悪魔の子 5
清水は当時のことを思い出しながら考えていた。
あの助けた少年が加害者側の人間である可能性についてだ。どう考えてもあるはずがない。彼は偶然通りかかった自分が助けなければ、確実に殺されていたのだから。
「それからどうしました?」
清水が震える彼を抱きかかえて泣いたところまで話し終えたとき、立石がそう尋ねてきた。
「彼を連れて泊まっていたお寺に戻りました。住職さんから警察に連絡を……」
「寺に戻るまで、ずっと一緒でしたか? 途中で彼が引き返したなんてことは?」
「……え?」
「どうなんですか?」
「ありません。森を出るまでは暗かったので、手をつないで歩きました。少し大きな道に出た後は、手をほどかれ、後からついてくる形になりました。知らない人といつまでも手をつなぎたくなかったのでしょう。でも、彼がいなくなったことなどありませんでした」
「寺に戻った後はどうでしょう? ずっと一緒にいましたか?」
「住職の奥さんが警察がくるまで面倒みてくれていたと記憶しています。正直、僕自身自分のことで精一杯の状態でしたから」
立石は腕を組んで考え込んだ後、頭を掻き始める。
「何か気になることでもありましたか?」
「はい……清水さんは富田タケル、当時の山本猛を助けるため彼の祖父山本満を角材で一発殴った。しかし、警察の捜査では数度殴って殺害されていると判明した。清水さんは自分の記憶違いだと考えたようですが、そうでしょうか? まだ生きていた山本満を別の誰かが殺したというようなこともありえます」
清水は背中に冷たいものが走るような感じを受け、背筋を伸ばした。
「まさか……何のために?」
「山本満を殺人鬼としてでっち上げるためです。息子夫婦を殺した真犯人の手によって」
「馬鹿馬鹿しい。それが当時八歳だったあの少年だというのですか? ありえません」
「そうでしょうか? 刃物を使えば子供でも人は殺せます」
「警察はどうなんですか? もしそうなら、警察が見逃すはずがありません」
立石は目を伏せてため息をついた。胸ポケットに手をやり、煙草を取り出してまた引っ込める。
「近頃はどこも禁煙禁煙で喫煙者は苦労しますよね。病院にいると吸えないから辛いでしょ?」
「ええ、まあ……」
清水はごくりと唾を飲み込んだ。
それには同意できる。退院してまず何をしたいと尋ねられれば、ビールと煙草だと答える。
「世の中、少しずつ変わっていきます。警察だって科学的な捜査が随分と進んでいます。昔に比べれば随分進歩しました。だからといって間違いを犯さなくなったわけではありません。所詮、人間のやることです。その証拠に、誤認逮捕や冤罪事件がなくならないじゃないですか」
「そう……なんですか?」
「ええ。山本満が犯人でない根拠はまだあります。動機です。彼に息子夫婦を殺害する動機がない」
「それは精神病を患っていたからでは? 警察からはそう聞きました」
「いえ、精神科の病院に掛っていたわけでもその兆候が確認されたわけでもありません。彼は村の大地主で有力者、偏屈で横柄な態度から他の住人から嫌われていたようです。精神異常者だったというのもその辺からでたデタラメだったのではないかと思われます」
「そんな馬鹿な……それじゃあ」
「ええ、ずさんな警察捜査による冤罪事件の可能性があるということです」
「清水さんの年代だと『オーメン』というアメリカ映画ご存じですよね?」
立石はボイスレコーダーをリュックにしまい、窓辺に立って外の景色を見ていた。
混乱していた清水はしばらく意味が解らず沈黙していたが、やっと「え?」と応える。
「大人になってからレンタルで見たんです。ホラーミステリーといった感じの古い映画です。見たことあります?」
その映画なら子供の頃に見た記憶がある。
「ええ、あります。当時としては衝撃的な映像で怖い映画でした。内容はあまり覚えていませんが」
「ラストの場面ではこうです。わが子が悪魔の子だと知った父親は、教会から授かった聖なる剣で殺そうとします。しかし、駆けつけた警察官の手によって父親は射殺され、悪魔の子は生きながらえる」
「ええ、思い出しました。確か、そんな内容だったと思います」
「警察官に罪はない。彼らがやったことは正当な行為です」
立石がなぜこんな古い映画を持ち出したのか、やっと理解できた。
「僕がその警察官と同じだと言いたいんですね」
立石は窓に寄りかかり、腕を組んで話し始めた。
「富田タケル、当時の山本猛が犯人である。そう想定した場合の仮説を推理してみます。山本猛は大地主の一人息子として生まれたため、このまま一生この村から出られないと考えます。親からそういうプレッシャーを与えられていたのかもしれません。また、東京に子供の恵まれなかった親戚夫婦がいることを知ります。両親と祖父が死ねばこの田舎暮らしから都会の生活にいけると考えた山本猛は、ある夜、寝ている父と母を殺害、後は祖父である山本満を殺す計画だったところ、騒ぎに気付いた彼によって逆に取り押さえられる。両親を平気で刺し殺した残忍な孫をこのまま生かすことはできないと考えた山本満は、彼を殺そうとした。だが、たまたま通りすがった大学生によって阻止される。山本猛は考えた。この状況なら、山本満を殺人鬼と仕立て上げることができる。そのためには、完全に息の根を止める必要があると大人たちの目を盗んで家に引き返し、殺した」
自分の考えに酔っている。あまりにも強引な仮説だと清水は思っていた。子供が親を殺す動機が田舎暮らしが嫌だから、都会暮らしに憧れていたからでは、あまりにも弱すぎる。そんな理由で子供が親を祖父を殺せるはずがない。
「そんな仮説より、山本満が精神異常者だったとした警察のほうが納得いくものだと思いますよ」
「まあ、そうでしょうね。僕もそう思います」
意外にも立石はあっさり引き下がり、頭を掻いて苦笑いを浮かべた。
「でも、まだ調査をはじめたばかりです。この事件には何かある。必ず真相を突き止めてみせますよ。清水さんもなにか気付いたこと思い出したことがあったら連絡ください。名刺に携帯番号ありますから。今日はありがとうございました」
立石はリュックを担ぎ上げた。
「これから、どちらへ?」
馴れ馴れしい態度、だらしない恰好、自分勝手で独りよがりなものの考え方……どれも清水を不快にさせるものだった。だが、立石が帰ろうとするその後ろ姿に声を掛けずにはいられなかった自分がいた。どこか憎めない男だと感じていたのだった。
「二、三日は名古屋周辺で仕事です。それから京都へ行きます」