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黄の皇国の女帝  作者: 雲居瑞香
第1章【血まみれ公主】
2/15

【1】

ちょこちょこ進めていこうと思います。

 噂というのは話半分に聞くものである。話し手の主観が大いに含まれているからだ。特に、悪意を持っている相手の噂は誇張が激しくなる傾向がある。




 黄の皇国斉第3公子・稜雲リンユンがそんなことを考えてしまうのは、これから向かう屋敷の主がとんでもない噂を持つ相手だからである。


 東大陸の覇者、黄の皇国斉の京師・鴻陽ホンヤン。そのはずれにある屋敷に、リンユンは来ていた。門番もこの国の公子であるリンユンを止めない。当たり前だけど。


 案内役の女官に連れられて、リンユンは奥の部屋に通された。失礼します、と女官が開けた扉の向こうで、この屋敷の主が振り向いた。



「あらぁ。リンユン。また来たの」

「また、と言われるほど来ている覚えはありませんが」

「わたくしを訪ねてくる人なんてめったにいないもの。前回リンユンが来てから今までに、3人しか客人は来ていないわよぉ」



 僕が前回この屋敷を訪れたのは半年以上前のはずだ。


 とりあえず、僕はそれよりも気になることを聞くことにした。


「姉上。何してるんですか?」


 リンユンは直球に尋ねた。


 リンユンの姉、黄の皇国第2公主・李雪蘭リー・シェランは、何故か13・4歳の少女の髪を結っていた。その少女は真っ青な顔でガタガタ震えているのだが、シェランは気づかないふりをしていた。


「何って、見ての通りよ。かわいい女の子をかわいらしく着飾らせるのは楽しいわよねぇ」


 シェランはにっこりと笑ってそう言った。たぶん、暇なんだろうな……、とリンユンは思った。シェランは、この屋敷に監禁されているから。



 とりあえず姉上。その子はかわいそうだから解放してあげた方がいいと思うぞ。姉上は、噂ほど怖い人ではないのだが、周囲の誤解は激しい。まあ、誤解を招くような振る舞いをした姉上も悪い。



「ふぅん。そぉ?」


 リンユンが思ったことを婉曲に伝えると、シェランはあっさりと少女から離れた。着飾らされていた少女3人は一様にほっとした表情になった。



「シーファ。お茶を用意してちょうだい。茶菓子もねぇ」

「わかりました」


 シェランの侍女の希花シーファは上品にお辞儀をしてお茶の用意をしに行った。シェランの奇行に付き合えるシーファは、シェランが幼いころに遊び相手として宮廷に上がった女性である。


 お茶を出したシーファに姉上は気さくに礼を言う。


「ありがとう、シーファ。一緒に飲む?」

「いえ。結構ですわ」

「そぉ? ああ、シュンハイも遠慮せずにどうぞ」

「私も結構です」


 リンユンの従者である舜亥シュンハイも遠慮する。シーファもシュンハイもよくできた側付きである。




「あなたたち、2人だけで来たのぉ?」


 高級花茶を飲みながらシェランが尋ねた。リンユンは首を左右に振る。さすがにそれはない。


「護衛は外です。屋敷に入るのを嫌がられて」

「職務怠慢ね。気持ちはわかるけどねぇ」


 そう言って姉上は苦笑して茶菓子をつまんだ。


「わたくしの目に入ったら殺されるとでも思っているのかしら」


 そう言ってシェランは口の中に茶菓子を放り込んだ。楽しそうに言ったが、目は笑っていない。シェラン姉上、怖いです。



 『虐殺姫』、もしくは『血まみれ公主』。これがシェランの通り名である。半分はただの噂だ。しかし、半分は本当。



 第2公主リー・シェラン。色白で花のような美貌の女性ではあるが、笑うと悪女っぽく、目力が半端ない。


 そんなシェランは黄の皇国の皇帝のシュ皇后の娘である。皇后の子は姉上だけで、姉上はかなり身分が高いはずなのだ。


 だが、皇帝には寵姫がいた。ウー貴妃と呼ばれる女性だ。リンユンやシェランの父である皇帝は、シュ氏が上級貴族で、宮廷内で無視できない勢力であったためシュ氏から皇后を娶ったのであり、その寵愛はウー貴妃にあったということだ。


 後宮では皇帝の寵愛をかさにきたウー貴妃が権力を握り、シュ皇后と第2公主はかなり肩身が狭かった。というか、ウー氏とつながりを持っていなければ、後宮では肩身が狭かった。リンユンと彼の母であるルー賢妃も居心地が悪かった。


 貴妃が子供を産むと、宮廷内の勢力も、ウー氏に偏るようになっていった。皇帝がウー貴妃の親族に要職を与えていたのだ。逆に、シュ皇后の親族は次々と左遷されていった。ウー貴妃のためにと国庫を湯水のように使う皇帝に苦言を申し立てたからかもしれない。


 そうしているうちに、皇后が亡くなる。ウー貴妃のいじめに耐えられずに精神を病んだというのがもっぱらの噂だが、暗殺されたのだという噂もある。どちらにしろ、真相は闇の中だ。シェランが調べようとしなかったせいもある。ちなみに当時、シェランは12歳。


 ろくな後ろ盾のなくなった第2公主の後宮内での立場はかなり悪くなった。それでも彼女は平然と後宮内を歩き回り、ウー貴妃派の顰蹙を買っていた。


 シュ皇后が亡くなってから半年ほどして、リンユンの母も亡くなった。それからもぽつぽつと定期的になくなる妃嬪が現れ、何かの作為が働いているとしか考えられなかった。そんな中で、シェランは母親を亡くした幼い異母弟妹達の世話をよくしていた。



 基本的に何があっても我関せずを貫いていたシェランの怒りが爆発する事件が起こったのは彼女が15歳、リンユンが13歳の時だった。原因は明白で、リュー淑妃の息子である第2公子が亡くなったからである。シェランはこの異母兄になついていた。彼は階段から足を滑らせたことになっているが、隣にいたシェランによると、誰かが後ろから押したという。



 殺されたのだ、というシェランのその訴えは、皇帝に聞き入れられなかった。



 そしてシェランはキレた。当たり前だが、第2公子はウー貴妃の息子である第1公子に次ぐ皇帝候補であった。だれがどう見ても、ウー貴妃が自分の子供を皇帝にするために第2公子を殺したとしか思えなかった。



 皇帝に直訴しても無駄だと悟った姉上は、実力行使に出た。贅沢の限りを尽くしていたウー貴妃とその娘である第1公主を斬り殺し、第1公子に重傷を負わせた。シェランは皇帝の私室まで殺したウー貴妃を引きずっていき、皇帝の前に放り出した。そして、15歳のシェランは、黄の皇国斉の皇帝に説教をかました。


 とはいえ、殺されたのは稀代の悪女とささやかれていたウー貴妃であったため、シェランに賛同する声もあったらしいが、いまだに最大勢力を誇っていたウー氏に対抗することはできず、その意見も次第に消えていった。


 だが、シェランに集まった同情票は、彼女にとってはいい方に働いた。少なくとも、殺されることは無かった。だが、寵姫を殺された皇帝の怒りはすさまじく、シェランから皇位継承権を剥奪した上、京師の外れにある屋敷に幽閉した。以来、彼女は刃物などの危険物は持つことを許されず、屋敷から出ることもできない。



 この事件からついたあだ名が『虐殺姫』であり、『血まみれ公主』だ。明らかに誰かが流した噂であるが、これがただの噂だと否定できないところがシェランの恐ろしいところではある。



 襲ってきた凶手を1人で返り討ちにした。


 13歳の時に第2公子の従軍に追随し、内乱を鎮圧した。


 かわいがっていた異母妹を毒殺しようとした女官を頭から真っ二つにした。


 眉唾物も多いが、シェランのあだ名はいろいろな噂を集結させて、第1公子が流したものだった。貴妃斬殺事件の印象が大きすぎるため、ほかはあまり知られていないようだが。


 この事件があまりにもすさまじく、かつ、シェラン公主は狂っている、という生き残った第1公子の情報操作により、シェランは寄れば斬られる異常者として認識されることになった。

 そんなシェランは現在20歳。幽閉生活もすでに5年に及ぶ。何となく楽しんでいる気がするのは気のせいだろうか。いや、そうではないかもしれない。



 あきらめているんだ。リンユンはそう思って花茶を一気に飲み干した。シェランが手を伸ばして急須からお茶を注ぎ足してくれる。リンユンが知っているシェラン姉上は怒ると怖いが優しい姉上だ。



「……ところで姉上。先ほどの娘たちはどこから来たのですか? 姉上の事ですから、脅しとか誘拐とかはないと思いますけど」


 暗い気分を振り払うように尋ねると、シェランはああ、とうなずいて自分の茶器にも花茶を注いだ。空になった急須を、さりげなくシーファが下げた。


「奴隷商や妓楼に売られそうな娘を買い上げたのよぉ。望めば時期を見て出家や結婚させてるわぁ」

「姉上、何やってるんですか」


 思わず突っ込みを入れた。話だけ聞いていればただの世話好きなおばさんのようである。まあ、奴隷商や妓楼に売られるのと『虐殺姫』に買い取られるとのでは、どっちが不幸か微妙なところではあるが。ちなみに、リンユンはシェランに買い取られる方がいいな、と思った。シェランの気性を知っているからだけど。



「いいじゃない。やることないしぃ。剣は持たせてくれないし、男をはべらすよりもいいでしょぉ。皇帝陛下的にも、目の保養的にも」



 まあ、そうかもしれないけが。シェランはこのままでは死ぬまで屋敷に閉じ込められたままだ。


 そこで、本題に入ることにした。


「姉上。この屋敷から出られるとしたら、どうしますか?」


 シェランは怪訝な表情になった。まあ、当然の反応だろう。


「なぁに? まさかの縁談?」


 シェランが嫁げば、嫁ぎ先が謀反を起こす可能性があるのでそれはない。少なくとも、皇帝はそう思っているはずだった。たぶん、シェランならしないだろうけが。


「違います。……姉上。皇帝になる気はありませんか?」

「ない」


 即答だった。もうちょっと悩んでもよさそうなものだが。そうは言っても、リンユンも同じことを聞かれたら「ない」と即答していただろうと思う。


「そもそも、わたくしの皇位継承権ははく奪されているでしょう。皇帝陛下の眼の黒いうちは、わたくしの登極なんてありえないわぁ」


 皇帝はいまだに愛妾を殺したシェランを恨んでいる。大人げないと思わないでもないが、シェランがそれだけのことをやってのけたということでもある。


「ですが、このままでは兄上が登極することになります。噂、聞いてませんか?」

「聞いてるわよ。頭の悪い傀儡公子でしょ。実権はウー貴妃の実家がいまだに握っているそうねぇ」


 シェランはさらりと自分が殺した相手のことを言う。しかも、何気に情報通だ。


「血まみれ公主が登極するよりましだと思うわよぉ?」

「姉上。それ、本気で言っているなら一発殴らせてください」


 リンユンが半分本気で言うと、姉上は肩をすくめた。


「わたくしの噂は誇張されているのは確かだけど、事実に基づいてはいるのよ。わたくしが登極するのは、国民が納得しないでしょう」


 その発言自体が国のことを考えている証拠になる。だから、リンユンはシェランの言葉を信じない。


「わたくしはこの国がどうなっても、興味ないものぉ」


 リンユンは信じることもできなかったが、反論することもできなかった。この姉を説得するのは難しいと感じた。


 しばらく沈黙が続いた。シェランは茶菓子を一つ口に放り込むと、再び笑みを浮かべた。


「それで、泊まっていくぅ? うち、使用人少ないんだけど。……ああ。それとも、護衛のみんなの精神衛生のために宮廷に戻るべきかなぁ?」


 シェランの馬鹿にするような態度には若干のいら立ちを覚える。シェランは人をいらだたせる才能があるようだ。


「姉上が皇帝になることを承諾するまでここにいます」

「じゃあ、一緒に暮らす? というか、そんなにお兄様の登極が許せないなら、リンユンが皇帝になればぁ?」

「それでは意味がありません」


 リンユンは自身の能力を正しく理解しているつもりだった。リンユンは皇帝の器ではない。第1公子も皇帝とは言えない。かつて斉皇国を統合した皇帝のような、強い皇帝となれるのはシェランだけだ。


 わかっていると思うが、リンユンは一応言ってみた。


「姉上。わかっていると思いますが、一応言います。兄上が即位すれば、姉上は居場所がなくなりますよ? この屋敷にいる使用人たちも道連れです」


 第1公子は母と妹を殺した第2公主を許さないだろう。今は皇帝がシェランを放っておいているから何もできないが、ひとたび彼が皇帝となれば、確実にシェランの命はない。


「いいわよ、別にぃ。興味ないし」

「姉上ぇぇぇええ……」


 うなるような声を出すが、姉上は歯牙にもかけなかった。なんだか悔しい。


「リュシア。リンユンを客間に案内してちょうだい。あと、夕食の手配もよろしくねぇ」

「わかりました、姫様。殿下、どうぞこちらへ」


 シェランに呼ばれた女官がにっこり微笑んでリンユンを案内した。彼の後からはシュンハイがついてくる。


 リンユンが改めて見ると、案内役の女官は斉人ではなかった。斉の人間は大体黒髪黒目、たまに茶色の髪や目をしている者もいるが、それでも濃い色合いの茶色だ。しかし、この女官は色素の薄い茶髪に、青い瞳をしていた。肌も異様に白い。おそらく、西大陸の人間なのだろう。


 思わずまじまじと見つめていると、女官が振り返った。彼女はにこりと微笑む。


「お気に触ったなら申し訳ありませんわ。見ての通り、私は斉人ではありませんから」


 リンユンはあわてて首を左右に振った。嫌悪を感じたわけではない。


「そうではなくて。珍しいから、驚いただけだ」

「ふふっ。そうでしょうね」


 そう言って女官は名乗った。


「私、瑠夏リュシアと申します。何かあれば遠慮なく申付けてくださいませ」

「……わかった」


 うなずいた時、ふと庭の様子が眼に入る。庭では、リュシアよりも幼いだろう女官たちが集まっていた。この屋敷は女性の使用人が多い。暇な、もとい優しいシェラン様が女性を保護するからだろう。


 涙目の少女たちは、彼女たちよりいくつか年かさの女官に慰められている。おそらく、あの少女たちは先ほどシェランが着飾らせて遊んでいた少女たちだ。


「……彼女たちも、姉上が買い上げたのか……」

「そうですわ。私もです」


 独り言のようなつぶやきに、思わない返事が返ってきた。リンユンはぽかんとした。たぶん、シュンハイも似たような反応をしたのだろう。リュシアが楽しげに笑った。


「当然でしょう? 私のような西大陸の人間がそうそういるはずないではありませんか。私は西大陸で人さらいにあって、斉皇国に来たのです。姫様に買い上げられたのは5年前の事ですわ」


 5年前なら、ちょうどシェランが幽閉されたころである。彼女はそのころから既に奇行を行っていたらしい。いや、それ以前から奇行は繰り返していたけが。普通、公主の身で従軍したりしない。


「……逃げようと思ったことは無いのか? 姉上は噂ほど怖い人ではないが、見た目は十分凶悪だぞ」


 悪いが、客観的に見てこれは事実だ。異母弟であるリンユンですら背筋が寒くなるくらい、目力が半端ない。要するに目つきが悪い。


 それでもリュシアは微笑む。


「私も姫様の噂は聞いていましたわ。ですから、当然、怖かったですわね。でも、私は宮廷から来た女官たちに冷たくされていたのですけど、姫様はいつでも優しかったですわ。後から知ったのですけど、私はあのまま姫様に買い取られなければ、斉の好色貴族に売り飛ばされていたらしいです」


 それよりは、虐殺姫の方がマシだと思ったのですわ、とリュシアはさらりと言う。


「噂は、噂にすぎませんわ。本人を見ていれば、姫様が優しい方だということはわかります。ですから、私もお仕えさせていただいているのですわ」

「……親に会いたいと思わないのか?」


 姉上なら、リュシアが両親にあえるように心を砕いてくれるはずだ。そう思ったのだが、リュシアは首を左右に振った。


「いえ。今は、両親よりも姫様の方が大切です」

「……姉上のことを慕ってくれてうれしく思うよ」


 リュシアは青い目を細めた。この姿では、生きにくいこともあるだろう。シェランの側にいれば確実に保護してもらえる。しかし、第1公子が皇帝として登極すれば、その生活にも終わりが来る。


 シェランは確かに自分の命はどうでもいいと言う人だが、リュシアやシーファ、そのほかの使用人たちがどうなってもいいと思えるほど、冷酷な人ではないはずなのだが。




 ここを攻めれば、彼女をうなずかせることができるかもしれない。






ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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