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黄の皇国の女帝  作者: 雲居瑞香
第2章【流血女帝】
7/15

【2】

 12月に入ると、シェランの後継者、結婚云々の話は保留になった。正確には、保留にせざるを得なかった。なぜなら、西大陸で戦争が勃発しかねない状況だったからだ。


 赤の帝国アイクシュテットと青の王国セリエールはかねてより仲が悪かった。それでも、両国は戦争はしまいと何とか友好とは言わずとも、危険は回避して交友を行ってきた。しかし、それは終わりを告げた。


 このところ、青の王国は政情不安定だった。黄の皇国も相当政情不安だが、シェランが登極してからは急速にまとまりつつある。自分でなんといっていても、シェランは王の器があった。


 で、青の王国に戻る。18世紀末、かの国では青の革命と呼ばれる革命が起こった。青の王国はその名の通り王国であった。国王が存在し、国を治めていた。


 しかし、強固な身分主義をとっていた青の王国の王族は市民の怒りを買った。青の革命は市民革命なのだ。この革命により、国王と王妃は捕らえられ、青の王国は共和制となった。


 だが、そうは問屋が卸さない。今年、ちょうどシェランが蜂起したころ、青の王国でも蜂起がおこった。軍人であったアレクサンドル・デュラフォアのクーデターである。シェランの蜂起は、むしろ、アレクサンドルのクーデターを予見したため起こったともいえる。アレクサンドルはクーデターを成功させ、青の王国を掌握した。やはりシェランと同じ秋のころである。彼は皇帝を名乗った。


 黄の皇国は青の王国が遠すぎるため何もできないが、赤の帝国の広大な領土は青の王国にも接している。青の王国の台頭に、赤の帝国はおもしろくないに決まっている。さらに、赤の帝国は自国の王女を青の革命によって処刑されていた。


 すわ開戦か、というところで赤の帝国の皇帝が変わり、アレクサンドルが青の王国を乗っ取った。これがどう出るか……少なくとも、アレクサンドルは赤の帝国に攻め込む気のようだ。青の王国からはるばる黄の皇国まで使者が来たのである。




「初めまして、シェラン皇帝陛下。お会いできて、うれしく思います」


 片言の凌語だった。クレマン・デュカスと名乗った使者はアレクサンドルの部下らしい。確かに、軍人らしいいかめしい体つきをしていた。西大陸の人は、東大陸の人間より基本的に背が高いので、クレマンもかなり背が高かった。6尺の背丈があるリンユンといい勝負だ。


 客間に集められたのは皇帝シェラン、リンユン、尚書令ズーヨン、中書令ミンツァォ、門下侍中シュンシェ、御史大夫王梅ワン・メイ、さらに外交官を管轄する礼部尚書、礼部侍郎(通訳)、さらに書記として刑部尚書ユーシァの弟のリーフェイ。彼は最近シェランと一緒にいるところをよく目撃される。


「わたくしは黄の皇国第19代皇帝リー・シェラン。ようこそいらっしゃったわ。わたくしはあまりフォルクレ語が得意ではありませんから、通訳を用意しました」

「それは助かります」


 フォルクレ語は青の王国の公用語である。付け焼刃であるシェランのフォルクレ語はかなり怪しかった。リンユンもさほど話せるわけではないが、皇帝になる教育を帝王学しか受けていないシェランはもっと問題があった。


「それで、デュカス殿。ご用件をお伺いします」


 礼部侍郎がシェランの言葉を凌語からフォルクレ語に訳す。クレマンがにやりと笑う。



 ……嫌な予感がした。予感のままに、クレマンは言った。



「我が主は、黄の皇国の皇帝陛下に支援を望まれています」

「……支援?」


 凌語に訳された言葉を聞いて、シェランは首をかしげた。聞くまでもないことだが、確認しているのだろう。


「我等は赤の帝国を攻め滅ぼすつもりです。それに、力を貸していただけないでしょうか?」


 少し長いその言葉を聞いて、シェランは冷静に切り返した。


「何故わたくしたちがそのようなことをしなければならないの?」

「そうすれば、赤の帝国を挟撃できます。我が主は協力の暁には赤の帝国の領土の何割かを陛下に差し出すそうです」

「……」


 シェランが訳を聞いて顔をしかめた。まさか、飛びつくわけにはいかない話である。


 なめられている気がした。所詮、シェランは21の女だと。それをシェランも感じたらしく、使者をにらんだ。






 対談を終え、皇帝の執務室に向かって歩きながら、御史大夫ワン・メイが声を上げた。


「何なのですか、あの男は! 我が国の方が格下とばかりに!」


 メイは30代半ばの女性である。優秀な女性官吏だ。中背で黒髪をきっちり結い上げた、なかなかに顔立ちの整った女性である。ちなみに、彼女の妹がユーシァの妻にあたるらしい。


「まあまあ。半ば予測していたことではあるからな」


 シュンシェがメイを落ち着かせるように言った。リンユンも腹が立った。


「あちらに我らが従うのが当然と言わんばかりでしたね」

「言葉がわかったのですか?」

「雰囲気です!」


 ズーヨンに聞かれてリンユンは怒ったように答えた。リンユンもすべてを理解したわけではない。


 執務室につき、扉が開いた瞬間、おとなしかったシェランが壁に向かって愛用の簪を投げた。鋭い簪は壁に突き刺さる。待機していたシーファが悲鳴を上げた。



「あの男! よくも言ってくれたわね! 赤の帝国に喧嘩を売れるか!」



 さらに愛用の扇を執務机にたたきつけた。扇が半ばから折れた。



「ふざけるんじゃないわよ! 脅せば屈する小娘とばかりに! そうなんだけど!」



 ぶちぎれたシェランは自分で自分に突っ込みを入れて机を蹴った。



「こちらが手を出せないのをいいことに好き放題言いやがって! 今に見てなさいっ。泣くほど後悔させてやるわっ!」



 ガッ、とシェランが壁を殴りつけると、漆喰にひびが入った。ひとまず落ち着いたのか、シェランは自分が突き刺した簪を壁から抜いた。自分の髪に改めて挿す。


「……何があったのですか?」


 シーファが恐る恐るという風に尋ねた。


「青の王国の使者の態度が横柄だったということだよ」


 リンユンの簡単な説明に、シーファも顔をしかめた。シーファもシェラン至上主義の女性だ。


「とりあえず、使者殿には城内に泊まっていただくのでよろしいですか?」


 ズーヨンが冷静に尋ねた。リンユンはシェランが幽閉されていた屋敷に閉じ込めればいいと思ったが、それはさすがにできない。シェランもズーヨンに同意した。


「今は身寄りのない女性くらいしか住んでないからね。くれぐれも危険のないように」

「承知しております」


 言い置いた後、シェランは外套を手に取ってすたすたと出ていこうとする。


「……姉上。どこ行くんですか」

「腹立つから、消費してくる」


 まあ、室内で爆発されるよりはマシかな、と思い、リンユンは止めるのはやめた。しばらくして、魔力の爆発した余波が届いた。キレて自分の父親の寵姫を斬殺したシェランである。キレたら何をするかわからない。ついでに、近づきたくなかった。リンユン自身は、常識内に納まっているつもりだったので。








――*+〇+*――








「おーい、リーフェイ」


 同僚に呼ばれて、青の王国の使者との対談の書類をまとめていたリーフェイは顔を上げた。


「なんだ?」

「客人。お前の兄上。用があるんだと」

「兄上が?」


 リーフェイは首をかしげて礼部尚書の部屋に向かった。ついでに仕上げた書類を持って行く。尚書室に張ると、なるほど。兄がいた。


「リュ尚書。書類です。兄上、いったいどうしたんですか」

「いや……お前、陛下の行方を知っているか?」

「は?」


 逃亡したのか? シェランに限ってそれはないだろう。話を聞いてみると、どうやら城内で行方不明らしい。かれこれ二刻はたつらしい。


「……何があったんですか?」

「私も又聞きだから知らん」


 ユーシァの返答に、リーフェイは思わずリュ尚書と顔を見合わせた。2人には心当たりがあった。


「……リーフェイ。いいから探してきなさい」

「すみません」


 リーフェイは肩をすくめて礼部を後にした。ユーシァにも見つけろよ、と念を押される。高官の間では、リーフェイがシェランの話し相手になっていることは知られているらしい。そして、リーフェイが探すとシェランが見つかるのは事実だった。どうも行動範囲が似ているようだ。






 果たして、リーフェイはそれほど時間をかけずにシェランを発見した。外朝と後宮の境目あたり。庭の生垣の影に埋もれるように外套を着た皇帝の姿があった。何かをぶつぶつつぶやいている。


「そう、そうよ……国を危険にさらすわけにはいかないんだから………。そう、大丈夫。ちょっと頭が冷えてきた……」

「……冷えているのは体じゃないですか?」

「!」


 シェランが振り返った。寒かったらしく、鼻と頬が赤くなっている。泣いたのか、目元も赤らんでいた。膝を抱えて小さくなっている姿はとても皇帝には見えなかった。リーフェイは視線を合わせるようにしゃがみ、言った。


「みんな心配していますよ。戻りましょう」


 彼女の手を取って、立ち上がらせる。ほっそりした小さな手だった。この両手に、黄の皇国の未来がかかっているのだ。長いこと外にいたからか、手が冷えていた。


「寒くなかったんですか?」

「考え事してたから」


 リーフェイはそうですか、とだけ答えた。考えていたのは、青の王国の使者との対談だろう。リーフェイもその場に書記としていたから、使者の男がどれだけ横柄だったかわかっている。それを指摘するのは簡単だが、彼女の中で答えの出ていることを蒸し返す気にはなれなかった。


「……リーフェイ」

「っと、何ですか?」


 官服の袖を引っ張られて、リーフェイはシェランの方を振り向いた。シェランは真剣な表情でこう言った。


「わたくしに、外国語を教えてくれない?」

「……はい?」


 思いっきり怪訝な反応をしてから付け加えた。


「陛下はもう話せるでしょう」


 拙かったが、ちゃんと喋っていた。発音が怪しかったが、付け焼刃にしては上等だ。呑み込みがいいのだろう。使者のフォルクレ語も何となく理解できていたらしく、訳して伝えられる前から不愉快そうな表情をしていた。


「それでは不十分なのよ」


 シェランの手が強くリーフェイの官服を握るので、リーフェイはたじろいだ。



「わたくし、自分が世間知らずなことは理解しているつもりよ。15歳で外界と隔絶されたから、精神年齢も幼いことはわかっているわ」

「……えっと」

「そんなことありません、なんて言ったらそのきれいな顔をひっぱたくわ」

「……」



 先手を打たれてリーフェイは黙り込んだ。反応に困ったのは確かだ。皇族のシェランは世間知らずで、見た目よりも精神年齢が幼い。周囲が気づいているかは微妙なところだろう。シェランはうまく隠している。


「それでもいいと思っていたの。皇帝になれば、いずれついてくるものだと。でも、待っているだけではだめなのだわ。だってわたくしは、今皇帝なのですもの」


 シェランの冷たい手がリーフェイの腕を握った。思わぬ強い力で握られ、リーフェイは一歩後ずさった。


「外国語も同じ。通訳を通さずに話せるのなら、それが一番いいの。結局、最終決定を降すのはわたくしだもの。歪みない事実が知りたい……わたくしの判断で、黄の皇国の未来が決まるのよ……」

「……陛下?」


 勢いをなくした口調に、にわかに心配になる。シェランの顔を覗き込むと、切れ長の目から透明なしずくがこぼれた。リーフェイはぎょっとする。


「陛下っ!?」


「ねえ、リーフェイ。わたくしの一言で、この国の行く先が決まるのよ。わたくしの一言で、この大国が動くのよ。わたくし、耐えられないと思ったの……ウー貴妃を殺した時、わたくし、お父様から玉座を奪うことを考えたわ。でも、できなかった。だって、怖かったもの。わたくしのせいで民が不幸になるのが……」



 ……たぶん。たぶん、シェランは皇帝になるには優しすぎたのだ。精神年齢が幼いと自ら言うシェランだが、彼女はだからこそ賢明なのかもしれない。


「……わかりました。お教えしますよ、外国語」

「……本当?」

「ええ。だから泣き止んでくださいお願いします。こんなところを見られたら、俺兄上に殺されます」

「殺されそうになったら言って。止めに行くから」


 シェランが笑ったのを見てほっとした。服の袖で乱暴に涙の痕をぬぐおうとしたシェランをあわてて止め、リーフェイは手巾で彼女の目元をぬぐった。



「あなたは桜の様のような人です。俺達に、春を見せてくれた。あなたを見てみんな、春が来るのだと思う。そう思える。新しい風が来たのだと思える。あなたはそんな人です」



 だから大丈夫。桜はみんなが思わず見上げる花。シェランは確かに、そんな人。別れる前に、シェランはくるりと振り返って、まだ赤い目で微笑んだ。



「わたくしが桜だとしたら、あなたは春の太陽みたいだわ。ぽかぽかして、眠たくなるの。素の自分に戻っていい気がするの。だって、あなたは怒らないもの」

「それ、貶されてるんですか?」

「いーえ。ほめてるのよぉ」



 いつもの小ばかにしたような間延びした口調だ。シェランはくすくす笑って、礼を言ってから階段を上っていった。

「春の太陽か……」

 リーフェイはシェランに言われた言葉を繰り返した。

 初めて見たとき、放っておいてはいけない気がした。数度会話を繰り返して、彼女は見た目よりも子供で、弱いのだとわかった。



 それでも、彼女は皇帝だ。彼女の弟のリンユンでも、こうもうまく黄の皇国をまとめられないだろう。シェランにはもう少し頑張ってもらわなければならない。






ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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