南雲総合医療センターの災難
姉妹たちから続々送られてくるメールに羽根川 律が返信していると、先ほど話したマーガレットから通信が入った。
「あら、随分早かったわね。それで女王陛下のお返事は如何かしら?」
「貴女が首を長くしてお待ちかと思ってね。陛下はサー レッドバロンを歓迎すると仰られています。」
「それは光栄ですわ。主に代わり御礼申し上げます。それで女王陛下のご都合は?」
「10日以降で調整せよとのご指示です。」
「承りました。では、出発日の候補と人数が決まり次第連絡するわ。」
「了解よ。ちなみに貴女ももちろんいらっしゃるわよね?」
「いいえ、今回はおそらく行かないと思うわ。」
「・・あら、そうなの。それは残念だわ、心からね。」
「・・じゃあ、またね。ミスマーガレット。」
(私の方が残念よ、マーガレット。主様に何かしたら許さないからね。)
(サー レッドバロンにお近づきになるにはまたとないチャンスね、フフフ)
「でね、主様。私たちも行っていいの?」
律から届いたメールを読んだ馬飼 里奈は、この忙しいときにLOVE.REDの三人も行っていいのか分からず、直接赤斗に連絡して訊くことにした。
だが、赤斗に直接問い合わせることを、律は禁止したはず。
「ん? ちょっとそのメールを見たいので送ってくれ。」
「えっ? もしかして主様知らなかったの? やっばーい。」
「別に誰も叱らないよ。」
「律姉を怒らないでね。今送りました。」
赤斗は里奈から送られたメールに目を通した。
「なるほどな。で、私の答えだがお前たちはダメ。」
「えーっ! まぁそうだよねぇ。」
「当たり前だ。イギリスに行く暇有ったらセレブの仕事を早くこなせ。」
里奈との通信を切るのと同時に、律が会長室に入ってきた。
「主様、女王側は主様を歓迎するとのことです。」
「そうか。その話の前にお前に訊きたいことがあるのだが、今さっき里奈から随行員のことで問い合わせがあったぞ。」
「まぁ! あの娘ったら・・。申し訳ございません、主様。」
「いいさ、大したことじゃない。だから里奈を怒るなよ。で、なぜマーガレットに対してムキになった?」
「はい・・、レッドバロンほどのお方が随行員無しで来られたらこちらが迷惑する、みたいなことをマーガレットに言われてつい・・。」
「単身で行くと言ったのはこの私なんだから、お前が気にする必要はないのだが、お前の立場を考えなかった私のミスだ。イヤな思いをさせて済まなかったな。」
「済まないなんて何を仰います! この度のことは私の浅慮が招いたことで、主様が私ごときに謝罪する理由は何一つございません。」
「そうか、ならお前も私もどちらもお咎め無しということでこの件は終いだ。しかし、お前とマーガレットはライバル心むき出しで見ていて面白いな。」
「ライバル心だなんて! 彼女はたかがオックスフォード首席卒業生というだけで、首席卒業生は毎年出ますから。」
(それがライバル心ってやつだろ。)
「そうだったな。で、随行員の件だが、瑠璃子と颯が行けるようなら連れていくので調整してくれ。」
「やはりたった二人ですか?」
「二人と言っても片やオリンピックゴールドメダリスト、片や世界的脳外科医だ。この二人だけでも十分箔がつくと思うがね。」
「確かに仰る通りですが、主様を十分にお世話するためにはあまりに少ない数です。ですが、承知致しました。早速打診します。」
「それで主様、先方は10日後以降を望んでおりますが、如何致しましょう?」
「そうだな、あまり向こうの都合ばかり聞くのは癪に障る。そうだな?律。」
「はい、主様。」
「では、20日後出立で調整してくれ。」
「かしこまりました。」
「よろしくな。」
律は自室に戻り、飛田 瑠璃子と南雲 颯それぞれに打診したところ、案の定二人は狂喜して随行の任を快諾する。
主の随行を断る従など存在しない。
(瑠璃子姉さんと颯なら問題ないわね。ん~、颯は大丈夫かしら・・。)
赤斗のこととなると『主様バカ』になってしまう颯のことが、少しだけ心配になった律だった。
「イヤッホー!」
院長室で響いた叫び声を聞き、周囲の職員たちはお互いに顔を見合わせた。
こういう時は間違いなく竜崎会長がらみだと、すべての職員は知っている。
(ま、まさか、ゴジラ来襲(会長来訪)!?)
「な、南雲院長、どうされました? もしかして竜崎会長がお見えになられるのですか?」
頼むから違うと言って頂戴、と心に念じながら職員の一人が院長室に入り尋ねる。
「ちょうどよいところに来てくれたわ、柏崎さん。私は重大な用が出来たので、来月7日以降のスケジュールを二週間ほど空けといて。7日以降に予定されてるオペはそれまでに片付けるので調整をお願いね。」
「はい、そのように致します。」
(オペを『片付ける』なんて言い方絶対にしない院長なのに・・。間違いなく会長がらみの用事だわ。)
院長室から戻ってきた柏崎に職員たちが群がった。
「どうだった? やっぱり会長がお見えになるの?」
この世の終わりが来るかのような顔で、職員たちは柏崎の答えを待つ。
「ううん、どうやら違うみたいよ。でも会長がらみの案件なのは間違い無さそう。」
「はぁ~、よかったぁ。じゃあ早速警報を解除しなくちゃ。」
この世の春が来たような顔をして、職員たちは一斉に安堵した。
『南雲総合医療センター』に竜崎 赤斗が来訪する度に、職員の何人かは減給や降格の憂き目にあってきた。
確かに職員たちに落ち度は有ったが、普通の会社なら始末書で済まされるミスだった。でも、それが赤斗の指摘によるものは厳しく罰せられた。たとえそれが理事クラスの者であってもだ。
普段は気立てのよい職員思いの南雲 颯は、赤斗のこととなると豹変し、時には般若と変わる。それを身をもって知る職員たちにとって、竜崎会長はゴジラだった。ゴジラは人類の敵か味方か、会長は職員の敵か味方か、まさにそれだ。
会長来訪の可能性あり、という時に出される警報(一斉メール)は、柏崎の言により解除され、職員たちは安心して業務に戻ったのだった。
「律、確か颯は今センターに居るんだよな。外出の予定とか知ってるかね?」
「はい。先ほど随行の話をしたとき、今日は一日センターに居るからいつでも連絡してちょうだい、と言ってました。」
「そうか。では今から颯のところに行くので、蘭に車を出すよう言ってくれ。」
「かしこまりました、主様。私もちょうど業務が一段落しましたのでご一緒してもよろしいでしょうか? 久しぶりに颯に逢いたいですし、センターも見たいです。」
「よいよ。では車を頼む。」
「ありがとうございます! それでは颯にこれから伺うと連絡を入れますね。」
「颯が居ると分かってればその必要はない。私が行くと知ればアイツは大袈裟になるからな。」
南雲総合医療センター職員の命は、風前の灯火だった。
渋谷区にある南雲総合医療センターに着くと、赤斗たち三人は受付カウンターの前に立った。
「院長に逢いに来たのだが、勝手に行っていいかね?」
下を見ながら何やら作業をしていた受付係は、顔を上げて赤斗を見て言った。
「南雲院長にですか? アポイントはお取りでしょうか?」
その言葉を聞き、律の顔が無表情に変わる。
蘭は、やっちゃったなこの受付係、と言いたげな顔をした。
「いいや、アポは取ってないんだ。すまんが院長に取り次いでくれないかね。」
「それは困ります。規則ですので──」
「出たーーーっ!!!」
静かでなければならない病院に絶叫が轟いた。
席を外していた別の受付係がブースに戻り、赤斗を見た途端叫んだのだ。
何が出たんだ?と訝しげに赤斗は後ろを振り返ると、そこには無表情の律がいた。
「律の無表情が幽霊にでも見えたのかな? なぁ、蘭。」
「いや~、あの驚きは幽霊よりももっと怖い怪獣とかに出くわしたって感じですね。」
「怪獣? そりゃ律が可哀想だぞ?」
「律姉じゃなくて主様を見て驚いたんですよ。」
「よ、よ、ようこそおいでくんな! 竜崎会長ー!」
かなりおかしな挨拶を受付係がした。
竜崎会長と先輩が言ったのを聞いた途端、赤斗が最初に話しかけた受付係の目はみるみる開き、そして、みるみる青ざめていく。
「突然お邪魔してすまんが、颯に取り次いで貰えるかね。」
「は、はいー!」
「んー、やはり連絡しとくんだったな、律。」
「主様のお顔を存じてないとは、おそらく彼女は入ったばかりの新人でしょう。たとえそうだとしても・・不快です。」
無表情のまま律は言った。
受付係が内線で颯に赤斗来訪を告げてから、二分も経たずに裸足の颯が駆けて来た。
「あ、主様! どうしてここに? 律姉さんや蘭ちゃんも。」
「颯、私たちの主様は、いつからアポを取らなければ従に逢えなくなったの? 答えなさい。」
無表情のまま自分を問い詰める律に異変を感じた颯は、受付ブースを見るとそこには新人受付係が真っ青な顔で硬直していた。
さすがに天才脳外科医だけのことはある。颯は新人受付係の様子を見て全てを察した。
普通の上役ならこの状況で言うことは、おそらくこうだろう。
「申し訳ありません。新人ゆえどうか大目に見て許してあげてください。」
しかし、南雲 颯の顔はいつの間にか『般若』に変わっていた。
「主様がアポをお取りにならなければ私たちにお逢いできないなんて、天地がひっくり返ってもありえないわ、律姉さん。」
「新人とはいえ『R.U』の会長、そして男爵位でいらっしゃる主様のお顔を存じてないとは・・。それもみな教育係、そしてその上役の責任ね。万死に値するどころじゃないわ。」
般若と無表情の妖人二人が、同時に新人とその先輩受付係を見た。
見られた先輩受付係は、蛇に睨まれたカエルという言葉がぐるぐる頭を回り、ついに失禁した。
「よし、そこまでだ。律に颯。」
主の言葉に、二匹の妖怪はハッと我に返った。
「新人君なら私の顔をよく知らなくても仕方ないじゃないか。そう目くじらを立てるな。さぁ、さっさとお前の部屋に行こう。」
「はい!主様。どうぞこちらへ。」
颯は受付係の二人に一瞥もくれず、赤斗たちを連れ立って院長室へと向かった。
赤斗が受付ブースから遠ざかると、わらわらと職員たちが現れ、とんだ災難だった受付係の二人の元へ集まった。
「会長はお見えにならないと言ったのは誰よ!」
「これは大変だ。筆頭秘書まで来ていたぞ。」
「確実に責任者の馘が飛ぶなぁ。」
職員たちはそれぞれ途方にくれた。
「二人とも、大切な職員を怖がらせてどうするのかね。」
「申し訳ございません、主様。」
「まぁよい。というのは前から薄々気付いていたが、どうやら原因は私にあるようだな。」
「主様が原因・・、なぜでしょうか?」
「お前ねぇ、出たーって叫ばれれば普通分かるだろ。職員たちからすれば、来てはいけない竜崎 赤斗が現れてしまったんだよ、センターに。それが職員たちにとって恐怖以外の何物でもないってことさ。違うか?」
「うん、あれはどう見ても恐怖でしたね。」
蘭が面白そうに言う。
「さて、颯よ。正直に話せ。どうして私に脅えてるのだ?」
颯は正直に減給や降格のことを赤斗に説明した。
「それだな。そんなことすればお前より私の方が怖くなって当然だ。私をゴジラみたいな怪獣にしないでくれ。」
「申し訳ありません!」
「今後は私のことで減給や降格などの処分をしないこと、分かったな?」
「仰せのままに、主様。」
「分かればいい。さて、今日お前に逢いに来たのは、イギリスでお前と瑠璃子にやってもらいたいことが出来たためだ。」
「御心のままに、主様。」
「うむ、では律と蘭も聞け。二人にやってもらいたいことは──」
一時間後に院長室を出た四人は、律の希望もありセンター内を見学したが、途中で先ほどの受付係とその上役が赤斗に謝罪するために現れた。
「会長、この度は──」
赤斗は最後まで聞かずに言った。
「謝罪はむしろ私がしなければならんよ。事情は颯から聞いたので、過去に減給や降格処分を受けた職員への対処は、この律に内容を精査させ私の権限で行うことを約束する。それで許してもらえないだろうか?」
「許すなんてとんでもありません! 会長の良いようにお願い致します。」
「うむ、感謝する。」
その後も見学を続けた赤斗たちだったが、やがて颯に別れを告げ『R.U』本部へと戻った。
この日を境に、職員が赤斗をゴジラと呼ぶことはなくなった。
天災は忘れた頃にやってきましたねー。
しかし無表情と般若、貴方ならどちらが怖いですか?(笑)




