↑の破壊者
「……」
私の身体が軽く上下に揺れていた。
まだ……終わってなかったんだ。
「……」
ぐ、と奥歯を噛み締め……もう一度意識の沼に潜ろうとしてみるが、そうそう都合よく行かないことは分かっていた。
憂鬱だ。
私に対する複数人での暴行が、私にバレてないと思いながら爽やかに会話する『彼』の顔を思い浮かべるだけで毎回吐き気に襲われる。分かっていても『人との繋がり』に期待してしまう。
今ではこの通り、すれっからしである。私の仮面はどんどん分厚く大きくなっていく。元々空想の産物である。サイズ感などお構いナシに。
際限なく、強く高く強大に。
「……」
近いうちにこの仮面は私に取って代わるだろう。
嫌なことがあっても決して表面には影響を及ぼさない鉄壁の仮面。
明るく、元気で、朗らかで。
絶対に自分で自分の手首を切るような事の無い、私の完全型。最終形態。
そして、それは最早私でなくても誰も困らない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私じゃない私の方がこの世界は生きやすい。
いっそこのまま意識に潜ってしまおうか。
もう……私は疲れたのかも知れない。立ち上がれる自信がないのだ。
「……」
死にたい。死にたい。死にたい。
もうとっくに限界は超えていたんだ。
誰も信用できない、誰も優しくない、誰も私の気持ちなんて分からない。
私の薄氷のような自我に罅が入るのを感じた。
ぴしり、と。
進めば進むほど、足掻けば足掻くほどその罅は縦横に侵食していく。
「……」
やっと。
やっと私は終われるのかも知れない。
悪意で埋まった日常や害意の詰まった世界から逃げ出せるのかも知れない。
ならば。
きっと。
それも、いいのかも。
「コイツ意外に重いぞモモ」
「無理!わたしだって怪我してんだからカンイチが最期まで運べよなー」
「どう見ても僕の方が重症だろうが!お前かすり傷じゃないか!」
「よわっちーカンイチが悪い!普段態度がでっけーから4人位パッパと片付けるかと思ってたぞ!」
「勝ったんだからいいだろ!」
「まーなー。ってか全員の前歯叩き折るって、ムチャするよなカンイチ」
「正当防衛だ。見ろこの鼻、まだ鼻血止まらん」
?
なんだろうこの会話。
私は頬に風を感じ、自身の輪郭が浮き彫りになっていくのを感じる。
覚醒、だった。
そこにあったのは『彼』の陰惨な笑顔ではなく、大きな鏡に映った自分の卑屈でガラスのような目でもなく。
「……」
私を背負って歩くカンイチとその脇に付き添うモモの姿だった。
「あ!マリちゃん目あいた!」
「……モモ」
モモはカンイチに『起きた起きた』ととても嬉しそうに飛び跳ねながら報告する。私は何がどうなっているのかまだ整理出来ていない。
私に分かるのはココが外で、私はカンイチに背負われている。
そのくらいだった。
「起きたか?おまえにモモが何か言いたいらしいぞ」
私を背負いながら半分だけ顔をこちらに向けたカンイチの顔は、あちこち腫れていて鼻にはティッシュが乱暴に捻じ込まれている。
「マリちゃん!」
「は、はい!」
モモはカンイチの横を歩きながら私に向けて人差し指を突き出した。
良く見ればモモもカンイチ程ではないが怪我を負っているようで……ふさがりかけていた首筋の傷跡が開き、血のラインが背中へ伝っていた。
「わたしマリちゃんが嫌って言っても……ずっとマリちゃんをたすけっからな!きっとそのうちマリちゃんがすごい笑顔で笑ってくれるんだ!うずまき寮で!サヤもヒトミも笑うんだ!わたしだって!……だから自分を削るのはもう……やめろよ」
「……」
「繋がりなら……うずまき寮にだってあるだろ!!バカっ!!」
モモがこんなに真剣な表情をしたのはいつ以来なんだろう。
いつも騒がしくて無鉄砲で……そのくせあまり人に意見を言う事のないモモが。
私に、目に涙を沢山ためて正面から怒っている。
「お前がどう感じているか僕は知らないし知りたくも無いが」
カンイチが前を向きながら、言う。
真冬なのに……背中が熱い。
どれだけ歩いているのだろうか?
「人間はお互いを信じない、これが基本だ。お前は根っこがバカだから全部が狂ってくるがな。『血の繋がった家族間の信頼』なんてフィクションだし、『信頼し合う仲間』なんてのもファンタジーなんだよ。ましてや『男女間の信頼関係』なんて……もうこれはコメディーだ。笑っちまう」
「……だね」
さんざん、見た。
『醜い』というカテゴリーの中にある感情を。しかし、それが普通なのだとしたら私は……私はきっと生きていけない。
「まずは『利害関係』でいいんだマリ。お互いを利用して自分を保護しろ。『信用』なんて言い出すからお前みたいに生き詰まる。自分勝手に生きればいい。するとそのうち……」
カンイチは足でモモを蹴るマネをした。
「こんなバカが現れる」
「バカってなんだポリ夫っ!!」
「コイツはバカだが『行動』した。そこに打算は一切無い。バカ丸出しの所業だが……心からお前を心配している。コイツのことは信じてやれよ。お前が欲しがってた『信頼』はコイツのポケットに入ってる」
「……」
守っている、そう思っていた。
私がしっかりしなければここの住人達は……そう思っていた。
でもそれは、物事の1側面でしかなかった。
「……」
そんな簡単なことさえ。
あの、ともすれば容易く陰鬱さに埋もれてしまうマンションで私はみんなに助けられていたんだ。
さわがしいモモ。
はしっこいヒトミ。
あかるいサヤ。
全てが私の一部分で、私もみんなの一部分なのだろう。
「……」
なのに、私は捻くれて……もがいて溺れて。
ひとりよがりもいいところで。
『優しくベッドに運んでくれる誰か』はここに居るのに!
「うううぁ」
バカだ!私は大バカだ!
カンイチが言ってたじゃないか!『バカなのか』って!!
私はただ認めるのが嫌で駄々こねてただけじゃないかっ!!
「ううう……ぁあああ」
「あー、マリさん?……これはやばい。僕ムリ、おいモモ代われ」
「い・や・だ!せいぜい困ればいーんだ!口わりーしイチイチ態度デケーんだよカンイチは!」
「そう言うなよ自覚は……って、いてえっ!?マリ暴れだしたぞ!モモなんとかしろよ!!いだだだだだ」
「いいじゃんか仲良しで……あ、そうだ付き合っちゃえよ!カンイチならしょーがねーから許してやるぞ」
「いくら外見良くってもこんなメンドクサイ女は嫌だ……って!!いだだだだ!!??マジでいてえっ!?」
…………。
……………………。
………………………………だ。
誰がメンドイんだこのやろう!!
んで最初『重い』とか言ってなかった!?言ってた!!絶対言ったこの男!!
管理人のくせに!!
管理人のくせに人のプライベートに厚底ブーツで足跡付けて!!
言いたいこと言ってスッキリできて良かったわね!!
「いだだだだ!!鼻血がっ!?また鼻血が!」
カンイチの背中で暴れる今の私には、いつもの『憂鬱』な気持ちなど入る隙間さえ無い。
モモがいつものように笑っていて、カンイチが身を捩って私の攻撃から逃げようとするこの光景を『日常』と呼んでいいものかどうなのか私にはまだ良く分からない。
だけど。
私の『罅』が確かに埋まっていくのを感じる。
ゆっくり。
でも。
しっかりと。