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がらんどうと私  作者:
第1章 死に損ない男
7/11

 頑として動こうとしなかったカランも私が命令だ、とはっきり線引きしてしまえば両親の手前もあってか名残惜しそうに退出していった。しかし去り際にもとても従者がしてみせていいものではないような眼差しを先生に向けていたので思わず叱るのも忘れて呆れてしまう。あの木偶の坊、いつからあんなに感情が豊かになったのだろう。

 そうしてすっかり二人きりになってしまうと、彼女は途端に神妙そうにしていた顔を崩し、いたずらをしでかした子どもを思わせる軽快さでにやりと口角を上げた。


「実は他の方々にお下がりいただいたのはエイプリル様を診させていただくためというよりも、ちょっとした打ち明け話をさせていただくためなのです」

「打ち明け話、ですか?」

「はい。先程もちらりと申し上げましたがどうやら事は既に済んでいるようです。悪夢はじきにおさまりますわ」


 それは自然消滅ないし自然治癒ということ? 咄嗟に疑ってしまいたくなるがどういうわけか彼女は自信ありげな様子だ。私をイリーナと呼ぶ少女はやはりあのとき私を夢の出口へといざなっていたのではないだろうか、というぼんやりとしていた考えが形を成していく。

 もしかしたら先生に訊けばあの黒天使のことも分かるのだろうか。だが私は訳もなく怖気付いて、少し脇道に逸れたような問い掛けをすることしかできなかった。


「あの、先生はどうして私が酷い悪夢に魘されるようになったのかお判りなのでしょうか。それも兄さん……兄がいなくなった途端に」


 そこで一旦口を噤む。

 星読みは私たちよりも神域に近い、いくらか人から離れた存在だ。というとどこか超常的な響きになりすぎるが、少なくともそういう在り方を求められているということだ。ならば普通ではあり得ないことにも比較的、理解があるのではないか。

 ここで何もかも吐き出してしまうべきなのかもしれない。ちょうどカランは頼りにならないのでは、とも考え始めていたところだったのだし。そう逡巡しながらも無意識に唇がわななくようにして言葉を押し留める。


 いったい何を恐れる必要があるというのか。私は常に努めて気丈であろうとしているが、その中身はとんでもない臆病者だった。私は何の責任も取りたくない。自分自身以外の何も背負いたくない。カランと秘密を共有することになったのだって、向こうのほうから踏み込んできたのだというエクスキューズがなければ有り得ないことだった。

 それにたとえ信じてくれたとして、星読みなんていう特異な立場の者に知られてしまったのなら果たして兄は、或いは私はどうなってしまうのだろう。


 こういうときに考えすぎるのは悪癖のひとつかもしれない。私が二の句を継げなくなっていると、そのことに気付きもしていないような調子で先生が会話を繋いだ。


「はっきりと断言してしまうには、少し材料が足りませんね。ただ分かるのは今は対処療法が精一杯で、根本的にはその原因を断ち切ることができないということ。エイプリル様を脅かしているのはそういう類のものなのです」


 どこか勿体ぶった言い方だった。最短の道を知っているのにわざと遠回りしているような。私は言いようのない気持ちの悪さを覚えた。預かり知らぬところで、己の首に括られた縄を巻き込んだ歯車が回っているような。

 あまり深入りするつもりもないが、彼女とカラン──というよりも星読みとデンプスター家というべきか──が何らかの因縁で繋がっているらしいのも厭な感じだ。あらゆる疑問が泡のように溢れては喉元で弾けて消える。張り付いたような感覚を残したまま。そうしてまた間を置かずにふつふつと湧き上がる。近頃はなんだかそんなようなことを繰り返してばかりいた。

 そうやって私が不信感を募らせていると、先程打ち明け話をさせていただくと申しましたねと前置いて、藪から棒にこんな質問が飛んできた。


「エイプリル様は、私が魔女と呼ばれていることはご存知でしょうか」


 魔女。正直こうやって話しているうちにそういえばそんなこともあったな、という程度には頭から遠く離れてしまっていたことであったが、このくらいは答えてしまっても問題ないだろうと小さく頷く。気を悪くしなければいいのだけれど、と心配になるが見ると彼女はむしろ愉しげに微笑んでさえいた。カランをあしらっていたときのように。


「では、そんな呼ばれ方をされるようになったのは何故だと思われますか。星読みであるが故にとお考えになるかもしれませんが、そうではありません。そもそも最初に私を魔女と呼び始めたのは森の同胞たちなのですから」

「なんですって?」


 そういう可能性を考えていなかったため素直に驚いてしまう。

 閉鎖的な環境に置かれていることもあり、星読みの間には特異な結束や連帯感があると聞くが。なんだか仲間内の軽口であるという雰囲気でもなさそうだ。

 不意にカランとの会話が蘇ってくる。その方も単に嫌われ者なのでしょう、とあの男は言ったのではなかったか。嫌われ者だと? しかし実際に続けられた言葉はそれよりも苛烈だった。


「私は不浄の者なのです、エイプリル様。セレスティナへ送られることになったのも実質は厄介払いなのですよ」


 そんな告白をしながらも彼女はどこまでも無感動だ。

 一番の、真っ当な疑問が口をついた。


「先生は……なぜ私にそんなお話をされるのですか」

「それは勿論、貴女様に関係のあることだからですよ。これから話すことをどうか御心に留めおいていただきたいのです」


 ただでさえ囁くような声が更に潜められ、自然と耳の神経がぴりぴりと研ぎ澄まされる。彼女は淡々とした様子で語り始めた。私に言い聞かせるというよりも、文献をなぞるような声色で。


「星読みは通常、家名を持ちません。血が濃くなりすぎないようなるべく遠い関係で縁を結びますが、基本的に森の中で一族を完結させるのだという意識の表れなのです。秘匿と神秘は密接に繋がっていると信じられていますから」


 それは私でも知っているほどの基本的な知識だ。秘匿を第一としているということを広く知られている、というのもどこかちぐはぐな話だけれど。

 しかしこの導入からしてある程度彼女がどんなことに関して語り始める気なのか検討がつくような気がした。私がはじめ彼女の正体が星読みであるということを考慮すらしなかったのには主な理由が二つある。一つは学校からやってくるということ、そしてもう一つは彼女の名前だ。


「もうお分かりかと思いますが、私は慣例を破って外の者と婚姻を結んだのです。ストラシュコとはその相手の姓ですわ。しかし訳あって私はすぐに森に戻りました。本当に、短い間でした。子どもの衝動的な家出と大差のないものだったのだと思えるほど」

「貴女がたの間では余所者と親しくすることが迫害されるほどの大罪になり得るということ?」

「いいえ……いえ、この時点から当然私は白い目に晒されてはいましたが、しかし決定的に疎まれるようになった理由は他にあります。私は子を成しておりました。

 結果的に死産となってしまいましたが、問題となったのはその子の亡骸が、なんというべきか、奇妙な特徴を持ち合わせていたということです」


 ここまで聞いても未だなぜ彼女が私にそんな話をするのか見当もつかない。その特徴とやらの詳細を明かす気はないようだが、それがどんなものだったにしろ我が子を腕に抱く前に失うことよりも問題となるようなことがあるのだろうか。

 考えている間にも、不自然なほど感情の乗らない語り口のまま話は進む。


「森の中で彼女を弔うことは叶いませんでした。私も星読みとしてそれは仕方のないことと理解しておりましたが、どうやら事態はそれほど単純ではなかったようです。エイプリル様に関係のあることというのは、彼女の亡骸の引き取り手のことですよ」

「それはいったいどういう……」

「やってきたのは、貴女様の従者のお父上だったのです。私たちと彼らにはそれ以前から関わりがありましたが、今回の件にデンプスターの当主がわざわざ出張ってくるというのは明らかにおかしな事態とわかりました」


 聞きながら無意識に扉の方に視線を走らせる。あの男はきっと部屋には戻らず、すぐそこに控えているはずだ。経験からくる確信があった。声までは聞こえていないはずだがどこか後ろ暗い気持ちになる。

 こちらの様子に気付いてか、先生はおもむろに私の耳元に顔を寄せた。


「エイプリル様。少しだけ考えてみてください。忌み子の屍を必要とする理由があるとするならば、それは果たしてどのようなものなのでしょうね」


 そうしてそんな問い掛けだけを落とし込んで、すぐに離れていく。

 確かに、妙な話だ。だがそれだけではとても私に関係があるとは言えないような気がする。死産となった赤子に何かあるのか? 打ち明け話という割には隠されていることが多すぎるのではないだろうか。

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