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がらんどうと私  作者:
第1章 死に損ない男
4/11

 兄が王立学校に発ってから私は度々こういった悪夢に魘されるようになった。

 ずっと怪物の姿を見させられていたせいで同じ年頃の子供よりもおどろおどろしいものに対する耐性を備えているとはいえ、あの赤黒く生々しい光景が脳裏に焼き付いて精神がどんどん磨耗していくようだ。


「お母様、眠るのが怖いわ」


 母にゆったりと頭を撫でられてうつらうつらとしてくるが、どうしても眠る気になれない。近頃はずっとこんな感じだ。夜になるのが怖い。

 ついと顎をあげると私よりも青白い顔をしているんじゃないかというような母の痛ましげな表情が目に入った。こんなに心労をかけてしまったのは幼少期以来だろう。神経の細い母に負担をかけてしまわないように兄と折り合いをつける術を学んでいったというのに、今度は別件で悩ませてしまうことになるとは。

 いや、本当に別件なのだろうか。怪物の兄がいなくなった途端にやってくる悪夢だと? 何か不吉な予兆めいたものを感じる。


「可哀想に、こんなにやつれて。代わってあげられたらいいのに。カラン、お医者様はなんと?」

「やはり通常の怪我や病気ではないので、明確な対策を施すのは難しいそうです。安眠のお薬やお茶などはご用意いただけましたが効果のほどはなんとも……」

「そう。お父様も伝手を辿ってくださっているから、何か解決の糸口が見つかるといいのだけれど」


 頭上で行き交う二人の話をぼんやりと聞き流していると、意思に反して瞼が重くなってくる。いつもならとっくに寝ている時間だ。


「カラン。私が眠ったら、ちゃんと一晩中見張っておくのよ。代わりに昼寝の時間をあげるから」

「はい、もちろんです。ですから安心してゆっくりお休みなさってください」


 近頃毎日のようにしているやりとりだ。だから私は確信を持ってこう言える。嘘つき、と。

 案の定カランの見張りは特に意味をなさなかった。見るたびに夢は少しずつ変質していく。いや、それよりも視点が多角的になっていくと言ったほうがいいかもしれない。最初は見えなかったところが徐々に詳らかになっていく。

 それで最近分かってきたことだが、どうやら私は夢の中で化け物になっているらしい。兄のような正体の掴みづらいものではなく、小さな子供が思い描く悪鬼みたいな、ある意味稚拙な姿をしている。鬼になった私は訳も分からないままに人を屠っていた。混乱と混沌が渦巻くままに。意識的にそうしているというより、気付いたらそうなっているという感じだ。

 あまりにも現実の自分の姿と異なっているため、私はその化け物をどこか客観的に見ようとしている節があった。現実逃避かもしれない。ともかく私はだんだんと自分であるところの鬼に憐憫を感じるようになっていた。これは危険な兆候だろうか。


「ストラシュコ先生とは?」


 母の声に誘われるようにして、ふと目が醒める。寝返りを打つふりをしてさりげなく様子を窺うと、寄り添うように二人で椅子に腰かけた両親が何事か話し込んでいた。窓の方に目を向けるとカーテン越しに空が白みがかっているのがわかる。いつも起きる時間の一刻ほど前だろうか。

 私はそのまま寝たふりを決め込んで耳をそばだてた。


「エイプリルのことをレオンに相談してみたんだが、そういう案件ならいっそ魔女に相談してみてはと提案されてね」

「まだ八方手を尽くしたとは言えないのに、もう妖しい呪術に頼ろうというの?」

「いやそういうものではなくて……ただの渾名みたいなものさ。彼女、シュルツの口添えでセレスティナで教鞭を執っているのだけれど、レオンの見立てではエイプリルの力になれそうな人材らしい」

「それはいいけれど、あの子の前で魔女だなんて言うのはやめてくださいね。不安にさせるわ」


 母の言う通りだ。新たな手立てが見つかったのはよいことだが、魔女だなんて。どこか胡散臭さが拭えない。

 それに父にとっては旧知の仲とはいえ、私はレオン・シュルツのことをあまり好ましくは思えなかった。人好きのする機知に富んだ人間のように振る舞っているがどこか油断ならない、気を許してはいけない手合いに見える。それに以前読んだ童話に出てきた、狡猾な狐のような目をしているもの。

 果たして学び舎を共にする彼の息子のギデオンと兄は今頃仲良くやっていけているのだろうか。家柄ゆえ二人が関わるのは避けられない事と思うが、堅物なギデオンは社交的なたちである兄さんのことをあからさまに避けていたので、父親同士のようにはいかなさそうだ。


 意識を別のところに飛ばしているうちにいつの間にか私は寝室に一人きりになっていた。

 一人きり? 今更気付く。見張れと命令しておいたはずなのに、カランはいったいどこをほっつき歩いているのか。私の様子を見に来た両親が一旦退出させたのかもしれない。そう考えてしばらくじっと息を潜めるようにして待ってみても、結局カランは戻ってこなかった。


 もし。もしいつもこうなのだとしたら。今日に限らず、私が眠った後に部屋を出て、私が起きる前に戻ってきているだけなのだとしたら。

 しばしばあの従者の忠誠心を疑いたくなるようなことが起こる。これではまるであの夢の通りだ。


 夢うつつの境界が少しずつ混ざり合っていくような感覚がする。悪夢を見るようになってから私の中である一つの考えがこびり付いて離れないようになっていた。私はこれまで当たり前のようにおかしいのは、何かが違っているのは他の人間の方だと思ってきた。兄さんを正しく認識できない人々が盲目なのだと。だがそれは事実なのか。本当は夢の中でそうであるように、私の方が狂っているのではないか。いやそんな訳はない。カランははっきりと肯定してくれたではないか。そうだ、世界でただ一人、怪物の存在を認めてくれた人がいる。だから大丈夫。私はいつだって正しく、後ろ暗いところのない人間だ。今はほんの少し奇妙な悪夢に惑わされているだけ。人殺しの悪鬼。そんなものに同情するだなんてやはりどうかして


「お嬢様、エイプリル様!」


 やや乱暴に身体を揺すられて自分がいつの間にか眠っていたことに気付く。悪夢はやってこなかったが、どちらにしろ後味の悪さは似たようなものだ。肌がじっとりと汗ばんでいて気持ちが悪い。


「カラン……平気だから離して。身体を清めたいから侍女を呼んできてちょうだい」

「酷い顔色です。また悪しきものに苛まれてしまったのですね? なんとおいたわしいこと」


 お前がきちんと見張っていたなら、私が魘され始めてすぐに揺り起こせたのではないのだろうか。だというのに、どの口でそんな白々しいことを言うのだろう。今はカランの顔を見たくない。


「ねえ、次からは寝ずの番はしなくていいから。とにかく早く出ていって」


 言外に従者の職務放棄は私の知るところだと鎌をかけてみる。するとそれまで気遣わしげに私の身体を掴んでいた手にぎっと呻くほどの力が入った。


「ちょっと!」


 加減を知らない獰猛な猛禽類が私の肩にとまったかのような荒々しさだ。引き剥がそうとするがカランは意に介さず、平然と話を続けようとする。


「どうして突然そんなことを仰るのです」

「何か心当たりがあるんじゃないの」

「私は一度たりともお嬢様に背くようなことはしておりません」


 何も知らぬ者が聞いたら百人中百人が信じてしまうような口振りで断言された。だがどうにも会話の流れが不自然だ。

 そもそも現在進行形で離せ、侍女を呼べ、出て行けという三つの命令を無視していることに気付いていないのだろうか? どうして起き抜けにこんな面倒なやりとりをしなくてはならないのだろう。


 だんだんと阿呆らしくなってきた私は、今度こそ無礼な手を鞭で打つように弾き飛ばす。するとカランは珍しくひどく狼狽した様子を見せた。いつの間にかほとんどベッドに乗り上げて私に追い縋るような格好になっている。

 とても従者のすることではないと窘めようとするが、主人であるはずの私がこの訳の分からない気迫に押し負けそうになっているのはどうしたことだ?


「さっきからなんだか変よ、あなた」

「お嬢様。後生ですから私に見張りの役目をお任せください。許可を頂かねば私にはどうしようもできないのです」

「その役目を放り投げたのはそっちでしょう!」

「恐れながら、先程から何を勘違いしていらっしゃるのか私には図りかねるのですが」


 本心から疑問に思っているのか、はたまた此の期に及んで誤魔化そうとしているのか──そうだとしたらカランの天職は従者ではなくペテン師なのだろう、というほどの迫真の演技である──ともかく一向に進まない遠回しな問答にうんざりした私はもはや駆け引きを諦めた。


「あのね。私、今朝は随分と早くに目覚めたのだけど、お前見張りから抜け出していたじゃない。本当は毎晩そうしていたのではないの?」


 これで不毛な議論も終わりだ。

 という気持ちで投げ掛けた言葉だったが、実際にはより一層迷宮の奥深くまで入り込んでしまったらしい。もはや無様に膝をついて私を見上げるようになっていたカランが、ぽかんと口を開けてこうのたまったからだ。


「あの、本当に、何のお話をしていらっしゃるのですか? 今朝旦那様方がお話されていた頃にエイプリル様が一度お目覚めになられたことも私はきちんと把握しておりますが……」

「なんですって?」

 

 ふいに詩人ユウェナリスの言葉がどこか頭の遠くのほうで朗々と読み上げられているのが聞こえた。


 私は我が友の忠告を常に聞く。

 彼女に閂を掛け、拘束せよ!

 しかし誰が見張り人自身を見張るのだろうか?

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