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通りすがりの殺人者 2

 東京の郊外にある古いマンションの見張りを続けて五日が過ぎた。

 街路樹の日陰となるベンチで、生ぬるくなったペットボトルのお茶を傍らに置いた清水正雄は、ただマンションの出入口を見つめている。

 意外であった。

 数年前まで来ていた年賀状の一番新しい住所。まだ俳優としては駆け出しだった頃の富田タケル、現在の本名栗原猛の住所がこのマンションの四階の一室となっていた。事務所も大手に変わり、ある程度の成功を収めつつある芸能人の住処としては相応しくない。当然、もうここには住んでないだろうと郵便入れを確認すると、鍵も壊れたまま、「栗原猛」の郵便物がある。まだ、ここに住んでいるようだった。

 清水にとって唯一の手がかりと言ってもいいものを頼りに東京まで来たのだが、無駄足にならずに良かった。良かったのだが……。

 立石から聞いていた情報では、養父母の遺産と保険でお金を得たことになっている。仕事も順調でしっかり稼いでいるだろうから、もっと高級で最新の設備が整っているところにだって住めるだろう。プライベートに気を使わなければならない芸能人なら、なおさらセキュリティのしっかりした所にすべきである。他人に郵便物を盗み見られるようなところに住むのはなぜなのだろうか。

 疑問な点はあるにせよ、清水にとっては好都合であり、富田タケルを殺すチャンスがあるのはもうこの場所しかないとさえ思っていた。

 眠れない日々を送っていた。

 深夜あるいは朝方まで見張り、古いラブホテルや二十四時間営業の飲食店で仮眠する。

 日に日に病人のような顔つきに変貌していく鏡越しの自分に、そういえば末期がん患者だったとツッコミを入れる。そんな生活だった。

 もうあまり時間がないかもしれない。

 名古屋のラジオ局での失敗が頭に浮かぶ。

 なぜできなかった。

 覚悟を決めたつもりだった。だが、足りなかった。子供の姿を見た瞬間に、二十四年前のことがフラッシュバックのように頭を流れた。あんなに必死で守った。安堵して涙を流した。あれが間違いだったと思いたくない自分がまだいたのだ。

 そして、殺人者になるという恐怖を拭いされていなかった。

 清水は顔を両手で覆った。

 目の前に富田タケルが現れた時、迷いなく彼を殺せるのだろうか。

 だが、やるしかない。殺るしかないのだ。


 太陽の位置が変わり、西日が清水の身体を覆った。

 蝉の声がヒグラシに変わっている。場所を移動しようとペットボトルを手に立ち上がったところで、マンションの出入口の方を見た。

 学校の制服を着た女子高生とおぼしき女性がこちらを見ている。

 瞬間的に清水は目をそらした。怪しまれたかもしれない。いまの自分は不審者そのものといっていい風貌と行動をしている。警察に通報されたりしたらやっかいだ。いま、捕まるわけにはいかない。

 ペットボトルのお茶を飲みながら、再び女子高生を見やる。どこかに電話しようとしているのが見えた。清水は平静を装いつつ、マンションとは反対側に歩き出す。

 周辺住民に怪しまれ出したのかもしれない。なにか別の方法で見張りを続けなければと清水は考えながら歩いていた。ふと再び視線を感じ、道路の反対側の歩道に立つ人影を見る。

 髪の長い若い女性で、中袖の黒いティーシャツにチェック柄のミニスカートからは細身の生足が長くのびていた。胸の前で腕を組み、怪しげな目つきでこちらをじっと見ている。

 思わず見とれてしまいそうになるほどの美しい立ち姿だったが、清水は目をそらして歩を速めた。ここの住人だろうか。やはり、相当不審がられているようだと感じていた。


 どこまで歩いただろうか、もうすっかり日が暮れていた。

 公園を見つけ、中に入る。なるべく人の来なさそうなベンチを探し、一息ついた。

 心臓の鼓動が激しい。気分が悪い。目が回りそうになる。

「もう、すっかり病人だな……」

 清水は無理やり笑顔を作ろうとして、そのままベンチの陰で吐いた。胃液の酸味がする。急に寒気を感じて震える。背もたれに頭を押し付け、うずくまった。


 脈も気分も落ち着いたところで、清水は顔を上げた。

 なにか聞こえた。

 人が争うような声、物音……二十四年前に聞いた女性の悲鳴を思い出す。

 清水は立ち上がって、その物音の方へと歩いて行った。歩きながら、なぜ自分はまた首を突っ込もうとしているのか不思議に思っていた。あんな目にあったのに、そして今もこんなに苦しんでいるのに、また、誰かを助けようというのか……。

 公園の林の中に入ると暗闇が一層深くなった。

 だが、見つけた。

 木の根元にガタイのいい男がうずくまっている。その下に、女性とおぼしき白い足がのびていた。瞬間的に理解した。男が女性を襲っている。

 よく見ると、男は何かを持っている。刃物だった。刃物で女性を脅しているのか、それとも刺すつもりでいるのか。清水はポケットからナイフを取り出し、走っていた。

「うわああああ」

 思わず叫んでいた。だが、これが間違いだった。

 男は清水に気付き、ほとんど体制を変えないまま清水の腹部に右足をめり込ませた。

 激しい痛みとともに清水はうつぶせに倒れた。飛びそうになる意識を必死で押さえ、顔を上げる。

 男は立ち上がりこちらに向かってくるように見えた。

 終わった。もう、ここで死ぬんだと清水は覚悟した。結局、なにもできないまま名も知らぬこの男に殺されて終わる。

 本当になにもできないままに……。

 だが、霞がかった視界のなかで、男が崩れ落ちるように倒れるのが見えた。

 え?

 倒れた男の首筋が目の前にあった。その首筋から噴水のように黒っぽい液体がほとばしっている。清水の顔にもその生温かい液体がかかっていた。

 血?

 血の噴水の向こうに女性の生足とチェック柄のミニスカートが見えたような気がしたが、清水はそのまま意識がなくなっていた。

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