エリザベス女王と『R.U』 2
宴会翌日の午後、エリザベス女王の女官であるマーガレットは『R.U』本部を訪れていた。
目的は『R.U』への表敬と、里奈にエリザベス女王の嗜好を伝え、デザインをする上で参考にしてもらうことだった。
第二秘書の佐々 理子に応接室へ案内され、マーガレットは紅茶を飲みながら、馬飼 里奈と『R.U』の会長 竜崎 赤斗を待っていた。
やがてノックがあり、一人の女性が入ってきてマーガレットに言った。
「お待たせして申し訳ありませんでした。ミス マーガレット。」
ややドイツ訛りがあるが、ほぼネイティブに近い英語で筆頭秘書の羽根川 律が挨拶をする。
日本人はよく外国人の顔の区別がつかないと言うが、外国人から見ても日本人の顔は区別しづらいのは同じこと。
だが、この流暢な英語を話す女性は明らかに美しく、そして、知性に溢れているとマーガレットは感じた。
「日本語を話せますか?」マーガレットに羽根川 律は英語で訊いた。
「日常会話程度なら問題ありませんわ。」
「ではこれからは日本語で失礼致します。私は会長の秘書をしております、羽根川 律と申します。律とお呼びください、ミス マーガレット。」
「『R.U』会長、竜崎 赤斗と担当デザイナーの馬飼 里奈をお連れ致しました。」
「会長、どうぞお入りください。」
「はじめまして。ミス マーガレット。」
「こんにちはー。お会いするのは初めてですね、マーガレットさん。」
赤斗と里奈がそれぞれ挨拶をする。
(何だろう?これは・・。)
赤斗と握手をかわしながらマーガレットは不思議な違和感を感じる。
(この人、色が薄い・・・?)
まるで色盲になったみたいに、マーガレットには赤斗の身体だけ色が薄く見えたのだ。
思わずマーガレットは瞬きを繰り返し、もう一度赤斗を見るがやはり薄かった。
「どうかしましたか?ミス マーガレット。」
「い、いえ、なんでもありません。ミスター竜崎 」
「そうですか、ならいいのですが。ミス・・・」
「マーガレットでよろしいですわ、ミスター竜崎。」
「なら私も竜崎と呼んでください、マーガレットさん」
「分かりました、竜崎さん。ではよろしくお願いいたします。」
次にマーガレットは里奈と握手を交わす。
「マーガレットさん、もしかして何か見たの?」
「えっ!?何をでしょう?」
「会長の色。見たんでしょ。」
マーガレットは何て返したらいいか分からなかった。むしろ竜崎 赤斗に色を感じなかったからだ。
「よしなさい、里奈。マーガレットさんは困っている。」
「はーい、会長。ごめんなさい、マーガレットさん。」
「大丈夫よ、里奈さん。よろしくね。」
最後に律と握手を交わし、皆それぞれ席に座る。
それからマーガレットと里奈がデザインについてあれこれ話し合ったが、マーガレットは半分竜崎 赤斗のことを考えていた。
(あれは一体なんだったの?竜崎 赤斗と言ったわね。)
身長は日本人にしては高い方だ。顔はそれといった特徴はないが、悪い印象はない。第一印象はそれだけの人物だ。
(だけど、あのビジョンは何だったのだろう?今は正常に見えるということは、やはり一時的なものだったのかしら・・・。)
打ち合わせを終えたマーガレットは、これからのスケールを確認し『R.U』を後にした。
帰り際に羽根川 律が英語でマーガレットに囁いた。
(貴女が見たものは真実よ)と。
(私は見てはいけないものを見てしまったの?)
マーガレットは『R.U』に赴いたことを、いや、竜崎 赤斗に会ったことを後悔していた。
十数日間を掛けて『LOVE.RED』チーフデザイナー 馬飼 里奈は5点のラフデザインを仕上げ、赤斗に評してもらうべく『R.U』本部を訪ねる。
「私にドレスのことなど分からんよ。」と一度は本部に来ることを赤斗に断られたが、じゃあ姉たちに見てもらいたいと駄々をこね、結局は本部に行けることになったのである。
里奈の中では、エリザベス女王のドレスより主に逢えることの方が大事なのだ。
─── 一方その頃。
エリザベス女王はバッキンガム宮殿の私室で、BBCテレビのドキュメンタリー番組を観ていた。
番組の内容は、アメリカのハーバード大学を非常に優秀な成績で卒業したにも拘わらず、日本企業の一秘書になったある女性のドキュメンタリーだった。
アメリカから去ってしまったことで、当時は「ケネディ大統領以来のアメリカの損失」とまで言われたこの女性こそ、まさに竜崎 赤斗の筆頭秘書 羽根川 律であった。
だが、番組には律のインタビューなどの類は一切なく、経歴の紹介、大学時代の友人やゼミの教授のインタビューなどで構成されていた。つまり、本人の知らないところで作られたような内容であった。
しかも番組後半には、現在の律の姿が「隠し撮り」されて流されていた。
どうやら、イギリスはプライバシーに関してあまりうるさくないらしい。
そんなゴシップ要素の強い番組をわざわざ女王が観ているのは、羽根川 律という女に興味があったからではない。遠いアジアの日本にいる女のことなどどうでもよい。ただ、女官のマーガレットが日本に滞在中なので、何とはなしに観ていただけだ。
(素晴らしい着物文化があるのに、西洋かぶれした日本人にドレスなどデザインできるのかしらね?)
マーガレットの訪日に疑問を感じているのだが、なぜか昔からこの女官のことは信頼できた。
そんなことを考えながらテレビを観ていた女王が、ある場面でかすかに目を見開いた。
日本人の男が写し出されてから数十秒間、画面が急にモノクロになったのだ。
イギリス女王の私室にあるテレビモニターに、そのような不具合があるはずはない。
女王は何かの見間違いだろうと思うことにした。
(でも、今のビジョンは何だったのかしらね。)
イギリス本国にいるエリザベス女王と、極東の日本にいるマーガレットは、奇しくも同時刻に同じことを考えていたが、そのことをお互いに知ることは無かった。
『R.U』本部では赤斗たちが里奈のラフデザインを見ていた。
赤斗はとりあえずそこにいるだけだったが、律や理子といった面々は真剣にラフデザインを見ていた。
特に何かの結論を出すための集まりではないので、結局は何の議論もなしに「いいデザインじゃないか。」という赤斗の一言で終わった。
あとはこのラフデザインをマーガレットに渡して結果を待つだけだ。
結果は神のみぞ知ることになるが、今日集まった面々の中に『神』がいるとは、本人も含め誰もその事実を知る者はいない。
その神はラフデザインを見ながら思った。
(これなら女王も気にいるはず。)と。
イギリス本国に向かう旅客機の中で、エリザベス女王の女官マーガレットは、馬飼 里奈から渡されたラフデザインを見ながら考えていた。
(LOVE.RED は赤を基調にしたデザインが特徴と聞いていたけど、今回のデザインは赤色を抑えてるわね。さて、女王陛下はお気に召されるかしら。)
マーガレットは当然のことながら、自分が選んだLOVE.RED が選ばれることを望んでいた。
自分は女王に仕えるのだから、女王の役に立ちたいと願うのは当然として、もう一つの理由にあの竜崎 赤斗にまた会ってみたい、という思いがあったからだ。
空港に着き、マーガレットはすぐにバッキンガム宮殿に入り女王に謁見した。
「ただいま戻りました、陛下。」
「ご苦労様、マーガレット。日本の旅は如何でしたか?」
「はい、特に変わったことはありませんでしたが、少し不思議なことがありました。しかしながら、陛下のお耳に入れるほどのものではありません。」
「そう。ところであなたが選んだデザイナーはなんといったかしら?」
「はい、LOVE.RED という名のメーカーブランドです、陛下。」
「LOVE.RED?最近どこかで聞いた気がする名ね。はて、どこだったかしら。」
「まぁいいでしょう。今日はもう休んでゆっくりしなさい。明日の午前中に各デザイナーから提出されたデザインを見ることにします。」
「お心遣いありがとうございます、陛下。ではマーガレットは休ませて頂きます。」
翌日になり、エリザベス女王のデスクの上に何十点ものラフデザインが置かれていた。
デスクの前にはマーガレットをはじめ、女王の命でデザイナー探しに奔走した者たちが待機している。
この度の選考は公平を期すため、どのデザインがどこのブランドのデザイナーか分からないようになっている。
一通り全部のデザインを見た女王は、その中から数点を選び、待機している者たちに告げる。
「これらのデザインを最終候補とします。私が選んだデザインの担当者のみ残り、あとは下がってよろしい。」
女王が提示したデザインの中には、馬飼 里奈のデザインがあり、それを見たマーガレットは表情には出さないが安堵した。
その後、最終選考に残ったデザインがどこのデザイナーのものかを明らかにし、最終的に女王が一つのデザインを選ぶ。
三番目に里奈のデザインが提示され、マーガレットは女王に言う。
「そのデザインは私が日本のLOVE.REDというメーカーブランドに依頼したデザインです、陛下。」
「なるほど、これがそうね。東洋のイメージをそこはかとなく感じたので、もしかしたらと思ったけど。」
「さすがは陛下。まさにその通りでございます。」
「お世話はいらないわ、マーガレット。では、このLOVE.REDというブランドについて詳しく教えて。」
マーガレットはLOVE.REDと馬飼 里奈について知っていることを女王に話した。
LOVE.REDは『R.U』と呼ばれるカンパニーユニオンに所属していること、『R.U』は竜崎 赤斗という男が会長として率いていること、等々。
「待って!マーガレット。今、竜崎 赤斗と言ったかしら?」
「はい、陛下。その通りでございます。」
エリザベス女王は先日観たドキュメンタリー番組を思い出した。
「マーガレット、あなたはその竜崎という男に会ったのかしら?」
「はい、会いました。」
「そのとき秘書は一緒にいて?」
「はい、おそらくゲルマン系のハーフと思われる女性秘書がおりました。」
(ハーフ?どうやら間違いなさそうね。)
「諸君、此度のドレスのデザインはこの作品に決めました。」
女王の手には馬飼 里奈のデザインがあった。
「マーガレットを残し、他はみな退室しなさい。ご苦労様でした。」
午後のティータイムで紅茶を飲みながら、エリザベス女王とマーガレットはお互いに体験したことを話していた。
「マーガレット、どうやら私たちとその竜崎は、共通した何かがありそうね。」
「はい、陛下。私もそのように感じております。」
「よろしい。では早速デザイナーとその竜崎を我が国に招待なさい。最終打ち合わせを行います。」
「はい、仰せのままに。陛下。」
「それから、ロバート。MI6に命じ、『R.U』の会長、竜崎 赤斗の身辺調査をさせなさい。もちろん極秘でね。」
女王は側に控えている執事長のロバートに命じた。
「マーガレット。竜崎の秘書も一緒にということを忘れずに。」
「かしこまりました、陛下。」
マーガレットはこれから何かが起きそうな予感がして、陛下の身にだけは何事も無いようにと神に祈っていた。
読者の皆さんには誰が「神」だか分かりましたかね。
この物語を最初からきっちり読んだ方には分かるようになってますよ。
転生物だから当然この物語はフィクションですが、神の部分は事実に基づいています。
あっ、もし分かってもしばらくは内緒にして頂けると助かります。




