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どこにもなかった風景、経験しなかった思い出

フイルムを焼く

作者: あめのにわ

アルヒーフは石造りの古い建造物であり、その二階にあるやはり古ぼけた一室が、彼女の仕事場だった。


その部屋には、膨大な数の映画フイルムが毎日運ばれてきた。

彼女は慣れた手つきで、ていねいにしかし手早く、フイルム缶からフイルムを取り出して編集機にセットする。

そして編集機のモニタを見ながら、指定箇所までフイルムを回してゆく。

メモを見て、その箇所を確認したあと、スプライサーでその箇所を切り取るのである。


指定箇所のメモは、事前に検閲官が記入してフイルムに同梱されて運ばれてくる。

ほとんどは、いわゆる西側的表現であり、つまり資本主義的すぎるとみなされた部分であった。

フイルムは芸術映画や娯楽映画が多かったが、ニュース映画も時折混じっていた。

その場合は、ソヴェートに対する批判的な論説などが対象になった。


編集機にかけられたフイルムはつねに早回しされる。

映像が喜劇的な速さで動き、早回しの音声がキュルキュルと走る。

彼女はまるで編集機の一部となったかのように、表情もなく、ひたすら指定された部分をカットしてゆくのであった。


彼女は検閲箇所について決して話すことはなかった。

同年代の同僚女性とたまに昼食に出かける時も、フイルムの話をすることはなかった。

彼女は独り暮らしであったが、自宅で仕事について不平を漏らしたり、なにか独り言を言うことすらなかった。


もし自分が不用意に検閲内容を漏らしたならば、すぐさま同僚はそれを秘密警察に密告し、「点数を上げる」だろう。

また、自宅の壁の中にはマイクロフォンがあり、それが常に自分の独り言を録音しており、その内容も逐次調べられているはずだった。

もし自分が密告されたり、独り言とはいえ問題発言を録音されてしまったりしたら、自分はこの仕事を続けることは出来なくなる。いや、それどころではない。この社会でもはや生きてゆけなくなるのだ。

彼女はそのことをよく知っていた。


仕事場にはときどき上司の主務検査官がやってきた。

主務検査官はソヴェート留学帰りの女性で、ロシア語をほぼ完璧に扱うことができるインテリであった。

部屋の窓ぎわ、ストーブの横には簡易焼却炉が設置されていた。主務検査官は、廃棄箱に集積されたフイルムの断片をゴミのようにちりとりの中に集めると、焼却炉の蓋をあけてまとめて放り込んだ。

フイルムは火の中でたちまち燃え上がり、ちぢみ、灰になった。

主務検査官はそれを「物理的処理」と呼んでいた。


しかし、ただひとつ。

彼女だけが知っていることがあった。


焼かれたフイルムは、すべてダミーであった。

似ているが、少しだけ異なるコマが切り取られ、廃棄箱に送られていた。

本当に残したいフイルムは、切り取られたあと、別の箱にひそかに収められていた。


それは、決して知られてはならない記録である。

おそらく、彼女が生きているかぎり、それらは開かれることはない。

しかしそれらは、確実に存在しているのであった。


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