「見習い研ぎ師の二人」其の弐
ロイとデフネ、二人の義姉弟の出逢いと複雑な事情の二回目です。
「はぁ……はぁ……」
暗い夜道を月明かりだけ頼りにして歩く。繰り返す歩みが永遠に続くかと思ったけれど、それよりも……、
「ねぇ、ロイ……」
……自分の前を歩く、義姉さんから発せられる様々な匂いが、僕にはたまらなく……、
「……何か、喋りなさいよ……もぅ……」
……、耐え難い程に……惹き付けられて……、
「……はぁ……水、飲んじゃおうかなぁ……?」
頭がクラクラしてくる……。
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夜間行軍、と呼ばれる訓練がある。
磁石や天測(星や月の位置を見て現在地を知る)を用いて自分の位置を図りながら、目的地まで進むこと、なのだが……、
「え~っ!野営無しなの~っ!?」
簡単に野営とか言ってるデフネに驚きもしたが、何よりも足を止めて休憩することは駄目、と言われても……。
「なーに、今回はまともに訓練になるよう、《お目付け役》を付けてやるから心配ないぞ?」
妙に嬉しそうなハイン爺の笑顔は、僕の気持ちをちっとも楽にはしてくれなくて、
「この魔剣、【星詠みのアルドバ】を持って行くんじゃ。コイツは道筋を覚えてくれるから、ズルしても無駄じゃぞ?ま、それなりの装備はさせるから心配はしなくてよいからな!」
手渡された魔剣は細身の短剣で、武器としては本当に頼りなく、間違えても護身用に使えるような代物ではなさそうだった。
そして次の日に、僕とデフネの二人は心細くなるような装備(一日分の携行食と水)だけを手渡され、折り返し地点となる目的地まで、馬車に揺られて出発することになった……。
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「えええぇ~ッ!?お前、あの【デフネ】の弟なのかよ~!?」
「マジでかっ!?一つ屋根の下に、とか……羨まし過ぎるだろぉ~!!」
「いいなぁ……あんな姉……俺も欲しいなぁ……」
予備役で集められた若者の中で、ハインの名前は直ぐにバレて、僕は同年代の仲間に囲まれて質問攻めにされていた。
原因は、義理の姉がデフネだ、と言う一点でだけれども。
だって、みんな僕の義理の姉、ハイン・デ・デフネのことになると我を忘れて夢中になるのだから……。
長い金色の髪をなびかせて、真っ白な肌は雪のように透き通り、頬の薄い朱色と桃色の唇は見るものを虜にしてしまう……らしい。
僕にとっては一番最初から、厄介な因縁をつけてきて人を裸にするような迷惑な存在だったし。見た目と裏腹に迷惑なことばかり押し付けてくる厄介者でしかない。おまけに一緒に居れば周囲からなんやかやと言われて面倒だし。
そりゃ確かに見た目は良いかもしれないが、山に駆り出されて小鳥狩りの追い立て役で猟犬代わりに使われたり、沼に住むカエルを捕るぞと言われて底無し沼に叩き込まれたり……面倒ばかり持ち込む勝手な生き物でしかないのだ。
「でもさぁ……お前、家に風呂あるんだろ?なぁ、先に入るのかよ……それとも、後に入るのかよ!?」
こんな質問ばかりだし、時には堂々と「下着を持ってきてもらえないか!?」とか様々な厄介が押し寄せて来る。実に嫌な……、
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ハインの元に来てから暫く後、予備役として招集される一ヶ月前になったその日、デフネと二人で馬車に乗って丸一日掛けて移動した町外れで、約束通りに《星詠みのアルドバ》を起こしてみることにした。
「……あの、ええぇっと、起きてますか……?」
遠慮がちに鞘ごと揺すってみるが、別に何も起きない。僕には魔剣士の才能は乏しいのだろ「ちょっと!貸してみなさいよッ!!」
横からデフネがガッと魔剣を鷲掴みにして、瞬時に魔力を流し込みながら、
「ゴルァッ!!起きてんのは判ってんのよッ!!狸寝入りしてっと忘却の泉に石ぶら下げて沈めんぞっ!?ああぁ~っ!?」
【ちちちちちょっと待って待って待ってぇ~っ!?ただボーッとしてただけなんよ?いきなりそんな怖いんやめてぇよ!?】
デフネの手の中で光り輝くや否や、あっという間に人の形を取った魔剣は慌てた様子でしゃがみ込むと、僕とデフネの顔を交互に見ながら、
【……あ、あれ?今確かに希少種らしき魔力の波動を感じたんだけど……】
そこには僕らより小さい背丈の女の子が現れて、しきりにキョロキョロと辺りを見回していたけれど、
【……あ、もしかしてお二人がハインが言ってた《見習い》の二人って訳?あらまぁ……なんとも可愛らしいことで……んふふ♪ってイテてててっ!!?】
どんな相手にも平等に容赦ないデフネは、その魔剣娘の両耳を掴むとそのまま持ち上げ顔の前まで持ち上げて、何やら語り掛けていたけど、
「……ま、そんな感じだからよろしくねェ~♪」
【ふぅ……何がそんな感じなんだか……もぅ……】
アルドバの姿は、長い髪の毛に銀色の髪留めをして、青いワンピースに白い前掛けが良く似合っていた、つまり結構可愛いのだけど……、
【さぁ!張り切って行きましょう!どーせ悩んでも悔やんでも同じですからね~♪おおっと!そう何回も捕まりませんからねぇ~♪】
憎まれ口を叩きながら、ヒラリとデフネから逃れるとひゃははと笑いながら先へと走り、
【ほーら、のんびりしてるとあっという間に朝になっちゃいますからね~!】
そのまま逃げ回るアルドバを追い掛けるように、デフネは歩く速度をやや早めながら進み始める。
そんなやり取りを眺めながら、進む僕に予想もしないことが訪れるとは、その時はまだ気付きはしなかった……。
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暗闇の森の中を、先に立って歩く義姉さん。
いや、デフネなのだが、僕は真っ暗な中を進む白い姿を見つめながら歩き続けていた。けれど、暗闇の中だけに、色々なことが感じられてくる。
彼女は薄い茶色の屋外活動用の衣服を着ていたのだけど、闇の中では詳細は判らない。でも、だんだん暗闇に目が馴れてくると、彼女の体型に密着するようなその服から次第に汗や他の匂いまで感じられてくる。
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暗い森の中を、先に立って歩く私。
その前にはアルドバが馬鹿笑いしながら、軽やかに跳ね飛んでいく。疲れを知らぬ魔剣らしいその姿は、人間からは羨望の眼差しを浴びるだろう。
……私には、それは無い。
ハインと再会出来たのは、この世界に現れて一年後。私は五歳児の肉体に転生していた。
……吸血鬼の性質を保持したまま。
ハイン曰く、本来の我々は亜種……成人後に後天的に吸血を受けた、戯れの産物に過ぎないのだが、私は幸か不幸か……第一次性徴期前の肉体でこの世界に来ていたのだ。
それは……絶対的な能力を保持する、特権階級の《純血種》として、である。
(……あくまで噂の領域を出ないのだが、純血種には二段階の成長期があり、それは肉体の性熟度と一致する、らしい……。まぁ、なにせ……《純血種》は自尊心の塊だから、そんな研究なぞに、自らの肉体を晒すような真似は絶対にさせないからな……)
その言葉通り、私の肉体は本来なら初潮を迎える年齢になった時に何も変化は起きず、代わりに猛烈な飢餓感とそれに伴う魔力の増大を実感した。
……哀しかった。もしかしたら、普通の人間に戻ったのかもしれない、と淡い期待をしていたのだが、幼い自らの肉体に顕れたのは吸血鬼の特徴たる【不妊性】だった。
その肉体に似合わぬ魔力を獲得はしたが、この世界には無用の長物だった。魔力を用いた魔導の研究を一から始めるには、余りにもここは……平和過ぎた。
そして、二度目の性徴期を目前にした私の目の前に現れたのが、義弟のロイだった。
それでは次回「見習い研ぎ師の二人」其の参をお楽しみに。