【3】
年が明けて、帝暦1805年。シェランは青の王国と同盟を組まない意志を提示し、新年の祝いと称して大量の土産を持たせてクレマンを追い返した。
「大丈夫ですかね。きっぱり断ってましたけど」
「ほかにどうしろっていうのよぉ」
雪の降る庭を玻璃の窓から眺めながら、リンユンが言った。シェランはこともなげに答える。
「いえ、そうなんですけど……報復とかないですかね」
リンユンが不安げに言った。実を言うと、シェランもそれが怖かった。
「青の王国は遠すぎるわ。もし報復があるなら、わたくしが帝位を返上して青の王国を滅ぼしに行くわよぉ」
「……姉上。冗談だと思うけどシャレにならないからやめてください」
リンユンが割と真面目に言った。その気になればシェランが国一つ滅ぼせるかもしれないと考えているだろう。
「登極から3か月にしては、重い案件でしたね」
「登極から何年でも重いわよ。でも、そうねぇ」
窓枠に腰かけ、シェランは外を見て目を細めた。
「アレクサンドル・デュラフォアには会ってみたいわねぇ」
平民でありながら、国を掌握した男。その上で、他国を攻めようと考える、野心にあふれた男。
「やめてください」
リンユンが速攻で言った。黄の皇国の代表であるシェランが赴けば、それが黄の皇国の答えだと受け取られる。そんな危ない橋を渡る気はない。
「わかってるわよぉ。何にせよ、青の王国の帝政はそうは持たないでしょうし」
青の革命は市民革命だった。王政に反感を持って起こった革命。そのすぐ後に国を掌握した皇帝。シェランには行く末が見える気がした。
「民あってこその国であり王よ。絶対王政の時代はもう終わったの。相手も悪いわ。実力主義の赤の帝国に勝てるわけがないでしょぉ」
一触即発とはいえ、赤の帝国の現在の皇帝は優秀だ。青の王国に攻め込まれ、制圧されるという愚を犯すことは無いだろう。売られた喧嘩は買えばいいが、喧嘩を売る必要はないのだ。
シェランがパチッと扇子を鳴らして閉じた。ちょうどそこに、宰相のズーヨンが入ってきた。
「陛下、お話が」
「なぁに?」
シェランが立ち上がって執務机の方へ向かう。ズーヨンは神妙な顔でささやいた。さしものシェランも眉をひそめた。
「南ぃ?」
「そうです。以前から怪しかったのですが……」
「まだ噂の段階なのでしょ? そのうちわたくしが『虐殺姫』だってことを思い出すわぁ」
シェランはのんきに言った。シェランの『虐殺姫』の通称は撤回されていない。そのほうが何かと便利だったりするからだ。今では『流血女帝』というありがたくない通称が増えている。
ふと、シェランのことを『春を呼ぶ桜』と称した青年を思い出した。彼の教え方がいいのか、シェランの外国語能力は着々と上がっている。
シェランは口元に扇子を当てた。
「今日の政務は終わってるわよねぇ?」
「は? ええ、まあ」
「なら、ちょっと城下を見に行きたいわねぇ」
「あ、ずるいです。僕も行きたい」
リンユンが話を聞きつけて言ってきた。しかし、ズーヨンはにべもない。
「ダメです」
「ええっ」
「平気よぉ。わたくしを誰だと思ってるのよ。危ないと思ったら相手を斬ってでも逃げるものぉ」
「それができない人間が何を言ってるんですか」
「……できるもの」
『虐殺姫』たるシェランは好んで人を斬らない。当然だろう。だが、命の危機ともなれば別だ。逃げるときは逃げるに決まっているだろう。
「……なぜ城下に行きたいのですか」
ズーヨンに尋ねられて、シェランはニコリと笑った。
「調べたいことがあるのぉ」
――*+〇+*――
「それで、なんで私がいるんでしょう?」
興味深げに八百屋のおかみの話を聞いている娘の後ろ姿を見ながら、リーフェイは隣に立つ同行者に尋ねた。背丈は同じくらい。顔の造作は整っているが、姉ほど印象に残らない。年はリーフェイの6つ下。そう。皇帝の弟リンユンである。
「まあ、案内係だとでも思ってくれ。僕らは世間知らずだからな」
リンユンはさらりと言った。この兄弟、現実主義者だな……。確かに、護衛としてならリーフェイはあまり役に立たない。武術や魔術の心得はあるが、確実にリンユンたちの方が強いからだ。あくまでリーフェイは文官である。
「はあ。まあいいですけどね。……そういえば、何とお呼びすればいいですか? 本名ではまずいですよね」
リンユンの名を呼ぼうと思い、気づいた。若、とか?
「そういえばそうだな。うーん。ユンとでも呼んでくれ」
そのままだ。まあ、全く違う名前で呼ばれても混乱するだろうから、それでいいのだろう。リーフェイは「わかりました」と答えた。
おかみの話を聞き終えたのか、娘が立ち上がった。いつもの瀟洒な簪ではなく、簡素だが細工の凝った簪を髪に挿していた。着ている服も町娘風。リンユンもそうだが、それでも貴族のお忍び感は隠しきれていない。
「お金の使い方は大体わかったわ。面白いわね、市は」
満面の笑みを浮かべていると、割と年相応に見える。眼つきをやわらかく見せる化粧もいいのかもしれない。皇帝シェランがお忍びで城下に来ていた。いうなれば、リーフェイはシェランとリンユンのお目付け役である。
「姉上。調査に来たのでしょう?」
リンユンにささやかれ、シェランはこともなげに「そうよ」と答える。
「日がくれる前に帰りたいからね。さくさくっと行くわよ」
皇帝の業務から離れて気分がよくなっているのか、シェランの機嫌がいい。
「……機嫌がいいですね」
「僕もこんなに上機嫌な姉上を見たのは初めてだ」
シェランに手を引かれているリンユンは後をついてくるリーフェイを振り返って言った。夜にはまた皇帝業に戻るのだから、今だけは好きにさせておけばいいのかもしれないと思う。シェランはいくつかの果物や野菜市を見て歩く。何を見ているのだろう。さらに木炭を見に行った。魔法のあるこの世界だが、魔法暖房を使うには精霊石という特殊な石がいる。これが高いのだ。だから、大体の普通の家は木炭で暖をとる。
「う~ん。さすがに相場がわからないわ……リーフェイは知っていて? 相場」
「……そうですね。少し高い気はします」
一応中流とはいえ貴族の端くれであるチャン家では精霊石を使う魔法暖房だ。木炭は使ったことがないのでわからない。とりあえず、シェランが物価を見ていることはわかった。さらに鍋、塩、骨董、書店などを見て回り、最後にシェランは甘味屋に行きたいと言い出した。
「甘味を食べるんですか?」
「なによ。悪い?」
「いえ……」
案内を頼まれたリーフェイは首をかしげながらもシェランを案内する。甘味など、王城でいくらでも食べられるだろうに。
リーフェイが案内したのは現在、京師で最も流行っている甘味屋だ。幸い人が少なかったので、すぐに中に通してもらった。
お品書きをざっと見たシェランは注文を取りに来た女性に言った。
「花茶をください。あと、お饅頭と杏仁豆腐」
「わかりました。少々お待ちください」
女性が離れるのを見てから、リンユンがシェランのほうに身を乗り出して尋ねた。
「それで、どうして甘味屋に来たんですか」
「んー。おなかがすいたからっていうのもあるんだけど。見たでしょう? 物価が少し上がっているわ」
「……でも、それは、前の皇帝の政策が……」
「ああ、それもあると思うけど、そうじゃないのよ」
シェランは微笑んでリンユンの顔を見た。そこに、注文したものが運ばれてくる。花茶と饅頭と杏仁豆腐。シェランはまず饅頭をほおばった。それを飲み込んでから話を続ける。
「特に、木炭と鉄。それと、野菜類ね。まあ、わたくしが直接物価を見に来たのは初めてだから詳しいことはわからないけど、お兄様の即位前よりは確実に値段が上がってる。なによりも鉄よ」
そういって、シェランは花茶を一口飲んだ。
「鍋が若干だけど、薄くなってた。あ、これは厨房で鍋を見せてもらったから間違いないわ。塩鉄の利っていうけど、人間の生活に必要なのは塩と鉄。物価が上がるなら、まずここから上がるだろうともいわれているらしいわね。でも、実際は塩の値段がさほど上がってなかった。何故だと思う?」
「……確か、塩湖があるのは北の方でしたね。だからですか」
リーフェイは納得してため息をついた。理由がわかればなんてことはなかった。シェランはまだぽかんとしているリンユンに向かって説明した。
「今、西側は政情不安よね。でも、塩湖は北にあるから直接の影響を受けていない。作物が高いのは、南側で謀反の用意が進んでいるから。鍋が薄くなったのは、誰かが鉄を大量に買い取っているから、鉄自体の値段があがったからよ」
「……赤の帝国ですか、青の王国ですか」
「どっちでもいいわよ」
シェランは本当にどうでもよさ気に言った。彼女は自分、つまり黄の皇国に影響がなければ黙認するつもりなのかもしれない。
「今は冬だわ。さすがの南方も、この時期に反乱を起こそうなんて思わないでしょう。それは諸外国も同じだと思うわ」
今度は杏仁豆腐を食べ始めたシェランが手にもった匙を振りつつ言った。
「ただ、モノの値段が上がるのは困るのよねぇ。黄の皇国はまだ政情が不安定だし、わたくしの政権も安定していないし」
そういいながら、シェランはグサッと匙を杏仁豆腐の器に突っ込んだ。
「ねぇ、リーフェイ。我が国はほとんど他国との貿易を行っていないわよね」
突然話を振られたリーフェイは驚きつつもうなずいた。
「そうですね……。赤の帝国、緋の公国とは貿易を行っていますが、この国では自己生産が発達していますので、さほど力を入れているとは言えませんね」
黄の皇国は広い。西大陸最大の国土面積を誇る赤の帝国には負けるが、北東方面には塩湖、さらに北には鉄鉱石の出る鉱山。中央では商業が発達。南には黄の皇国の食糧庫と言える平野が広がり、港もある。東も海に面して漁業が盛んで、西は西大陸の国々と接している。
つまり、貿易をおこなわなくても、自国の中だけで発展が可能なのだ。しかし、国内だけでは発展が不十分であることもリーフェイは気付いていた。他国では、かなり科学が発達しているのである。
「実は、湘南州を経済封鎖しようと思っていたのよ」
湘南州は南方の、現在、謀反の用意をしているという州だ。
「……それはまたえげつないことを考えますね」
「経済封鎖ってなんですか」
シェランとリーフェイが質問をしたリンユンを見る。リーフェイがシェランの方を見ると、彼女はおいしそうに杏仁豆腐を食べていたので、リーフェイが説明することにした。
「簡単に言うと、街単位の兵糧攻めのことです。いくら黄の皇国は自国の中で生活必需品を生産可能だといっても、街や州の単位ではすべてを生産することは不可能です。特に、南の方では生活に必要な塩、それに鉄が不足しています」
「ああ、それで兵糧攻め……」
「そういうことです」
リンユンが賢くて助かった。杏仁豆腐を食べ終わったシェランは、花茶を飲んでいた。器を置いて彼女は再び口を開く。
「でも、南方を経済封鎖してしまうと、京師にも影響が出るのよね。だった、京師の食糧はほとんど、南から運ばれているんだもの。それに」
そこで彼女はひとつため息をつくと、声を低めた。
「リーフェイはさっき言ったわよね。この国では積極的に貿易を行っていないって。それなのになぜ鉄が他国に流れているのかしら」
もちろん、湘南州に流れているものもあるでしょうけど、とシェラン。しかし、北から南にものが動く場合、中央を通らざるを得ない。関所で手続きをしないと、他の州に渡れないのだ。北から南に移動する段階で、必ず京師のある蓮州を通るはずだ。リーフェイは内心で首をかしげた。
鉄が南に流れれば、シェランが気付くはずだ。おそらく、街に出て調べたかったのは、鉄が流れていることの裏付け。ということは、シェランは鉄の流出に気づかなかったことになる。つまり、その鉄は正規の商業路を通っていないのだ。
「……つまり、外国を経由して鉄……というか、武器が流れているかもしれないってことですか」
「わたくしの予測だけどねぇ」
シェランはおっとりと言った。そのまま代金を払って、彼女に連れられてリーフェイとリンユンも甘味屋を出た。
「でもまあ、赤の帝国が攻め込んでくることはないでしょうね。今の皇帝は賢明なようだし、わたくしの噂も聞いているでしょうし」
「……」
「それじゃあ、今日のところは禁城に帰りましょうかぁ。結構楽しかったわ」
「……」
というか、楽しむことの方が目的だった気もしなくはない。
その後、なぜかこの3人でよくお茶をするようになった。
――*+〇+*――
2月。さあ、謀反が起ころうかという頃、南の州、つまり湘南州刺史とその地方を領地とする貴族が呼び寄せられた。総勢5名である。貴族の1人、ソン氏には長公主、つまり第17代皇帝ジョウシェンの公主が嫁いでいる。その息子を擁立しようとその周辺貴族と州刺史が共謀していることは調べがついていた。
「お久しぶりね。妹はお元気かしらぁ」
手始めに世間話から入る。ソン氏の当主は何食わぬ顔で「元気ですよ。陛下に会いに行くと言ったらうらやましがられました」などという明らかに嘘だ。
「心配されたの間違いでしょ。もしくは殺して来いとでも言われたかしら。妹はわたくしを嫌っていたものねぇ」
ソン氏の当主の息子に嫁いだ第4公主は、シェランを嫌っていた。表だって嫌がらせを受けたことは無いが、陰口を言われていたのは知っている。シェランの即位時も、対立することは無かったが、内心面白くなかったのだろう。それが、こういう形で現れた。
ソン氏の当主はあわてた表情でそんなことは、などともごもご言っているが、バレバレだ。ぼろが出ないうちにやめておけ。
「あなたたち、どうしてわたくしに呼ばれたかわかっているぅ? わたくし、これでも馬鹿じゃないのよ。行動起こすなら、それなりの覚悟はあるんでしょうねぇ?」
「な、何のことですかな」
刺史が引きつった顔で言った。シェランは凶悪と言われる表情を浮かべた。
「あなたたち、目の前にいる人間が誰か、思い出しなさい。わたくしが謀反を起こした時のことは聞いていないかしらぁ? 前皇帝を処刑したときのことはぁ?」
5人の顔色が面白いくらいに変わった。登極から約4か月。忘れられつつあるが、シェランは『虐殺姫』もしくは『血まみれ公主』だ。皇帝になってしまうと意外と便利。さらに、京師征圧戦の時のシェランの働き。それこそ百人切りどころではないだろう。今では『流血女帝』と呼ばれているらしい。
シェランは扇子を机に打ち付けた。切れ長の目を細める。
「喧嘩売るなら相手を考えてよねぇ。追い込まれるほどわたくしは容赦しなくってよ。今なら見逃してあげるけど、よぉく考えてねぇ。あんたたちの家族をわたくし自ら処刑したっていいのよぉ?」
「……へ、陛下。思い違いです。私たちは、そんなことなど……」
一番若い(と言っても30前後だ)貴族当主が怯えつつも言った。そして、ほかの4人に黙れ! とばかりに睨まれる。しかし、もう遅い。
「そんなことぉ? わたくし、何も言っていないわよ。どんなことかしらぁ?」
さしもの若い当主も蒼ざめる。今ここで、シェランに殺されても仕方がないことを思い出したようだ。ふっ。遅いわ。もっと経験積んで来い。はるかに人生経験のないシェランにやりこまれてどうする。
「やましいことがあるなら、とっとと手を引いた方がよろしいわよぉ。わたくしも面倒事は嫌いだもの。とりあえず、他国と貿易をするのなら、わたくしの許可を得てからにしていただけるぅ?」
5人の顔色は青を通り越してもはや白い。シェランはふっと笑うと言った。
「妹によろしくね。わたくしも会いたいわと伝えておいてくれる?」
こうして、シェランは5人相手の交渉に勝利する。
「ふんっ。平和を乱そうとした天罰よ。ざまぁ見なさい」
リンユンとリーフェイ相手のお茶会でシェランは口汚く吐き捨てた。外朝の庭にある東屋である。城下に行ってから、リンユンとリーフェイの仲がいい。
「はまり役過ぎてやばいですね……僕でもその顔で脅されたら引きます」
リンユンにも言われて、シェランは内心がっくりきた。わたくし悪人顔なのかしら。
「……まあ、何事もなくてよかったです。刺史は辞任したそうですね。他の貴族当主は早々に隠居したとか。そういえば、領地を返納しようとした貴族もいたそうですが……」
「あなた、耳が早いわね……さすがに奥方と子どもがかわいそうだったから、没収はしなかったわよぉ」
リーフェイの仲裁にシェランは首を傾けて異母弟をドン引きさせた凶悪な笑みをひっこめた。熱魔法で覆っている東屋は暖かいが、2月の庭は寒い。庭を見るとちらちらと雪が降っている。シェランは置いてあった琵琶を取り上げると、音を打ち鳴らす。それを見て、リンユンがリーフェイに話を振る。
「国外の動きはどうだ? 赤の帝国とか」
「よくはないですね。そろそろ開戦してもおかしくないと思いますよ」
ジャジャン、と琵琶にあるまじき音が鳴った。リンユンとリーフェイが驚いた表情でシェランの方を見た。シェランは2人の方を見ずに目を細めた。
「……世界大戦がはじまるわ」
その言葉は、確かに予言だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
次から本当に世界大戦がはじまる予定です。