口に横付けされたハイヤーから、筆頭秘書の羽根川 律を供に竜崎 赤斗が降りてくる。
トップモデルでさえその横に並びたくないと裸足で逃げ出しそうな、日本人離れした容姿を携える筆頭秘書を供に従え、整列した理事や職員の前に竜崎 赤斗は君臨した。
「ようこそお越し下さいました! 竜崎様!」
職員の列より三歩ほど前に立つ南雲 颯が深々とお辞儀するのを合図に、後方の理事や職員達も赤斗に向けて一糸乱れぬお辞儀をする。
「お邪魔するね、南雲院長。」
軽く赤斗は返した。
この時点ではまだ赤斗と颯は主従関係ではないのだが、すでに颯は竜崎 赤斗に心酔している。
「では竜崎様、こちらへ。」
院長の颯自ら案内するため赤斗を院内へと促すと、誰にも気づかれないよう颯は律へウィンクした。
院内に入り、あちこち案内された赤斗は、その行き届いた清掃に素直に驚き、職員達に向けて言った。
「いやぁ、本当に綺麗に掃除された病院ですね。」
その言葉に職員一同ホッと胸を撫で下ろす。
颯にいたっては天使のような微笑みを浮かべ、職員達に頷いて見せる。
心酔し、敬愛してやまない竜崎 赤斗に褒められ、無いはずの尻尾をブンブン振り回している女院長は、早く自慢の休憩ルームを赤斗に見せたくなっていた。
その『休憩ルーム』には飲み物の自動販売機が数台と、たくさんの雑誌や書籍が入った本棚が数ヶ所に置かれていた。
机上にはパソコンも数台、そしてテーブルやイスがところ狭しと置かれ、休憩する人びとで賑わっていた。
このルーム内では、すべてが無料だ。大病院にありがちな長い待ち時間を少しでも快適に過ごせるようにと、南雲 颯の心ばかりの配慮であった。
これは見事な休憩ルームだね、と赤斗に褒められ、颯の尻尾はブンブン回りすぎてどこかへ飛んでいった。
すると、ルームの外で席が空くのを待っているのか、立ったままの年寄りが数人いることに赤斗は気付き、その中の一人に話し掛けた。
「お疲れでしょう。イスをお持ちしましょうか?」
「アンタはここの人かい?」
「まあ、そんなところですが、それがどうかしましたか?」
「ワシはここの患者だけどな、関係ないヤツが座っっとるからワシらが座れん。」
話を聞くと、どうやら無料の飲み物やパソコン目当てに、患者でもない連中が居座っているらしい。
それを聞いた赤斗は、年寄りとの会話を聞いていた颯に目配せしたが、どうやら颯も初耳のようだった。
何を思ったのか、赤斗はおもむろに両手をパンパン叩き、休憩中の人びとの注意を引いた後、大声を上げた。
「患者さんとその付き添い以外の人は、どうぞここからお引き取り下さーい!診察券など確認しますよー!」
すると、なんと三分の一ほどの人間が、ぶつくさ文句を言いながらルームを出て行くではないか。
出て行く人びとを見ていた赤斗は、颯に向かって残念そうに言った。
「もうこれ以上案内してもらわなくて結構だ、南雲院長。今日はこの辺で失礼するけど、見送りは無用に願いたい。では帰るぞ、律」
呆然と立ち尽くす颯を尻目に、竜崎 赤斗はさっさとセンターから出て行ってしまった。
「失礼な男ですな!あの竜崎って男は。」
ある理事の一人が、赤斗に振る舞いに対し、颯が当然のごとく激怒していると思い、ゴマをするように院長の背中に向けて言った。
それを聞いた南雲 颯がゆっくり振り向く。
そこには柳眉を逆立てた『般若』がいた。
その場で般若 颯、もとい南雲 颯はその不愉快極まりない発言をした理事にクビを言い渡し、それを皮切りに、他の理事および部長クラス全員、そして休憩ルームに関係した部署の職員に対し、軒並み6ヶ月の減給処分を下した。
当然のことながら、処分を下された者たちは「不当処分」と声を上げたが、颯はむしろこれで済んだことに感謝するべき、と言って取り合わない。
文句があるなら辞めれば?と院長に最後通告されてセンターを去る者もいたが、理事と部長クラスで辞職するものは一人もいなかった。
なぜなら、南雲 颯が医療業界において、超カリスマ的な存在だからだ。
「若くて美しい女性院長」というありきたりな理由からではない。そんなカリスマもどきは探せばいくらでもいる。
南雲 颯のカリスマ性は天才的で見事な手術にあった。
いうなれば実力そのものであるが、若くて美人というトッピングもあって世界中に医師会にシンパは多い。
そんな颯の元を去った人間を快く迎え入れてくれる病院が果たしてあるだろうか? 南雲 颯とのトラブルのタネになるかもしれない人間を雇うことは、大病院であるほど避けるはずで、そうなれば再就職は難しい。
何より、普段の南雲 颯は穏やかで優しく、職員思いの尊敬できる院長だ。その院長が豹変するのはあの竜崎 赤斗が絡んだときだけ。ならば多少の減給は甘んじて受けよう。
これからはあの竜崎 赤斗に細心の注意を払ってさえいれば、すべて穏便にいくはず・・・。
それが、理事や部長の共通した考えであった。
だが、いくら職員一丸となって細心の注意を払っても、赤斗はセンターの問題点や不具合を見つけてしまい、それらを指摘された院長は激怒し全職員がとばっちりを受けた。
こんなことが数回もあれば、竜崎 赤斗の来院が『ゴジラ来襲』と全職員に思われるようになっても決して不思議ではないだろう。
だが、赤斗は的確に問題点を指摘しているに過ぎす、いつもキレてるのは院長の颯だけであるのだから、赤斗をゴジラ扱いするのは少し可哀想ではないか。
とはいえ、やはり竜崎 赤斗は、南雲総合医療センター全職員にとって、院長以上に畏れ多い存在なのである。
その竜崎来院の報を受けた職員一同は、これからまた数時間生きた心地がしないまま仕事をすることになるのだが、運のよいことに今日は通信映像のみで来院の予定は無い。
職員たちの行動を見ていると、なんだか院長の颯と似ているような気がするのは、筆者だけだろうか。