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がらんどうと私  作者:
第1章 死に損ない男
9/11

「よりにもよってアンセル様に魔除けの宝石を贈られてしまうとは皮肉なことですね」


 自分たちの他には誰の姿も見当たらない閑散とした廊下を歩いていると、カランがぽつりとそんなことを言う。いつもの如くの嫌味ではあるが、どこか沈み込むような静かな口振りだ。


「やめなさいよ。兄さんのことは恐ろしいけれど、素敵な贈り物を素直に喜べないような人間にはなりたくないわ」

「素敵な贈り物ね……」

「あのね、言いたいことがあるのならはっきり言いなさい。前々から思っていたけれどお前、兄さんに妙に突っかかるわね。私のように化け物の姿に見えているわけでもないでしょうに」


 この世で私以外に兄を嫌っている人間がいるとしたらその理由はあまりの完璧さに嫉妬しているということに他ならないと思う、というのは些か身内贔屓が過ぎるだろうか。

 ギデオンが兄にあまり好意的でないのは嫌悪ではなく性質の違いすぎる人間に対する困惑だ。それに今日だってそうだが、カランのようにあからさまに態度に出したりはしない。以前のストラシュコ先生に対する態度を鑑みても、私の従者は見た目よりも狭量な男なのかもしれないな。

 そんなことを考えているとカランが背後で立ち止まる気配がしたので仕方なく私も足を止めてやる。いつでもこれは不機嫌といえば不機嫌ではあるのだが近頃はなんというか、子供のように拗ねているような感じだ。

 大変に面倒なことではあるが、出来た主人ならば未熟な従僕の機嫌を取ってやるのもまた必要なことかもしれない。


「ねえカラン、いったい何がそんなに不満なのかは分からないけれど」

「エイプリル様」


 適当に宥めるための言葉を吐き出そうと口を開いたが、すぐにぶつりと断ち切るような口調で遮られる。その語気の強さに驚いていると瞬きの間に首元に手が伸びてきた。ひんやりとした手袋越しに急所を撫で上げられ厭な緊張感が走るが、僅かにペンダントを持ち上げただけでカランの手はそのままするりと離れていった。

 途端、宝石の質量がずしりと増したような錯覚が喉奥で渦巻く。私の瞳の色をして、しかし鈍い光を放つそれが、あの虚ろな眼のように無感動な視線を寄越す。


 果たして、この屋敷はこんなにも粛然としているものだったろうか。取り残されたような感覚がするほどの音のない空間。そこに低く落とされた声が響いた。一滴の淀みから、じわりと染みが広がっていくような。


「私は必ずエイプリル様の一番の望みを叶えて差し上げます」


 カランの唇はよくよく見るとほんの僅かに嘲笑うような形を作っていた。果たしてこんなふうにして告げられる誓いの言葉があるだろうか? 稚拙なおままごとのようなそれは、私からすれば不可解なところへ帰結した。


「私がお嬢様との約束を違えることはありません。ですからそれまでどうか、あまりアンセル様に気をお許しにならないでください」

「どうして突然そんなことを言うの。本当に必要なことならばそうするけれど。お前、私に従っているふりをして結局大事なことは全部ひた隠しにするんだから。それで私が言いなりになると思っているの?」


 別に進んで兄に近付きたいというわけではない。だがそれは当然の疑問だと思った。

 従者は興醒めしたような顔をしてみせただけで、それきり何も言わなかった。


 釈然としない気持ちのまま自室に辿り着く。その道中でいつもの表情を貼り付け終わったらしいカランを憎たらしく思いながらぞんざいに下がらせると、私は読みかけの本と膝掛けだけを手にしてすぐにまた部屋を出た。

 帰ってきたばかりの兄とギデオンは夕食の頃合いまで身体を休めると言っていたが、その前に兄が部屋を訪ねてくるような気がしたためどこかに隠れていようという算段だ。

 悪夢の件で心配をかけてしまったことなどを思うと会話くらいは我慢すべきなのかもしれないが気が進まない。お父様達が戻ってからでも遅くはないだろう。先ほどのカランの忠告に従ってしまっているようで癪な気もするが、それとこれとは別の問題だ。


 だが計画は思わぬ形で頓挫した。気に入りの温室へ向かおうと庭を突っ切っていたところでギデオンに遭遇してしまったからだ。

 見たところ兄もフレイも一緒ではないらしい。いや、あのいけ好かない従者ならば今も離れたところから主人を監視しているに違いないが。ともかく表面上は一人きりでただ辺りを眺めている。このまま無視をして先に行くことも道を引き返すことも儘ならないと考えた私は仕方なく声を掛けた。


「奇遇ですね、暫くお休みになられると聞いていましたが」

「外の空気を吸いたかったんでね」


 突然現れた私に視線も寄越さないまま素っ気ない言葉を返される。相変わらずの尊大な態度だ。ここは私の家の庭であるというのに、途端に余所者のような気分になってしまう。

 シュルツ家の人間というのはどうしてこうなのだろう。生まれながらに絶対者であるという矜持を嫌味なく携えているその様は王族よりも王族らしいほどだ。驕っているわけではなく、自然とそうなってしまうといった感じに。幼馴染とも言える付き合いをしてきながらも私がギデオンに対してどこか線を引いた接し方をしてしまうのも仕方のないことだと思う。


 なんにせよ兄に告げ口する可能性のある人間に行き当たってしまったのだから潜伏先を変える必要があるな、と思案していたところで不意に視界が翳った。一定の距離を保っていたはずなのにいつの間にか目の前にギデオンが立っていたものだから目を丸くしてしまう。


「ギデオン様?」

「どうせまたアンセルから逃げ回っていたんだろう。行き先は温室だな、さっさと行くぞ」

「え」


 引き止める間も無くずんずんと大きな背中が遠ざかっていく。しばらく呆然と見送っていたが結局私は主人に追い縋る小間使いのようにその姿を追い掛ける羽目になった。

 いったいどういう風の吹き回しなのだろう。ようやく私が追いついたときにはギデオンは既に悠然と椅子に腰掛けていて、どこか気の抜けた心地になってしまう。


「わざわざ付き合っていただかなくてもよろしかったのに」

「俺に当てこすりを言うとは珍しいな。猫をかぶるのはやめたのか?」

「猫をかぶっているのではなく、立場を弁えているだけです」

「弁えている女がシュルツの後継者との婚約を拒んだりはしないだろう」


 う、と口籠る。実は何年か前に私とギデオンの婚約話が持ち上がったことがあった。仲の良い父親同士の間で軽率に出てきたある種の提案程度のことだったのだが、私が相手が誰だろうと今はまだ婚約なんかしたくないと大層嫌がったために一旦保留となったのである。別にギデオンのことが嫌いだとか不満があるとかそういうわけではないのだけれど、早々に自分の未来を定められてしまうというのがなんだかとても受け入れ難いことのように感じられたのだ。

 だがそんな青臭い感傷は小さな子供であったからこそ許されたこと。ギデオン・シュルツとの妻という立場はこの年頃の女なら誰もが望み羨むような最上のステータスだ。それを自ら遠ざけるだなんて、我ながらとんでもないことだとは思う。

 なんにせよこの話題になると分が悪いので、私はやや強引に方向転換を決め込むことにした。


「そんなことよりも。ギデオン様がわざわざこんなところまでいらっしゃるだなんて何か私にお話でもあるのでしょう」

「は、まぁな。大したことじゃないんだが、忠犬がいない方が話がスムーズに進みそうだと思ったんでね」


 忠犬! それはまさかとは思うがカランのことを言っているのか。あんなに飼い主の言うことを聞かない犬も珍しいくらいだというのに。

 それにしてもいつもの仏頂面ではあるが、なんだか今日のギデオンは微妙に機嫌が良さそうだ。正直なところ気味が悪い。用があるのならばさっさと本題に入ってほしいという気持ちで見つめていると、ギデオンは内懐から紙の束のようなものを取り出した。


「これは?」

「ここに来た時にラルカに用があるという話をしただろう。いくつかあるんだが、そのうちの一つがこれだ」


 言いながら差し出された紙を受け取る。見るとそれは王立劇場で公演中の劇のプログラムとその招待状だった。近頃流行している、自動人形を用いたものらしい。


「ああ、合点がいきました。パートナーが必要なんですね」

「理解が早くて助かる」

「私は構いません、というよりとっても興味がありますけど、確かにカランは嫌がりそうだわ」


 一時期ラルカに居を構えていた曲芸団に熱を上げすぎた私に懲りたらしく、この家の人間は私があの街に行くことをあまり歓迎しない。良くも悪くも人々を誘惑する娯楽に富んだ場所なのだ。カランさえ納得させれば他の者はどうにでもなるだろうが。


「だから先に言っておいたんだ。お前は従者に甘すぎる。ただ決定事項として伝えればいい話だろうに」


 私が甘やかしているというより向こうが不遜すぎるのがいけないのだけれど。中身はあれでもとりあえずは主に楯突くことのないフレイを従えているギデオンには分からない感覚なのだろう。

 やはりデンプスターの者にとってシュルツに対するのと他の家に対するのとでは忠誠心に差があるのかもしれない。


「まぁとにかく話はそれだけだ。俺は戻るがお前はどうする」

「私はしばらく残ります。元々ここでゆっくりと読書でもするつもりだったので。兄さんに訊かれても私の居場所は知らないと答えてくださいね」

「相変わらずお前ら兄妹の関係はよく分からないな。見たくもない痴話喧嘩を見せられている気分になる」


 痴話喧嘩だと? 呆気に取られているとギデオンはそんな私を鼻で笑って立ち上がった。去り際に机に置いていた本の表紙をついとなぞっていく。星読みについて書かれたものだ。


「調べ物なら今度俺の家に寄っていけ。そんなものよりはまともな資料があるはずだ」


 そうやって自分の言いたいことばかりを矢継ぎ早に述べて私を置いてけぼりにしていく。ようやく一人きりの空間を得た私は大きく息を吸い込むと、そのまま叫び出したい気持ちをどうにか抑えてくぐもった呻き声を漏らした。

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