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黄の皇国の女帝  作者: 雲居瑞香
第1章【血まみれ公主】
3/15

【2】

人を殺す描写(回想)があります。

苦手な人は回れ右をお願いします。

 昨日、シェランが幽閉されている屋敷に唐突に異母弟のリンユンがやってきたのは、おそらく、手紙が検閲されることを考えてあえて先触れを出さなかったのだろう。まあ、この屋敷にはめったに人が訪れないので、いい刺激になる。


 シェランはかつて、父の寵姫を斬り殺した。シェランはあまりキレたりしないのだが、2番目の兄が殺された時はぷつりとキレた。やりすぎたかな、とは思うが、後悔はしていない。


 父である皇帝とシェランの母は政略結婚だった。母、皇后の実家であるシュ氏は上級貴族で、皇帝である父であろうと断ることはできなかったそうだ。その時すでにウー貴妃は皇帝の寵愛を受けていたが、母はあまり気にした様子はなかったように思える。



 シェランが12歳の時、母が亡くなった。それからちらほらと後宮の妃や公子、公主たちが亡くなるようになった。そして、遂にウー貴妃の息子である第1公子に対抗できる唯一の存在だった第2公子が亡くなった時、シェランはキレた。第2公子と仲が良かったのも関係している。


 シェランと第2公子の剣術の指南役は同じだった。普通、公主は剣を使わないものだが、シェランは力がほしかった。剣術を習うことに難色を示した皇帝を説得してくれたのは第2公子だった。彼は優しく、シェランは彼になついた。


 彼が亡くなった時、何かがシェランの中で切れたのがわかった。シェランは皇帝に直談判に言ったが、聞き入れられることは無かった。第2公子は足を滑らせたのだ、いや、お前が殺したのではないかと言われて、少し頭が冷えた。


 シェランは皇帝の前から退いたその足でまっすぐ貴妃の部屋に向かった。貴妃の部屋は、皇后である彼女の母の部屋よりも広く、豪奢だった。


 別に、シェランをしいたげたりすることは気にならなかった。しかし、彼女は調子に乗りすぎた。国庫や人の命は、彼女のおもちゃではないのだ。


 ウー貴妃は、シェランが自分の子供である第1公子と第1公主を斬ったのを見て悲鳴を上げた。他人の命は簡単に奪ってきたくせに、彼女は命乞いをした。彼女はシェランに殺されることは無いだろうと高をくくっていたようだった。シェランがずっとおとなしかったからだろう。



 だから、斬った。



 あの時、ウー貴妃が自分のしてきたことを理解しているのだったら、シェランの方が姿をくらましただろう。母親と同じ思想を持っていた異母姉も斬り殺した。2人が黄の皇国に害しかもたらさないことはわかりきっていた。事実、ウー貴妃が皇帝に寵愛され始めてから、黄の皇国は緩やかに傾いていた。





 寵姫とその娘を斬り殺し、その息子に大けがをさせた結果、シェランはこうして京師の外れにある屋敷に幽閉された。自分が斬殺した貴妃の遺体を引きずって父のもとに向かったときは、もう自分の命はないものだと思っていた。だが、意外にも父はシェランを殺さなかった。



 もっとも、あそこで父がシェランを殺そうとするようだったら、謀反を起こしていたと思う。



 シェランは手に持った扇を強く握りしめた。やったことを後悔してはいないが、もうやらないと思う。



 後宮にいても特にすることもなかったが、幽閉されて、たしなんできた剣も取り上げられ、本格的にやることが無くなった。シェランには剣や弓、槍などの武器は与えられない。だからと言って非武装でいるシェランではない。この扇も護身道具に一つだ。


 そんなわけで、幽閉されたシェランは売られそうになっている娘を買い上げて女官にすることにした。宮廷から連れて来た女官たちは、貴妃斬殺事件後に急速に広まったシェランの通称に恐れをなしていたので、全員に暇を出した。


 『虐殺姫』、『血まみれ公主』というありがたくない通称を広めたのは第1公子だろう。母親を殺された恨みか、不意を突かれたとはいえ異母妹に斬られたことへの意趣返しか微妙なところだ。


 その通称のおかげで、シェランに買われた娘たちも彼女を恐れた。シェランは割と世話好きだから、小さな子供たちの面倒を見るのもいいと思ったのだが、とんだ弊害であった。


 おびえられるのは本意ではないが、そこは開き直ることにした。買い取った娘たちはこの屋敷で行儀見習いのようなことをさせて、そして、彼女たちが願えば外に出してやる。出家するものだったり、嫁に行くものだったり、さまざまだ。



 今日もまたひとり、嫁入りする娘がいる。わたくしが2年前に買い上げた娘だ。女官はシェランが外に出られない代わりに、外出することが多い。がから京師の商家などに見初められることもあった。今回の娘は商家に嫁ぐ。



 嫁いでいく娘を、シェランは2階の窓から見守っていた。たまに居つくやつもいるが、たいていのものはこうして出ていく。



 シーファが下で娘を送り出している。『虐殺姫』と呼ばれるシェランに送られるよりはいいだろう。娘の夫になる男が遠くに見えた。シェランの顔にふっと笑みが浮かんだ。そのまま窓から離れようとしたとき、「姫様ーっ!」と叫ぶ声が聞こえた。この屋敷の女官のほとんどはシェランを姫様と呼ぶ。まあ、間違いではない。シェランは曲がりなりにも公主だから。


 かけられた声に窓を覗き込むと、例の娘がこちらを見ていた。彼女は無作法にも両手を大きく振った。おいおい。嫁に行く娘がそんなことするなよ……。



「お世話になりましたっ」



 娘が大きく頭を下げた。シェランは虚を突かれて目を見開く。知らず笑みがこぼれた。感謝されるのはこそばゆく、ずっと一緒にいた人がいなくなるのはさみしい。きっと、自分の子供を嫁に出す時はこんな気持ち。



 リンユンによると、父である皇帝の命が危ういという。後を継ぐのは異母兄である第1公子だろう。かつてわたくしが殺した女の息子。彼の母親を殺した時、シェランはその異母兄のことも斬った。あの時は、頭に血が上っていたことを否定できない。


 シェランの噂を広めていることから見て、第1公子は登極すれば、彼女を始末しようとするだろう。もともと、シェランは畏れられることはあっても、惜しまれることは無い。



 別にどうでもいい。自分の生死に興味はない。愛してくれた母も、対等に接してくれた第2公子ももういない。あっさりと彼らの元に行けば、彼らはシェランを叱るのだろうか。



 自分の生死に興味のないシェランだが、自分が死んだとき、残していくものたちのことは気になった。それは、シェラン自身が置いて行かれた人間だからかもしれない。



「姉上」



 窓の外を見ていたシェランが振り返ると、昨日の客、つまり、異母弟のリンユンがすぐ傍にたっていた。シェランと同じように、従者をつけずに1人だった。



「シュンハイはどうしたのぉ?」

「おいてきました」



 さらりとリンユンは言った。おそらく、今頃シュンハイはリンユンを探しているのだろう。不意にリンユンが言った。


「好かれていますね。姉上」

「そぉ?」


 だといいな、とは思う。不吉な噂の付きまとうシェランは、初対面の人間に好意を寄せられたことは無い。シェランにまとわりつく噂のせいでもあるし、シェランの外見が悪女っぽいからでもあるだろう。こうして定期的にシェランを訪ねてくる律儀な人間はこのリンユンくらいのものだ。


「そうですよ。姉上は、そんな彼女たちがどうなろうと興味ないと言ったんですよ」

「そんなこと、興味はないわよぉ」

「嘘ですよね」


 じっと、シェランはリンユンを見た。リンユンもシェランを見る。そらしたほうが負けだと言わんばかりににらみ合ったが、先に目をそらしたのはシェランの方だった。


「……姉上は他人の不幸を喜ぶような人ではありませんから」

「そうだとしたら、ウー貴妃を斬り殺したりしていないわよぉ」


 シェランが、リンユンの言うように優しい人物であったなら、あの時、別の道を選んだはずだ。


「姉上は満足なんですか? この屋敷に閉じ込められて、外にも出られないんですよ?」

「屋敷から出なければ自由だもの。ある意味後宮よりも居心地がいいわねぇ」


 リンユンが唇をかんだ。


「姉上。どうあっても皇帝にはなっていただけませんか」

「ならないわぁ。めんどくさいし」


 そう。面倒くさい。皇帝になることを考えたことがないわけではない。しかし、自分には耐えられないと思った。玉座は孤独すぎる。


 今は、いくら幽閉されてありがたくない噂が付きまとっていても、シェランの周囲には人がいる。侍女のシーファやリュシア、リンユンたちが。皇帝になれば、彼らはみな、遠くなる。


 結局、シェランは臆病なだけ。居心地のいいこの場所を、なくしたくないだけ。なくすくらいなら、自分がいなくなってしまう方がいい。


「だいたい、わたくしが皇帝になろうと思ったら謀反になるわぁ。賛同してくれる人がいると思っているの? わたくし、人望のなさには自信があるわよぉ」

「いえ……あなたほど人望のある人も珍しいかと……いえ、何でもありません」


 リンユンは言葉を濁して口を閉ざした。シェランは睨み付けていたリンユンの整った顔から視線をそらした。


 幽閉されてからは、あきらめた方が楽だった。だから、楽観的に物事を考えることをやめた。あきらめた方が楽だし、精神的衝撃が小さい。



「この国は、もう終わりよ。わたくしの力を頼るくらいなら、こんな国、滅んだ方がいい」



 シェランが登極したところで、結果は同じ。シェランを皇帝に祭り上げるくらいなら、早々に滅んでしまった方がいい。こんな国。この時シェランは本気でそう思っていた。



「……僕は北方異民族の討伐に行ってきます。帰ってきたらもう一度返事を聞きますから、考えておいてください」

「いつ聞いても、応えは一緒よぉ」



 シェランは扇子をひらひらさせて言った。


「と言うか、そんなに忙しいのに来たの?」

「この国の未来がかかっていますから」

「だからぁ。そんなに気にするならあんたが皇帝になればいいのよぉ」


 それから何度も同じ会話を繰り返し、リンユンは従者のシュンハイを連れて王城に帰って行った。やはり2階の出窓からそれを見送りながら、シェランはつぶやいた。


「……覚悟を決めるしかないのかしら」

「は?」


 斜め後ろに控えていたシーファがつぶやきを聞きとがめて首を傾ける。シェランは「何でもないわぁ」といつもの間延びした口調で言った。


 父は性格に難があるが、政治はしっかりと行っている。だからこそ、この国は何とか踏みとどまっているのだと言っていい。


 兄が登極すれば、この国は滅ぶ。兄は馬鹿なのだ。シェランだってリンユンの言うことがわからないわけではない。


「……こんなことなら、お兄様も斬り殺しときゃよかったわ」

「何物騒なことを呟いているんですか」


 シーファにつっこみを入れられつつ、シェランは腹をくくることにした。どうやらリンユンの言葉に心を動かされてしまったようだ。




 思ったよりシェランはひねくれもので、思ったよりこの国が大事だったようだ。



 お兄様を討つ。だが、皇帝になる気はない。皇帝にはリンユンがなればいい。この時はそう思った。






ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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