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「エイプリル、突然なのだけれど今夜お客様がいらっしゃるのよ。もう侍女には準備をさせているから、食べ終わったら支度を整えてちょうだい」
素直にはい、と返事を返そうとして踏みとどまる。今は夕餉の最中だ。だというのに、今夜いらっしゃると言った?
あまりにも突然すぎやしないかと困惑から硬直していると、同じく眉を下げた母と鏡合わせのように見つめ合う格好になってしまう。いや、そうではなく私は事情を説明してほしいのだけれど。しばらくそうしていると見兼ねた父が軽く咳払いをした。
「レオンの紹介でセレスティナの先生を派遣していただいたんだが、どうやら彼女はあまり昼間に出歩きたくないようなのでね。お前の夢について診ていただくわけだから丁度いいと思って、夜に到着するように調整したんだ」
「諸事情で予定が決まるのが直前になってしまったの。急なことだけれどどうかきちんとしてね、再来年から貴女もお世話になるのかもしれないのだから」
なんだかきな臭い流れだ。明るい時間を避けるというのはあまり人に姿を見られたくないのか、それとも何かのご病気なのかしら? 早速なんだか魔女と呼ばれる者らしい変わった特徴が浮かび上がってきたのではないかと考えを巡らせながら、自分が顔も知らぬ女性に対して既に厭な先入観を抱いてしまっていることに対してなんとも言えない気まずさが湧き上がってくる。
とはいえ教鞭を執っているというのにそんな制約があってやっていけているのだろうか。寄宿舎と学校の往復程度ならば問題ないのかもしれないけれど。
結局はしたない好奇心が抑えきれず、なんとはなしに壁際に控えているカランの方にちらと視線を寄せると、なぜだかどこか神妙な顔で遠くのほうを見つめている。
私の視線に気が付かないほどどこかに意識を飛ばしているだなんて。職務中に気を緩めすぎだと後で懲らしめてやらなければと眉を寄せながらも、私はその表情に何やら引っかかるものを感じていた。
それから私は──どうやら先生から指示があったらしく──お客様をお出迎えするのに相応しい格好ではなくいつもの就寝前の準備をこなしてから、髪型と寝巻きだけ比較的余所行きのものにという程度の支度を済ませた。
こんな格好で玄関ホールまで出向かねばならないのかと思ったが彼女のことは寝室で迎えればいいらしい。
実際それに近いのかもしれないが、なんというか病人のような扱いをされている心地だ。例外的な出来事が続いて、どこかやきもきとしてしまう。
すっかりと気分の落ちていた私だったが、それからややあって訪れた待ち人の姿は私の想像していたものとまったく違っていた。
それも、とんでもなく良い方向に。
「まあ、まあ、なんてこと……先生が星読みの方でいらっしゃったなんて!」
一目見て分かるこの首元に彫られた紋様、間違いない。魔女とは正真正銘の星読みであったのだ。
ここ暫くすっかりとやつれてしまっていたはずの顔を紅潮させ興奮する私の様子に彼女──ジューン・ストラシュコ先生はたじろぎ、両親はこうなると知っていたというように溜息をついた。どうせろくな反応をしていないので、カランのいる方向は意識して視界から外している。
魔女と聞いたとき、そして彼女についての話を聞くたびに、どうして真っ先に候補に挙げておかなかったのだろう。セレスティナからやってくる教師という前提に惑わされてしまったとはいえ不覚だった。
星読みとはこの国の北方に位置する最大級の森マゼルタとそこにある神殿を管理する一族の女性のことを言う。マゼルタには女性優位の文化が根付いているため一族を治めるのも権力を持つのも女ばかりだ。この森は宗教上の最も重要な土地であり、星読みは爵位こそ持たないが王族ですら不可侵と言われるほど特殊な存在であった。聖職者の一種といってもいいのかもしれない。
本来ならば彼女たちとこんなふうに気軽にお会いすることはできないはずなのだけれど。
しかしこれで昼間に外に出たがらないというのも納得がいく。マゼルタの人々は薄暗い屋根状の森で仄かな光だけを頼りに暮らしていて、特にその瞳が太陽の光とはあまり相性が良くないらしい。確かにストラシュコ先生もあまり見ないような色素の薄い目をしている。
そうやって頭の中を整理しているうちに段々と浮き足立ちすぎた気持ちも落ち着いてきて、ようやく私はまともに会話ができるような状態を取り戻し始めていた。
立ち上がって挨拶をしたきりだったことを思い出し、慌てて椅子を勧める。
「はあ、私ったら取り乱してしまって……どうぞお掛けになってください。こんなところまで来ていただいてなんだか申し訳ないわ」
「とんでもありません。セレスティナにいらしたシュルツ公爵からたまたま悪夢のことをお聞きして私の方から志願させていただいたのですから、半ば野次馬のようなものなのです。とても興味深いお話でしたので」
そう言ってふふ、と小さく笑う姿に思わず見惚れる。ストラシュコ先生は全体的な雰囲気もそうだが、とりわけその話し方がどこか浮世離れしていた。柔らかな鈴のような声で囁くように話す言葉は鼓膜というよりも脳髄を震わせるような感覚を与え、背筋がぞくりとしてしまう。
「そういえば先生はなぜ王立学校に? 星読みの方は基本的に森から出ることはないと思っていましたが」
「それは……昨年メイナード様が王位に就かれてから方針が変わったのです」
途端、彼女の纏う空気が少し剣呑なものになる。もしかしたら王についてあまりよく思っていないのだろうか。続く言葉は彼女の優美な声に似合わず、どこか刺々しい響きを持っていた。
「メイナード王は星読みが孤立しすぎている状態はあまり芳しくないとお考えのようで、私たちの長であるテレシア様との協議の結果、実験的にセレスティナに星読みを送り込み宗教学をお教えするということに決まりました。
そこで白羽の矢が立ったのが私なのです。森でも子供たちの教師のような役割をしておりましたから」
「まあ、知らぬ間にそんなことが」
「私がお教えする相手は学園の中でもある基準により選ばれた方々だけですから、あまりこのことは知られていないのです。アンセル様も選ばれた一人ですよ。きっとエイプリル様にも受講の打診が来るかと思いますわ」
な、なんだと。あの珍妙な手紙で一言だって星読み云々と書かれてはいなかったというのに、あまつさえ彼女の講義に参加しているだなんて。私の周りには秘密主義の人間しかいないのか。
セレスティナでは基本の講義とは別に、生徒それぞれが自分の興味のある分野を選べる選択制の講義があるので、彼女の宗教学もその範疇なのだろう。もし打診が来たら必ず取らなければと今から固く決意する。
それから母も加わりあれこれと雑談をしているうちにすっかりと遅い時間になってしまった。女性陣の勢いに半ば圧倒されていた父が遠慮がちに「そろそろ本題に入らなくては」と口を挟んでくる。
そこでようやく妙に影の薄い従者の存在を思い出して振り返ると、やや遠目でも分かるほどに青白い顔をして突っ立っている姿が目に入って驚いた。様子がおかしいと思ったら体調が悪かったのか。皆に断りを入れて近寄ってみると顔色の悪さがより鮮明になる。
「ちょっとカラン、お前大丈夫なの? 今日はもう下がっていいから部屋で休みなさい」
「お嬢様……いえ、私は……」
気を遣ってやったのにどうして素直に言うことを聞かないのか、背中を押して無理矢理部屋の外に押しやろうとしても根を張ったように動かない。蹴り飛ばしてでも自室に帰らせるかどうか迷っているといつの間にか先生が私のすぐ隣に立っていた。
「恐れながら。彼は体調不良というわけではないようですよ」
私にそう声をかけると今度はカランの方に身体を向ける。
「貴方はデンプスターの者ですね。成る程。であれば、私を忌避するのも道理でしょう。しかし私が貴女の主人を害するようなことをするはずがありませんから、彼女の言う通りにしたほうがよろしいかと思いますよ」
「忌々しいことだ。お嬢様には私がついておりますから、貴女がたの、他人の手を借りる必要はありません」
この従者、にっこりと笑ったかと思えばなんて口をきいているんだ!? 小さな声だったため離れたところにいた両親には聞こえていなかったらしいが、私に聞こえたということは彼女の耳にもばっちり入ってしまったことだろう。
慌てて謝罪しようとするが見ると彼女は稚児を眺めるような穏やかな様子でいる。どうして初対面のはずの彼女を敵対視しているのか事情は分からないが、それでなんだかカランが三下じみた存在に思えてきた。
「そうですね、今回は確かに私がすることはあまりなさそうです。ですが来たからにはやるべきことをやるだけですよ」
そう言うと先生は少し声を張り上げて部屋の中にいる者にこう告げた。
「皆様。申し訳ありませんが、少しエイプリル様と二人きりにさせてくださいませ」