時代遅れの剣聖
気軽にやっていくので、どうぞよろしくお願いします。
「――君には今日をもって魔王軍との戦線を外れてもらう」
「はっ?」
鎧姿の少女は一瞬何を言われたか分からないという顔で上官に向かって素っ頓狂な声を出してしまう。ここは数十年前より続く魔王軍と人間との争いの最前線、要塞都市であり彼女たち兵士が常駐している都市である。
そして上官にとある一室に呼び出された少女は、突然の事態に状況が飲み込めず混乱していた。
「な、何故ですか? 私の体にはどこも異常は……」
「昨日の戦闘で、君は何体の魔物を倒した?」
「……17体です」
恐る恐るといった様子で答えると、少女の上官は羊皮紙の上を走る羽ペンの手を休めて顔をあげた。
「昨日の戦闘で初めて動員された魔術師隊は、総数三百二十体の成果をあげたそうだ」
「そ、それはしかし総数で!」
「そう、確かに個人の中で君に勝るものは少ないだろう。だがこれからの世は魔術が主力になる。戦場を駆けまわる剣士は魔術師の邪魔にしかならん」
きっぱりと言い切ったその言葉は彼女、剣聖セリア・ペンドラゴンへの戦力外通知だった。最近になって開発された魔術、今まで剣や弓が主力であった人間にとって驚異的な発明と言っても過言ではなかったが、これほどの成果を出していたことはセリアを驚愕させた。
隊列を組んで広範囲へ魔術を用いる魔術隊と魔物に肉薄して戦闘を行う剣士、その相性の悪さが分からないほどセリアも馬鹿ではない。
だからこそその噂を耳にしたセリアはこれまで以上に戦果をあげようと戦場を駆けたというのに。
「明日この戦線にも魔術師隊が導入される」
兵士とは公職であり、それらを動かすのは国である。そして魔王率いる魔物との戦闘を続けている王国には、無能な兵を養っている余裕などない。
剣聖セリアがクビになることも至って合理的なことだった。
「しかし君ほどの才能持つ者をこのまま追いやるのは惜しい。そこで君には主戦線から外れた後にもその力を発揮してもらいたい」
そう言って投げ渡されるように足元に広がった一枚の羊皮紙を、セリアは無言で見つめる。
「新しい配属先だ。君の武運を祈っているよ」
それから数日後。
「やっと見つけた、カルス村……。全くなんで私がこんなところに……」
王国の辺境、旅人や商人すらもほとんど訪れないような平原地帯に佇むのは純白の鎧姿のセリアだった。
渡された羊皮紙に書かれた場所へ向かってみれば僻地魔物対策員という聞いたこともないような役職へ放り込まれ、人員はセリア一人という絶望的な状況。おまけに予算は無いに等しく初の仕事場への馬車を借りる資金すらなかった。
はっきり言ってしまえば左遷である。
「この地図も結局ほとんど当てにならなかったし!」
彼女が一人でこんな全く似合わない場所に息も絶え絶えで立っていることにも理由がある。
彼女はあくまで騎士ではなく剣聖、生まれてより全ての努力と時間を剣に費やしてきた彼女には馬に乗ることすらもできなかった。
仕方が無いので街道を外れて最短距離で、馬車でも数日かかる距離を半日で走破してきたのだ。剣聖としての力をフルに使った力技である。
とは言っても今の彼女はほとんど無職に近く、昨日までは頼もしく魔を撃ち滅ぼしてきた破邪の聖剣も今では道の草刈りと杖の代わりになっている始末なのだが。
「魔王軍との戦線からも外されて、こんなの体の良い厄介払いじゃない!」
絞り出した怨嗟の声は広大な平原の中へ消えていった。それは誰に向けたものというものではなく、強いて言うならば時代の波に向けたものであり言うだけ無駄な類のもの。
だからセリアはしばし頭を抱えた後、自身の頬をパチンと両手ではたいた。
「……よし、文句は終わりよ私。必ず成果をあげて、剣聖を元の地位まで戻してみせる!」
覚悟を決めて杖代わりにしていた聖剣を腰に下げ直して自分の装いを正し、村へと歩み寄っていった。
カルス村は教会を中心として家屋が立ち並び、外周部に沿って畑が作られている一般的な農村である。
「思ったよりも平和なものね……」
生まれ育ちは要塞都市、剣聖としての地獄のような教育を受けた後は最前線に送られ続けたセリアにとっては城壁の外は即ち戦場と無意識のうちに根付いていた。
そんなセリアにとって悠々と広がる草木と、周囲を常に囲っていた城壁がない村というものが新鮮だった。
そのまま外周沿いに散策していると、ちょうどある畑の一角で鍬を担いだ青年が目についた。革製のズボンに目の粗い褐色のマント、そして手袋に長靴というオーソドックスな農民の格好。
実際に見たことは初めてでも知識としては知っていたセリアは、ひとまずこの村の住人だと判断して声をかけようと近づいていく。
が、あと少しというところでセリアの足が止まった。
「……こういうとき、どうやって声をかければいい?」
剣聖は頂点に立つもの、孤独であるものだ。そう元剣聖である父に教育されてきたセリアは、これまでの人生を何の疑いももたずにそうして生きてきた。
実際セリアはほとんど人と話す機会などなかったし、用事があれば向こうの方から話しかけてきた。自分から見ず知らずの人間に話しかけるなど記憶にある限りほとんどない。
しかし今はそうではない。剣聖は頂点から引き摺り降ろされ、無能の烙印を押されてしまった。
何かいい案はないかとしばし思索するが、特に良い案も浮かばずになるようになれ! と青年へ歩み寄った。
「そこのあなた、この村の住人ね?」
「はい、そうですが……」
青年は軽く眉を動かして驚いた反応を見せる。中背中肉の黒髪の青年、年齢は見る限りはセリアと同じほどに見えた。穏やかな目つきだが柔な印象は受けない不思議な雰囲気を纏っていた。
それはただの農村にいきなり不釣り合いな鎧姿の少女が表れるというこの状況でも落ち着いていることからも分かる。
セリアにとってもその方が都合が良い。
「私はこの辺りの魔物狩りに来た者よ。さっそくだけど村長のところへ案内してもらえる?」
「えっと、すいません僕まだ仕事があるもので……。村長の家でしたらあちらの方ですよ」
村の奥の方を指さして、青年はそのままセリアに背を向けて逆方向へと歩き出してしまった。まさか放置されるとは思いもしていなかったセリアは一瞬静止した後、慌てて青年を呼び止める。
「ちょ、ちょっと待って! この紋章が見えないの? 私は戦神からの加護を受けた剣聖、魔物たちの脅威からあなた達を助けるために」
「と言いましても、魔物の被害なんてここ数年ありませんし……」
「えっ?」
「それでは」
予想外の事態の連続に、セリアは茫然と立ち去っていく青年の姿を見送った。
「本当にないの? それどころかここ数年魔物を見たことすらないですって?」
目の前に座る村長へとつかみかかりそうな勢いでセリアは机へと身を乗り出した。対して村長はその反応を困った顔で見つめている。
結局青年に放置された後は自力で村長の家を探し出し、早速仕事に取り掛かろうとした矢先にこれである。セリアの反応も仕方が無いものだ。
「そうですのぉ、ここ数年魔物の姿も見ておりません。一応魔物対策として作ってある柵にも特に異常というものは」
「何か人が襲われたとか、作物が荒らされたとか」
それにしても見たことすらないという状況は少し妙だった。戦線からはかなり外れているとはいえ、自然発生する魔獣すらも見たことがないというのは巨大な聖堂でも村の中にない限りありえない。
再度の問いかけに村長は一度考える素振りを見せた後、思い出したと手を打った。
「そういえば村の者が、時折死神を見ると言うことはありますな」
「死神? それってあの御伽の?」
「はい、ただの噂なのですが夜に畑の方で黒い巨大な鎌をもった影がいることがあると。しかし村の方には実害もないですし、私自身は見たこともありません」
「そう、ですか……」
得たものは真偽不明、どころか真実だとしても実害がないのだから放置しても良いもの。実質的に得られたものは無いに等しい。
その後はあまり長居をするのも悪いと、意気消沈した様子でセリアは村長の家を後にした。
剣聖であるセリアならば帰ろうと思えばそのまま半日もかからず街へ帰ることもできたが、どうにも帰る気力も湧かずに坂へ腰掛けてぼうっと畑を眺めているのだった。
そうこうする間に日は既に落ちかけて橙色の光を放っている。
「こんなところでも私の役目はないのか……」
剣聖。代々人々の憧れの的として最強の名を欲しいままにしてきたもの。
「お父様。私は一体どうすればよいのでしょうか」
薄い赤がかった空へ視線をやる。
その時セリアのお腹から空腹を知らせる音が鳴った。そう言われると朝から何も食べていないことを思い出し、セリアはお腹をさする。
「良かったら食べますか?」
後ろを振り返ると、そこには先ほどセリアを放置していった青年の姿。その手にはライ麦でできた黒いパンがセリアに差し出されていた。
「剣聖が守るべき民から施しを受けるなんて!」
セリアの言葉とは裏腹に、体は素直な返答をした。
「いくら剣聖と言ったってお腹が減れば元気も出ませんし、ご飯を食べなければ死にますよ」
ふっと笑う青年の顔には、侮蔑や軽蔑の視線は全く感じられなかった。そのまま押し付けられるようにしてセリアはパンを受け取った。
「さっきはすいません、畑の仕事は時間が勝負なもので。しかし大変なのですね、騎士様というものは」
「私はもう騎士じゃない」
それほど饒舌ではないセリアは自分が青年の言葉に返答したことに自分でも軽く驚いた。が、青年の独特の雰囲気につられて今まで溜め込んでいた言葉が次々とこぼれていく。
「魔王軍との戦いにおいて、もう剣を持って前線に立つ剣士は不要になった。代わりに魔術師達が主戦力になる」
知性ある人間と一部を除き知性はほとんどない獣のような魔物や魔獣、その差を補っているのが魔物達の使う魔法だった。
遠距離からの攻撃手段が弓や投擲しかない人間と、場合によってはまるで移動式大砲の如き火力を持つ魔法では雲泥の差がある。
「では魔法の解析に成功したという噂は……」
「本当。魔法をより扱いやすく体系化した魔術、今戦線では連日花火の撃ち合いみたい。剣士なんて味方が狙いをつけにくい邪魔でしかない、そうなれば私は当然お払い箱」
個人個人の戦力よりも、より効率的に魔物を倒せる魔術の方がいいと上層部は判断したのだ。
「ほとんどの剣をもつ兵士たちは、新しく設立された魔術院での転職を薦められたわ。手厚い補助付きでね」
「であれば剣聖様も魔術を学べば」
「セリア。セリア・ペンドラゴン」
地方でも名が通っているほどの剣聖と農民には隔絶された階級の差がある。青年は彼女のことを名前で呼んで本当にいいものかと一瞬迷い。
「セリア様は魔術は学ばないのですか?」
「私には全く才能がなかった。いや正確には今まで剣しか振るってこなかった代償か、もう私は剣神の加護を受けているから」
神の加護。それは様々な分野の才能ある者だけが受けることができる力であり、その才を更に伸ばしてくれるものだ。代々の剣聖は皆この剣神の加護を賜っている。
だがこれは大きな危険性も孕んでおり、その分野での人智を超えた力を受ける代償として他の分野での才能を封じられてしまう。
神は浮気を許さない。
だがそれでも剣の才能さえあればいいとセリアは思っていた。剣士の中でも最強と謳われ無敗を誇る最強の剣聖、人々を守護する存在だった。
そんな彼女は――魔術院に入って数か月の元部下に初めての敗北を喫した。あまりにも呆気ない試合だった。
距離を詰める間に麻痺の魔術によって行動不能にされ、あとは遠距離からじわりじわりと削られていくだけ。
魔物の魔法であれば破邪の聖剣が防いでくれるが、人間が相手となるとそれすらも機能しない。
あまりにも屈辱的だった。
「そういえばセリア様は昼間に鎧を着ていらっしゃいましたよね」
「あぁ、これは剣神の加護の力の一つでね」
目の前で瞬きもしない一瞬の間に、セリアの手に籠手が嵌められていた。青年が軽く感嘆の声を上げるが、セリアはそれを自嘲的に笑った。
「常在戦場。効果は見ての通りだけど、もうこんなものもなんの役にも立たない」
「そんなことはありませんよ」
青年からすればちょっとした気遣いの言葉だったのかもしれない。だが、今のセリアにとってその言葉は重すぎた。
「……軽々しく、そんなことを言わないで」
「本当です。セリア様の努力は見ればわかりま――」
「あなたに私の、何が分かる……! これまでの全てを賭けてきたものを否定され、武勲だけを支えにしてきた私の何が!」
腹の底から絞り出すような声と共に感情のままに地面に聖剣を突き立てる。ただそれだけ、魔術でも聖剣の力でもなんでもなくただ彼女の腕だけの力だというのに、轟音と共に目の前の地面に亀裂が何本も走って砂埃が舞散った。
この一撃でさえ非才の身には一生をかけても到達できない領域にある。しかし今の彼女にはそれすらも全く無意味なものだった。
「……ごめんなさい。少し取り乱した」
ついに自分のことすらも制御できなくなってしまったか、とセリアは心の中で自嘲気味に笑う。
「すいません、僕も言葉が過ぎました。でも僕にもセリア様の気持ちは少しわかります、僕も全てを賭けてきたものですから」
「それはどういう……?」
その時セリアの言葉を遮るように、けたたましい鐘の音が村全体に鳴り響いた。
「何事?」
「これは教会の鐘です。しかしこの鳴らし方は……」
少なくともいつもの時報ではないことは明らか。
見れば村の西の方向から何人かの村人が青い顔をして走ってきていた。彼らはセリアの姿を見つけると一目散にこちらへ駆け寄ってくる。
「剣聖様! 魔物が、魔物が柵を破って村の中へ!」
「なんですって?」
先程の鐘は村の緊急事態を知らせるものだ。
「わかった、あなたたちは急いで逃げて。魔物は私が倒す」
「あ、ありがとうございます!」
村人達が逃げるのを見送ってから、セリアは一瞬で全身を純白の鎧に換装し地面に突き刺さったままだった聖剣を引き抜いた。
「君も早く逃げて、囲まれてからでは逃げることもできない」
「騎士さ……セリア様は」
「私は騎士としての務めを果たす」
そう言い残してセリアは剣聖としての力、人体の限界を超えた身体能力を一気に開放して地面を抉るように蹴った。爆発的な脚力によって鎧を着ているとは思わせない速度で村の中を飛ぶ矢のように疾走する。
今の自分に舞い降りた役目、これを逃してはいけないと更に速度は加速していく。
村の端から端までを数秒で駆け抜けて、反対側の外周に出た瞬間に足裏で急制動をかけた。
「魔獣……魔狐か」
村長が言っていた魔物用の柵は燃え上がり、荒れ尽くされた畑には3匹の狐がいた。猪のような大きさまで巨大化し、赤い瞳と体には黒い靄のようなものをまとっていたそれは、魔獣化した狐である。
自然に住む動物たちの中には、負の瘴気に当てられて魔獣となるものが現れる。そういった自然発生する魔物や魔獣たちは基本的には大した力はもっておらず、魔王軍の魔物と比べると弱いと言って差し支えない。
しかし相対する剣聖、セリアの顔には全く余裕がなかった。
「落ち着け。魔狐程度、何度も蹴散らしてきたはず」
破邪の聖剣の輝きに、本能的に魔狐は低い声で威嚇するように唸る。
そのまま両者動かずに静かな時間が流れた。
「――!」
先頭の魔狐が口から炎を噴き出す。魔獣がよく使う基本的な魔法、様々な属性の息吹だ。
しかしそれは聖剣の一太刀によって両断される。魔に由来するものであれば実体があるかないかに関わらず干渉し、祓う力を持つ聖剣である。
簡単に切り捨てられたことに驚いて魔狐達はじりじりと距離をとった。
「……はぁ、はっ……はっ」
だがセリアもまた、額に汗を浮かべていた。両者の実力差は圧倒的なはずなのに、無意識のうちに剣の柄を握る手が震えて金属音を鳴らす。
今セリアの脳内を支配していたのは、何人もの嘲笑や罵倒の声。あの試合、剣聖セリア・ペンドラゴンが初の敗北を経験した後の記憶がいやおうなしに響き渡るのだ。
麻痺で動かないセリアに浴びせられる幾つもの魔術の軌跡の感覚。
「……しっかりしろ、私の価値なんてもうこの剣しかないんだから!」
彼女の弱点は魔術が使えないだけではない。あの試合から、セリアは魔術、魔法を見るだけでトラウマがフラッシュバックしてしまうようになってしまっていた。
それは単なる記憶の呼び起こしに留まらず、体の震えや思考停止などを引き起こす。そしてその後遺症は日を追う事に悪化の一途を辿っていた。戦線を外されたことがセリアの精神にトドメを刺したことは言うまでもない。
「――!」
そしてその隙その弱点は、あまりに致命的だった。
もう一度魔狐が放った炎の息吹を硬直した体は避けることすらもできない。剣聖の動体視力を以て近づいてくる炎の渦をゆっくりと眺めることしかできない。
――こんな最期なんて。
セリアは目をつぶった。
が、顔が焼け爛れる感覚も牙に肉を貫かれる痛みもセリアには感じられなかった。恐る恐る目を開けるとそこには。
「間一髪でしたね。セリア様」
死神の如き巨大な鎌を肩に担いだ青年。背丈を超えていそうな漆黒の刀身は炎の光を反射して燃え上がるような光を放つ。
そこに立っていたのは先程の農民の青年だった。
「豊穣神の加護・豊穣の祈り」
魔狐が立っていた地面のわずかな雑草、その部分だけが突如急速に成長して魔狐を軽々と上空へ跳ね飛ばした。
そのまま自由落下してくる魔狐達を手に持つ鎌で斬り上げた。
僅かな叫び声を残して魔狐達は弾け飛び、靄のように霧散した。その姿は農民というよりかは、まるで死神の如く。
「君は一体、何者なの……?」
「そう言えば自己紹介がまだでした」
彼もまた、神への代償を払った者。
「僕はサイトウ。今はただの農民です」
農民としての才能に全てを賭けた人間だった。