生まれおちし者
人は、石に字を刻むときには、なにかしら道具を必要とするが、彼、ジルハマンには必要なものなどない。偉大なる魔導師である彼が、言葉を発すると文字となって刻まれていくのである。
魔導師ジルハマン。
彼は千年の時を生きた人間と言われているがそうではない。
彼は、地球人類の創世から人類と共にあった。人は彼の備えた偉大なる叡智によって、多くのことを学んだ。そうして、ほぼ五〇年ごとに名を変え、住む所を変え、時の人間たちの愚かな行為を諫めてきたと言われている。
ジルハマンは、最初の名であり、最後の名である。
光と闇の魔法を使いこなしたという稀代の、そして不世出の魔導師であった。
不思議な詩を多く書き残したことでも有名である。
その彼の実在した映像など無い。
だから、彼自身が認めない限り、そうとは分からないはずなのに…、リュウとティアには直感的に分かったのである。彼がそのジルハマンだと言うことに…。
過去幾度も記録映像の中にトリップインして見た『地球』の映像とは格段の差があった。その臨場感は言葉では言い表せないものだった。
「ひさしぶりだね。亜斗流、蘭帝主。憶えているだろうか、あの島でのこと…」
ジルハマンの懐かしい友を見るような暖かいその目が、ほほえみを形作っていた。
アトル…、ランティス…、懐かしい響きを二人は感じていた。
「ジルハ…マン…様…、貴方はお変わりにならない…」
亜斗流と呼び掛けられたリュウが呆然としたまま、言葉を紡ぎ出す。蘭帝主ことティアは、流れ落ちる涙を拭うこともできずに、ただその両手を組み祈る形を取ってジルハマンの前に跪く。
「あのとき、おっしゃられていたことが、現実になったときの痛み、悲しみは未だに消えません。誰のせいでもなく、ただ、わたくしたちが…」
ティアの目の前には、巨大な帝国となってしまったアトルとランティスの島の興亡が現れては消えた。 それは後の世で失われし大陸アトランティスと呼ばれた島のことである。
もうずっと前のことになるが、彼の地に国を築くときにジルハマンに助言をしていただいたのだ。 国造りの条件に当てはまったのは、東の果ての小振りな島と星の中心地域に近い巨大な島だった。どちらも海に囲まれ、火山活動の多い島であった。
どちらにも、繁栄と衰退のレベルが同周期で起こると導き出されていた。そして、その文明の寿命だけが、不透明だった。
なぜなら、人の寿命は当時でも二百歳をわずかに超えるものでしかなかったのだから。
「いやいや、わたしの星見のほうが不完全だった。まだ、あのときには星との対話が完全な形でとれなくてね…」
ジルハマンが頭をかきながら謝る。
「いえ、私たちは国を造る場所を間違えたのでしょう。人は、水の流れと同じ。高きから低きへと流れ、時に澱み、時に潤い、そして流れていく存在だと言うことに気づけなかった私たちに力がなかった…、そういうことなのでしょう…」
アトルが当時を振り返る。
その姿は、金色の発光体に包まれていた。
「そう、私たちの子供が争うなんて考えもしなかった…。どんなものでも、そこに力があれば戦いなんて起こり得ることだと知っていたのに…。それでも、民のことを思い、碧の水晶の力に頼ってしまったときから、滅びへの道を辿ったのだと思っています」
涙を拭うこともせず、当時の思いを口に乗せるランティスも徐々に輝き出す。
アトルの放つ光に導かれるように、月のような銀色の光を体の内側から迸らせていく。
「風牙、勇牙、空牙の三人の息子も今また同じ世界で会えました。少々、時系列が合っていませんが…。ジルハマン様、ここであなたに再び会えたのは単なる偶然ではないのだと思います。彼らの両親、たぶん未来の私たちなのですが捜さなければなりません。彼ら、いえ彼女たちに約束したのです、必ず探し出すと。お力を貸しては頂けませんか」
ティアの願いとそこに込められた思いが、ランティスとしての意識に重なり、彼女の放つ光が強くなる。体が熱くなり、放つ光がティアの体の一部分に集約していく。それは頭頂部へと移行し、咲く気配も見せなかった蕾に光が満ちた。開花の瞬間、ティアは広がった意識の海にいた。遙か彼方まで一瞬にして見渡せ、遙かな深みにまで手が届くような恍惚の世界がそこにあった。自分の立つ位置、ジルハマンの立つ位置、シュガーたちの立つ位置、そのすべてが溶け合いながらも確立しているところ。
魔法の花の蕾といわれたものは既に無く、そこに在ったのは意識という名の風にたなびく彼女の花が咲いているだけ。ティアの黒髪に映える銀の翼のように…、ティアラのように軽やかに咲き誇っていた。
「ランティス、いや…今はティアか…、わたしの力は無限ではないよ。かつて、わたしの助力で築いた国をわたしはみすみす滅ぼしてしまった。友の国だというのに…。強い思いを持ちなさい、誰よりも…何よりも…。その思いが、道を開くのだとわたしはいつもそう思っている」
ジルハマンの真摯な言葉が、今のティアには素直に受け入れられた。人の世の雑然とした一切合切を統括することは神たる存在にも簡単ではない。ましてや、人は…。
「強い…思い…」
そう静かに呟いたリュウは、目を閉じる。
自分の中に、何らかの力が形を持たないながらも存在していることに気が付いた。シュガーたちの思いとティアの願い、そして自分の本当の気持ちが一つのベクトルを持った。体から放っていた光に指向性が生まれる。集約して頭頂部へと向かう。それらは一瞬で起きた。自分の中にあると言われていた魔法の力の源が、その存在を感じると同時にその許容量を増大させていく。そして、行かなければならない封印の地への鍵の存在。そこから先の未来が分岐していることも…。
「ああっ…、なぜ…」
そう口走った彼だが、ティアの不安な目に遮られてしまう。
「ティーノ、ディーノ、ティーダ、スイトフ、マーシ、コルプラスト、アシィス、みんながいる…」
アトルとランティスの島で…、彼らの近くで…お互いに関わり合いながら、それぞれが為政に携わっていた者たち。多くの時間をともに過ごしてきた者たち。いつも近くにいた者たち。それらの者たちが、今も近くにいるという幸せ。押し寄せてくる…その思い。
そして、甦る願い。
「くり返してはならない…。くり返しては…何も前に進んでいない…。今はまだ、国も何もないけど…」
血を吐くような思いがそこには込められていた。あの時のやり切れなさが甦ってきたためだ。今度こそ…。そんな思いが無いようにしなくては……。
「そうね、がんばらないと。あの子たちに嫌われてしまうものね」
アトルとしての意識を持つリュウも、ランティスとして生きた過去を持つティアもあの時に感じた無力感に打ちのめされていたのである。
国が…島が…築いたものたちの崩壊する瞬間にいたわけじゃなくても、その瞬間は時空の彼方にいる自分たちに何度となく、夢として見せられていたものだから、今なら分かる。
夢として見ていたときには感じられなかったものが今は何だったのか鮮明に分かる。
それの、心の離れる最初の亀裂は、微妙なすれ違いから始まっていたことも…。今では既に自分たちの両手からこぼれてしまったことだけど。
戻らない時の流れの中の事…だけど…。
その蒼い光球の中、リュウとティアが立つその脇に見知らぬ、だがどこかで見たような気がする男が立っていた。何かを二人と話している姿に現在の服装とは懸け離れているのに、神々しさを感じる自分にゲンガは驚いていた。
それは三人の孫も同じだったらしい。
「きれーな人…。誰なんだろー」
クッキィの小さな呟きが聞こえたのか、母さまの声が聞こえた。
『ジルハマン…、私たちのせんど…し…です』
一部分聞こえなかったけど分かる気がする、そうクッキィは思った。
その瞬間にどこかで大きな扉の開く音が聞こえた。重厚な響きであった。
『封印の地』である『地球』へと続く、堅く閉じられていた扉が開くのがなぜかそこに集っていたみんなに伝わった。
そして今、目の前にある蒼い光球がふいに輝きだした。
それは一様に輝くのではなく明滅をくり返していた。何かと語り始めるかのように…。
茶色い殻を脱ぎ捨て新しい風をその身に纏い、生まれ変わった星の姿がそこに在った。新しい星がそこに在った。
それは何年もの間、待ち続けていた新しい風と光と、何かをその内奥に秘めながら…。
『扉は開かれた…、リュウジュよ、ティアラよ、行きなさい。そして感じ取るのです、新しい何かとは何なのか、その花で…』
そのジルハマンの声とともに、二人の頭上にあった蕾が羽ばたいたように感じた、【魔法の花の目覚め】であった。
「父さまも母さまもお花が咲いた……」
ジェリィが呆然と呟く。そんな事は聞いていなかった。
二人ともステアで目覚めたと言っていたように思う。
物心ついたときから見ていた、父さまの花は金の王冠の様だった。
そして、母さまの花は銀色の額飾りだった。
「あー、ひよこさんだぁ。かわいー」
クッキィのとんでもなく脳天気な言葉にジェリィの思考はブッツリと途切れた。
「『ひよこ』って、何を見ている……、…ぷっ…ぷぷぷ……、ぷーーーー」
振り返ったジェリィの目の前に青い光球の中から出てきたリュウとティアが困った顔で立っていた。
彼らの頭に乗っていたもの……、それは…。
リュウの頭上には琥珀色のひよこが小さな光の花を鶏冠にして小ぶりな巣の中で気になる所をチェックしながら佇んでいたし、ティアの頭上には雪のように白くて輝きのある小さなひよこが作りたての巣の中でせっせと身繕いしていた。
その余りにも可愛らしい姿にその場にいる者たちのすべてが爆笑した。
それは、本当は結構大事なことであったのだが…。
そのとき、そこにいた者たちのすべてが気付いていなかった。
タガワ総帥も会長もゲンガのお爺ちゃまも目に涙を溜めて笑い転げていたからだ。
「あははははははははは……」「わははははははははは……」「ははははははははは……」
シュガー、クッキィ、ジェリィに至っては、声も出せずにお腹を押さえてしゃがみこんでいた。震えて、悶絶して涙まで流している。
笑いすぎだった。
リュウとティアは爆笑の渦の中心で、ただひたすら苦笑していた。
「はは……、はぁ~……」