貫く』に漢数字で『一』、カンイチです
「いつも思うんですけど……皆さん荷物少ないですよね?」
「そうですか?」
『皆さん』とは恐らく前任者たちの事を言ってるんだろう。僕は初配属だから元々そういうタチなんだろうが、公務員に転勤は付き物である。バックひとつでどこへでも行けなければ警察官とは言えないだろう。
茜沢真理は僕の少し前を歩きながら部屋まで案内してくれていた。気を使ってくれているんだろうがやたらと質問が多く『一生懸命話しかけている』体ではある。
「木槌さんはいつまでここに?」
「あ、あのですね」
「はい?」
「そんなに気を使わないで下さい。今まで散々『バカだアホだ』言われてきてますんで、こんなに綺麗な女性に丁寧な対応されても対処に困ります」
「またまたー。木槌さんて口うまいですね。それとも警官さんはそういうテクニックを教わるんですか?」
「はい、必須科目です。頭とケツの軽いオンナ共に取り入るには少々無理矢理にでも『褒める技術』は非常に重要な要素になってきます」
「……」
「ジョークです。桜田門ジョーク」
今、私不愉快です。そう顔に貼り付けたようにあからさまに気分を害した茜沢真理はそれでも僕に対する質問をやめようとはしない。
このマンションにおける情報収集の任を請け負っているのかもしれない。そう考えると無駄に良い愛想も納得がいく。
「……今まではみんな女性の自衛隊員の方ばかりだったんで中々みんな打ち解けないでしょうけど……精々頑張ればいいじゃないんですか?あー、でも難しいかなあ。気難しいコばっかりだし」
わかりやすい。
係長もこれだけ素直な性格をしていたらもっと円滑な業務遂行が可能になるだろうなあ。きっと茜沢真理は『イイコ』なのである。自分の感情が相手に伝わる怖さをまだ分かっていない只の学生さんなのだろう。
「木槌さんの前の人なんか4日で居なくなっちゃったし、一番もった人でも1ヶ月は居なかったしなあ……どうかなあ」
ちらちらと廊下を歩きながら僕の反応を伺う茜沢真理は僕にプレッシャーを掛けるのに余念が無い。僕を追い出すことにより何らかの利益が発生するとも考えにくいこの現状から察するに……只ヘソ曲げているだけという結論を導き出すのは造作も無いことだった。
「茜沢さんに聞いておきたい事があるんですが」
「なんですか?」
食い気味の返答に付いた棘から想像するに、僕は嫌われてしまったようだ。
でも。
「この一見普通のマンションでしかない『佐伯病院』の実態です。あなたにだって知らされていない部分の方が多いと推測するのは容易いですが、何分僕はほとんど何も知らされていない状態で放り込まれたってのがホントでして」
嫌われようが恨まれようが聞く事は最初にキッチリと聞いておく。
情報量の多さはどんな場合でも選択肢を増やしてくれる。今の僕は丸腰でアホ面ぶら下げて戦場に立ってる様なものなのだ。
「なにも知らないで来たの?全然?」
「全然です」
「ほんとに!?今までの人は毎日分厚い資料とにらめっこするのが仕事だったのに!?」
「僕に与えられてる情報は限りなく薄いんです。茜沢さんたちの身長や体重なんて知ってたって何の足しにもならない」
プロフィールやアンケートの類だろうこんなもん。『部外秘資料』が聞いて呆れる。
「ちょ……いまなんて?」
「はい?」
「タイジュウって聞こえたんだけど……聞き間違いよね?」
「ああ……えっと、大丈夫ですよ?茜沢さんはスタイルが優れてるから胸だってホラEカップあるし」
「それって私がムチムチしてるって……言いたいんですか?胸が大きいからデブでも構わないって?」
あれ?
おおおおかしいな、なんかヘンな方向に話がズレてんじゃないだろうか?
茜沢真理は廊下で立ちすくんだまま小刻みに震えているようだ。僕に表情を見せたくないのか背を向けたままである。
「……木槌さんて二十歳ですよね?」
「はい」
「私も今年で二十歳ですから同級生といっても差し支えは?」
「無いですね。問題無いです」
「カンイチでしたっけ下の名前」
「『貫く』に漢数字で『一』、カンイチです」
「そう」
ふうー、と大げさな深呼吸ともタメイキともつかない呼吸をひとつした後、茜沢真理はくるりと振り返り僕の鼻先に人差し指を突きつけた。
「ねえカンイチ……デリカシーって知ってる?」
「相手に対する配慮、繊細さ」
「心して答えなさいよカンイチ!私の!き・き・ま・ち・が・い・よ・ね!?」
「その通りだマリ。君の体重なんて僕は知らないし今後も目にする事は無いと誓おう」
「よろしい!じゃさっさと荷物部屋に運びましょう。みんなも帰ってくる時間だし紹介しなきゃ」
「リョーカイ」
オトコ所帯に慣れ親しんだ我が境遇において、女の子の心の機微など推し量ろうなどと所詮不可能だと諦めていたんだが……この『佐伯病院』の実態把握と共にその辺りの勉強も不可欠になってくる予感がする。
分の悪い戦いになりそうだ。