錆び落とし
書き貯め出来るような我慢強い男ではありません。出したい時に出す!……あ、小説の更新のことですよ?
オルカは以前の自分が何をしていたのか、そんなことすら覚えて居なかった。それどころか今の自分が何かすら判らなかった。
記憶の中の自分の名前がオルカである、それだけしか覚えていないにも関わらず、彼女は魔剣なのだ、という自覚だけは存在していた。しかし、それが何を意味しているのか、何が他と違うのかすら判らない。
判らないことだらけにも関わらず、彼女は自らの危機を本能的に察知していた。
……このままでは、助からない、と。
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相手の姿は実に簡素で、白いシャツに著しく丈の短い黒のズボンだけの、下着姿に近い格好だった。
「錆びる?……あんた、魔剣だろ?」
ロイは怪訝な顔で目の前の娘(その程度の見た目だ)に問うと、こくんと頷いてから、
「たぶん……魔剣、だと思う」
頼り無げに答えてから、自らの肩を抱き締めるように両手で抱えるとそのまましゃがみ込む。波打ち際へと視線を向けたまま、虚ろな表情で下唇を噛んでいた。
「……ねぇ、あんた研ぎ師だろ?」
「あぁ、研ぎ師だ。魔剣も二人連れている」
ロイの返答に、ふーん……と答えた娘は暫くじっとしていたが、不意に身を震わせ始め、
「…………錆びる……身体が錆びる……」
ぶるぶると小刻みに髪の毛まで揺らしながら、娘は遂に前へ倒れ伏してしまう。幾ら魔剣が遠回しに言って不死身だとしても、目の前でうら若い娘が倒れているのを只眺めている程にロイは薄情ではなかったが、かと言って二振りの魔剣と共に屋根を借りているだけの老夫婦の家に連れて行っても仕方ない。
よっこいしょ、と魔剣の娘を横抱きにしながら周囲を見回すと、漁から戻った船が何艘か砂浜に揚げられていたので、その中でも一番船縁の低い一艘に近付き、何とか娘を船の上に寝かせ自分も彼女の脇に腰を下ろした。
「それにしても、魔剣が錆びる……?聞いたこともないがな……」
魔剣はそもそも死なない。人間とは比較にならない程の生命力、そして身体能力を保持している上に、明らかな致命的欠損で活動停止を迎えても、魔剣として経験して得た記憶を失うのと引き換えに、いつか必ず復活する。
だからこそ、魔剣は不死身と思われ、そして畏怖もされるのだが、その中にも当然ながら制約はある。まず身体の傷や欠損は蘇りを経ないと還らず治らない。手足や指、時には舌や眼等を失った魔剣も時々居るものの、そんな古強者の魔剣はとても強いものである。
それはともかく、目の前に横たわる魔剣の娘は見た目こそ若いものの、短い髪型や控え目な肢体と併せるとまるで青年に見えるが、こうして仔細を改めて眺めるとやはり美しい女性である。
しかし錆びる、と言うのは初耳だ。見たことも聞いたこともないからこそ、知りたい。彼は当然ながらそう思い、手を彼女の鳩尾に当てると【魔剣の領域】へと踏み込んでいった。
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「……うわぁっ!?あぼっ!!」
ロイは溺れかけた。【魔剣の領域】へと踏み込んだ瞬間に塩辛い水の中に落ちたかと思ったら、そのまま水底目掛けて沈んでいくのである。そりゃ驚くだろう。大抵の【魔剣の領域】は陸地であり、こうした海原に突然放り出されることは皆無だったのだから。
……がぼっ!、…………あれ?
魔剣と研ぎ師の物語……完
いや待て待て誰も溺れ死にしてないから!ちょっと待てっての!!落ち着いたらこの海……腰よりも深くないからっ!!
……ロイは即座に立ち上がり、膝上程度の海水から身を起こすと、周りを見回した。
「……全く……ヒトはコップ一杯の水で死ぬこともあるって言うが、まさか俺までそうやって死にかけるとは……いやまだ死んでないから!」
…………彼はざばざばと海水を掻き分けながら浅い方へ進むと、薄暗い景色の先に陸地が見えてきたので安堵しながら進み、波打ち際を目指して歩き続けた。そこは固い地盤に白い砂が堆積した陸地のようで、暫く進むと視界の先に小さな小屋が見えて来た。
過去の経験からして小屋は魔剣にとっての《自らが帰るべき場所》であり、大抵は周囲の景色共々が魔剣と所縁のある空間なのだが、海が背景という【魔剣の領域】は初めてである。ロイはしかし臆することなくその小屋へと進んで行ったのだが、手前に在る小さな湾の縁に気になる者が居た。
短い癖っ毛から滴る水が白い肌を伝い落ち、背中を向けたままのその人物は湾の波打ち際に在る岩の上に腰掛けながら海を眺めていた。ただ、気になるのはここが【魔剣の領域】であり、つまり部外者が入り込む余地は……まぁ、シュリやスミレならホイホイ行き来出来るだろう。そうロイは考えながら、相手に近付いてみると、
「……やぁ、研ぎ師さん。さっきは溺れかけてたから助けようとしたけど、浅いからやめちゃった!」
気軽に挨拶をしながら振り返るその女性は、さっき会ったばかりの魔剣の娘その人なのだが……その姿は裸の上半身に魚の鱗に覆われた尾を持った下半身……つまり、所謂人魚であった。
「……俺の名前はロイ、あんたの名前は?」
「……うん、名前?……オルカ、っていうの。さっきは取り乱してゴメンね。この姿じゃないと、たまにおかしくなっちゃって……錆びるとか、有り得ないのにね……」
そう言いながらもしっかりと胸元だけは両手で隠しつつ話す彼女だったが、ロイは彼女の背中や肩に付いた茶色い染みじみたものを見逃さなかった。それはどう見ても【錆び】そのものにしか見えない。
失礼、と一言掛けてから彼女の肩に手をかけると、一瞬ビクッ、と身を震わせたものの相手が研ぎ師だと理解して安心したのか、背中を向けたままではあったが身を委ねるように俯いてじっとしている。
その様子に安堵しつつ錆びに触れてみると、当然ながらザラリとした触感が指に感じられる。それは典型的な赤錆であり、並みの鉄なら地肌が出るまで磨かないと錆がどんどん侵食し、表面的に幾ら錆を落としてもいつかまた錆に蝕まれていく筈である。
ならば、選ぶ道はひとつだけ。
「……オルカ、多少の荒療治は伴うかもしれないがか、これから君を研いでみる。それで錆が一掃されたらそれで問題解決だろう」
「……錆を、取る?どうやって……?」
そう続けるオルカに、傍らに置いた砥石を見せながらロイは事も無げに告げる。
「俺は研ぎ師で、君は魔剣だ。……ならば、することは一つしかないだろ?」
ロイは今まで続けてきたことだからこそ、そう言いながらサッと身を引きよせ一切の疑問符も浮かべさせずに言い放った。
「……さぁ、準備は整っている……オルカ、君を研がせてくれ」
さ、続きを書かないと。