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黄の皇国の女帝  作者: 雲居瑞香
第3章【女帝の外交】
13/15

【5】

 赤の帝国アイクシュテットの皇妃は名をイザベル・ヴェルツェルと言う。皇族傍流であるヴェルツェル大公家の長女で、現在20歳。淡い金髪とエメラルドグリーンの瞳を持った美女である。眼はたれ目がちだが、そこはかとなく気の強そうな印象を醸し出している。


 皇妃イザベルは今年の秋に出産を予定している。夫である赤の帝国皇帝フェルディナンド2世には、すでに2人の側室がいるが、いまだ子はない。だから、このままいけばイザベルの子がフェルディナンドの第1子となる。皇帝に最も近い存在として生まれる。


 そんな時現れたのが黄の皇国斉の皇帝シェランである。東洋人らしい黒髪黒目。滑らかな象牙の肌。通った鼻筋と切れ長で吊り上った意志の強そうな瞳。イザベルよりいくらか年上の彼女は、西大陸人のイザベルから見ても美人だった。


 正直、焦った。フェルディナンドは気の強い美女が好きだ。シェランはそのど真ん中をついていると言っていい。ただ、すでに夫君がいるということで安心していたのだが、会議の合間の休憩と称して開かれたお茶会で、フェルディナンドがシェランに好意を寄せていることがわかった。



 もしも、シェランがフェルディナンドの誘いを受けてしまえば、イザベルの皇后の座が危うくなる。フェルディナンドとシェランに子が生まれでもすれば、大陸統一国家を樹立するだろう。



 野心家のフェルディナンドにとって悪い話ではない。焦ったイザベルはシェランに刺客を仕向けた。しかし、彼女は、シェランが自力で帝位を簒奪したということを忘れていた。


 2日間、刺客を送り続けたが、すべて返り討ちにされた。そのシェランが、今日になって面会を申し出てきた。イザベルが青ざめるのも無理はない話だろう。自業自得と言えども。


「皇后様。シェラン皇帝がおいでになられました」

「……通して」


 侍女が一礼して扉を開けて、客人を招き入れた。黄の皇国風の衣装に身を包んだシェランは一人だった。イザベルは立ち上がり、青いドレスのスカートをつまんで礼を取る。


「こんにちは、イザベル殿。ご機嫌麗しく」


 流暢とは言い難い、しかし、しっかりと聞き取れるアイク語でシェランは言った。国は違えどシェランは皇帝。本来なら、呼びつけられて彼女の居室に向かうのはイザベルのはずだ。


「……ご尊顔を拝謁賜り、恐悦至極にございます」

「悪いけれど、難しい言葉は聞き取れないの。簡単によろしく」


 にっこりとシェランは笑った。目つきはイザベルの夫といい勝負の凶悪さだが、フェルディナンドとは違い、人の良さがにじみ出るような笑みだった。


「……お会いできて光栄ですわ、シェラン皇帝陛下。イザベルと申します。お噂は、かねがね」

「そう。ここにまで噂は届いてはいるのね」


 含むようなその言葉に、イザベルの背筋が震えた。黒曜のような瞳に、冷酷な色が見えた。


「どうぞ、お座りください。お茶でも」

「ああ、結構よ。すぐに済むわ」


 シェランはそう言ってイザベルの侍女ににっこりした。侍女は顔をひきつらせて出ていく。


「イザベル殿。どうやらあなたの耳にまでわたくしの噂は届いているようね?」

「は、はい……。善政を敷く、よく皇帝だと伺っておりますわ」


 無難な答えを選んだが、シェランの求める答えはそれではない。



「そこは正直に言ってほしかったわね。兄を殺して帝位を奪った簒奪者。狂った変人で、腹立ちまぎれに父親の愛妾を斬り殺したって」



 シェランの眼が細まる。その噂は、イザベルも確かに聞いていた。その経験ありきのこのシェラン皇帝なのである。


「同じことを、あなたにしてあげてもいいのよ?」


 ふふっ、と扇の奥でシェランは笑った。イザベルは顔が凍りつく。


「よくもこのわたくしにたてついたわね。これ以上わたくしに『客』をよこすようなら、赤の帝国からの正式な宣戦布告と受け取るがよろしいか?」

「な、何のことでしょう?」

「裏は取れてるんだけど。あなた、わたくしが斬り殺した父の愛妾と同じね」


 イザベルはがん、とショックを受けた。シェランが斬り殺したウー貴妃は、外国でも評判が悪かった。だから、シェランが貴妃を殺しても、さほど悪感情は持たれなかった。むしろ、同情が集まったくらいである。


「安心して。わたくし、すでに夫がいるの。あなたの夫君は友達にはなれても、決して伴侶にはなれないわ。だって、あの人、野心が強すぎるんですもの。わたくし、うっかり斬り殺してしまいそうだわ」

「……」


 ああ、この人も皇帝なのだ。黄の皇国をすべる、新しき女帝。


「このまま済ませるなら、今回は見逃して差し上げるわ。そうねぇ。貸しにでもしておきましょうか。わたくしの子どもにでも返してあげてほしいわ」


 用件は以上よ。そう言ってシェランは立ち上がった。言いたいことだけ言って出ていった。イザベルはソファに崩れ落ちる。


「皇后様!」


 侍女が心配して駆け寄ってきた。イザベルは思った。


 負けたわ。






――*+〇+*――






 シェランはいくらかすっきりした顔でその日を終えた。暗殺におびえる心配もなし、会議も順調に条約を結び、明後日には帰れるだろう。なんだかんだ言って、母国がいい。滅んでも構わないと、1年前まで思っていたのに。


 条約は赤の帝国以外の国にやや不利なものとなったが、黄の皇国はまだましな方だった。国が遠いのもあるだろう。しっかり有利な条約をもぎ取っていた白の王国はすごい。


「どう? 似合う?」


 シェランはリーフェイの方を向いて腰に手を当てた。緑のドレープの効いたスカートに白いブラウス。その上から濃い青のベストを着て、上着として黒いコートを着る。髪もおろして結い直した。帽子をかぶるので、簪はさせないのである。


「似合ってますよ。東大陸からの旅行客に見えます」

「ならいいわね。リーフェイも似合ってるわよぉ」

「ありがとうございます」


 リーフェイが苦笑した。リーフェイもズボンにシャツ、ネクタイにコートと西大陸風のいでたちだ。東洋人であるシェランたちが西洋の恰好をするのは違和感があったが、2人とも元がいいので似合っていた。


「お2人とも、本当にお似合いです」


 リュシアも楽しそうに言った。シェランはそんな彼女を見て言う。


「リュシアも行く?」

「いいえ。遠慮させていただきます。武力面に関しては、シェラン様を信頼していますから」


 本当は逢瀬を邪魔したくなかったのだが、リュシアはあえてそう言った。基本的に人の好いシェランは「そぉ?」と首を傾けるだけにとどまった。


 赤の帝国に来た時から、街を見てみたいと思っていた。フェルディナンドに許可を取り、シェランはリーフェイを伴って街に降りた。戦闘力は折り紙つきのシェランなので、護衛はどこかにいるかもしれないけど、近くにはいない。とりあえず、シェランは無邪気にふるまうことにした。東大陸人は若く見られるので違和感はないだろう。


 とりあえず雑貨屋に入ってみる。リーフェイが居心地悪そうだが気にしない。シェランだって気まずい。皇帝がかわいい雑貨屋だ……。


「……ねえ、リーフェイ。今の為替ってどれくらいだったかしら」

「は? 為替?」


 リーフェイが何それ、と言わんばかりに繰り返したが、堪えてくれた。シェランは小さな宝石箱の値札を見て突っ込む。


「うっわ。価格崩壊……」

「……確かに廉価ですけど、価格崩壊って程じゃないですよ。税関を通っていないんですから、黄の皇国で売られているものとは違います。と言うか、価格崩壊って言葉、知ってるんですね……」


 後ろから覗き込んできたリーフェイにさらに突っ込まれた。リーフェイは時々驚いたようにこういうことを言う。


「リーフェイの中でわたくしはどんな世間知らずですか」


 知識はそれなりにある。つもりである。まあ、世間知らずなのは否定できないが。リーフェイはごまかすように微笑んだ。


「赤の帝国は大量生産技術が発達しているんですよ。一度に大量に同じものを生産できますから、安く済むんですよ」

「ふうん。やっぱりできとしては手作りの方がいいの?」

「ものによりますけど、こういう小物に関してはそうですね。大量生産だと、布がほつれたり縫い目が荒くなったりしますから」


 そう言ってリーフェイが示したのは布製の髪飾りだった。シェランはふうん、とうなずいてそれを手に取った。


「……よくわからないわ。宝飾品なら多少わかるのだけど」

「そんなものですよ。装飾品と言うのは、自分が気に入ったかで決めるものでしょう?」

「……それもそうね」


 色気のない会話をしているシェランたちのもとに、にこにこと笑う女性店員が近づいてきた。


「何かお探しですか?」

「見ていただけよ」


 アイク語でそう返し、シェランは手に持っていた髪飾りを置いた。女性店員は「あら」とほほ笑む。


「お似合いになると思いますよ。お2人はご旅行ですか? 旅のお土産にでもいかがです?」


 邪気なさそうにシェランとリーフェイを交互に見る。シェランはリーフェイを見上げた。


「じゃあ、買いましょうか」

「ありがとうございます」

「えぇ!?」


 シェランが店員の声にかぶせるように口を開いた。リーフェイも「え」と言う。


「いえ。シェランが物欲しげに見ていた気がしたので」

「気のせいよっ」


 即座に否定した。凌語なので店員には理解できていないはずだが、「仲がよろしいですね」とほほ笑まれた。シェランは赤くなった顔を逸らした。


「じゃあ、これください」

「ありがとうございます」


 アイク語でリーフェイと店員が会話をしている。買ってきた髪飾りをリーフェイは早速シェランの髪に飾った。


「うん。よく似合ってますよ」

「薄紅色なんて……せめて赤にしてちょうだいぃ……」

「その感覚、おかしいことはわかっていますよね?」


 リーフェイに心配そうに確認された。それはわかっている。普通、女性は可愛らしい薄紅色を選ぶことが多い。


 店を見回りながら歩いていると、リーフェイが「ちょっと待っていてください」とそばを離れた。シェランは不審げに声を上げる。


「ちょっとぉ……」


 シェランは眉をひそめた。何かしたか、自分は。仕方がないので、近場のショーウィンドウを眺めて待つ。ぽかんと口を開けていたら、口に焼き菓子のようなパンのような不思議なものが放り込まれた。咀嚼する。甘い。呑み込んでからシェランに食べさせた張本人であるリーフェイの方を向いた。


「……なに、これ」

「ワッフルですよ。はい、これ」


 手渡されたのは紙に包まれたパンと焼き菓子の中間くらいのものだった。かじると、先ほどのものと同じ味がする。


「……おいしいわね」

「割と簡単に作れるはずですよ。今度作ってみましょうか」

「私、料理はできないわよ」

「わかっています。俺もまだ死にたくないですし……」


 なんだろう。最近リーフェイの言葉にとげがある。


「……リーフェイ。確信犯でしょう」

「何がですか?」


 この瞬間、シェランはもう駄目だな、と思った。自分はとんでもないやつに結婚を申し込んだのかもしれない。


 お互いにそう思っていることを知らないおめでたい夫婦である。


「わぁっ。かわいい包装」

「女性向けなんですね」

「じゃあ、シーファの土産にしましょう。ついでにメイとタオにも買っておこう」


 後宮に押し込められ、のちに幽閉され、こういった経験のないシェランには楽しかった。あきらめていた。人生を。あきらめていた。幸福を。


 もしかしてわたくし、さみしかったのかしら……。






「リンー。やっぱりわたくしも残りましょうかー?」

「陛下が残ってどうするんですか」


 帰国日、シェランが心配げにリンに問うと、リンはくすくすと笑って言った。


「大丈夫ですわ。みんなもいますし」


 みんな、と言うのは後から到着したリンの侍女である。


「何かあったら言うのよぉ? 訴えに来るからねぇ」

「まあ。ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」


 にこにこ笑うリンを残して、シェランたちは黄の皇国に帰ってきた。


「勝ったのか負けたのか、よくわからないわぁ」

「初めてにしては上出来ですよ」


 リーフェイがシェランの頭をなでる。執務室に入ると、すでに待ち人がいた。


「お帰りなさいませ、陛下」

「お帰りなさいませ」

「うん。ただいまぁ」


 宰相のズーヨンをはじめ、中書令ミンツァォ、門下侍中シュンシェ、御史大夫ワン・メイ、侍女のシーファ、そして異母弟のリンユン。


「留守中、ありがとねぇ。あ、それ土産」


 とシェランはリュシアの抱える箱を差す。中身は焼き菓子だ。


「首尾のほどはいかがでしたか?」


 リンユンが尋ねてきた。シェランは微笑む。


「リンユン。あまり期待されても困るわぁ。わたくし、登極してからまだ半年よぉ?」

「姉上ぇぇぇえええっ!」


 リンユンが悲鳴を上げた。横からリーフェイのツッコミが入る。


「シェラン。わざとでしょう?」

「リーフェイに言われたくないわぁ」

「奇遇ですね。俺もです」


 顔を見合わせて笑う2人に、周囲は引き気味だ。


「まあ、それはともかくぅ。はい、これ。条約文。譲れないところは守ったつもりぃ」


 各部の長官たちが条約文を覗き込む。会議はアイク語だったが、条約文はすべての言語に訳されている。さすがにシェランは外国の文字は読めないが、リーフェイに確認してもらったので問題はないと思う。


 ひたすら条約文を眺めていた4人を代表して、シュンシェが言った。


「陛下。正直なめていました。すみません。上出来です」

「怒っていーい?」

「やめてください」


 簪を持って振り上げた手をリーフェイにつかまれた。自分でもわかっていたことなのに、他人に言われると腹が立つのは何故?


「リンユン。相手は見つけたぁ?」

「まさかの飛び火!」

「まさかじゃないわよぉ。行く前に言っておいたでしょぉ?」

「あー……うん」


 視線をそらされた。シェランは本気でぶちぎれようか迷った。


 なめられてる。本性がばれてる相手にはなめられてる。シェランはこのまま皇帝をやめようかな、とちょっと思った。








ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


少々妙なところで切れますが、これでこの話は最後になります。

もともと、『黒の王国の住人』の世界観を考えるにあたって考えた話だったので、妙なところで終わってるんです。

でもいちおう、その後は投稿しておきます。

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