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世界は広いですか

作者: 藤安


 ガラス一枚隔てた向こう、もこもこした桃色の塊が見えた。頬杖をついて見下ろしたそれは柔らかそうで。何だかアフロみたいだな、なんて思ってみたり。

 青い空、高い所に浮かぶお日様からは、それはもうぽかぽかした光がこちらに放たれている。何とも言えず穏やかな。

 さあお眠りなさい。そんな声が聞こえてきそうだ。

 ―――それなのに。

 ガラス一枚隔てたこちらでは、実に人間臭い空気が充満している。年度の始まりというこの季節、本当なら自分もそんな空気を生産する側の人間であった方が良いのだろうけれども。

 ああ、だって。面倒くさいじゃない?そう、面倒くさいのよ。

 ……なんていう思考回路も、この季節におかされた結果に違いない。

 春眠暁を覚えず?つまるところは『だらけちゃう、だって春なんだもん』。なんてね。

 ふわぁ、と一つ欠伸を漏らして視線はガラスの向こう側。

 鳥になりたい、だなんてよく言ったものだ。……俺だってなりたいよ、すごく。

 もう一度欠伸を漏らしてガラスの向こうを見下ろせば、桃色のアフロがわさわさ揺れていた。揺れる度にたくさんのアフロの欠片がどこかへ飛んでいく。おお、あれになるのも悪くはないな。ひらりひらり風に乗ってどこかへ飛んでいきたいものだ。

 ふわぁ。

 気付けば、またもや。一体何度欠伸が出るのだろう。別に寝不足でもないのだが。

 ……ああそうか、きっとあれだ。体が春の空気を求めているに違いない。何と言ってもこの季節特有のふんわりした空気だ。冬の間冷たい空気を吸い続けて凍った体を溶かさなければ。うん、それなら目いっぱい吸った方が勝ちだな。なんて思って胸がぱんぱんになる位まで吸い込んでみた。その時。

「―――これはこれは。ヒトの中にも春に酔う方がおられるとは」

 突如聞こえた声に、限界まで吸い込んだ空気が逆戻りした。口から勢い良く飛び出したそれは咳を伴っていて気管支が詰まる。思わず涙目になった。

「―――おや?」

 げほげほとむせていると、せっかく吸い込んだ春の空気が二酸化炭素と一緒に逃げていくのが見えた。ついでに桟の上に座ったちっちゃい人間も見えた。ちっちゃい眼鏡の奥のちっちゃい目と視線が合う。じーっと見つめたら、じーっと見つめ返された。

「……牛乳、飲んでる?」

「最近はあまり飲んでいませんね。昔は入浴後に飲んでいたものですが」

「……そう」

 ちっちゃい人の向こう、窓の外へ視線がいった。また風が吹いたのか、アフロの欠片が空気中を揺れている。

ふと思った。この人くらいにちっちゃかったら、もしや自分も風に吹かれて飛べたのではないか。ゆらりゆらり大気を漂う自分を想像してみる。……いいなあ、それ。

「ねえ、飛べる?」

「空を飛べるかというのなら、飛べませんね。跳ねるという意味でなら、跳べますが」

「そう」

 残念。でも、そんな簡単に飛べたらライト兄弟は苦労しなかったか。

 とかく浮世はままならぬ。うん、まさにこんな感じ。あれ、そういえばこれ誰の言葉だっけ?

 ふわふわと回る思考回路は居心地がいい。ぼんやりしてたら、ぽすん、と前の席に誰かが座った。頬杖をついた目の前で、黒い髪の毛が揺れる。さらさらは羨ましい。

「よろしければ、もう少し話し相手になって頂きたいのですが……」

 髪の毛を見ていたら、視界の端のちっちゃい人が何か言った。同時に、視界の中央の髪の毛がゆらりと揺れた。

「―――おやおや?」

 ちっちゃい人がぴくっと反応する。

 前の席の人が横を向いた。ちっちゃい人がいる方向だ。少しの沈黙。

「……牛乳、飲んでる?」

「ついさきほども、あなたの後ろの方に同じことを聞かれました。最近のヒトは、初対面で牛乳を飲んでいるか否かを問うのが習慣なのですか?」

 すちゃ、とちっちゃい人はメモ帳とペンを取り出した。その素早い動作とは反対に、目の前の誰かはゆっくりと首を傾ける。

「……そうなの?」

 その視線は、こちらを向いている。

「さあ」

「そうですか……」

 答えると、視界の端でちっちゃい人は明らかに残念そうな顔をした。がくん、と頭が下がった拍子に、かぶった博士帽についている房がゆら、と揺れる。でもすぐに気を取り直したようで、また顔を上げた。

「お二人は一年間この教室で生活なさるのですよね?よろしければ、これからヒトについて私に教えて頂けると大変嬉しいのですが」

「ひと……」

 ちっちゃい人もほかならぬ人に見えるのだけれども。

 ……ん?人の定義ってなんだっけ?

 直立二足歩行?言語?道具?とりあえず身長はなかった気がする。

「あ、皆さんの流行や習慣などでよいのです。ヒトの生態は、生物や社会の授業で理解しておりますので」

「流行……」

「習慣……」

 前に座った人と一緒に呟いた。

「ああ、今すぐでなくてもよろしいです。思い立った時などで。一年間もありますから」

 心なしか、ちっちゃい人がわくわくしている気がする。足がちょっとばたばたしてるし。

 感情を体全部で表現するって、凄いことだと思う。今の自分にできるかって聞かれたら、無理って答えられる。だって、地団太踏むとか、首を長くするとか。できる気がしない。

 あ、でもこれは例えの話か。

 そんなことを考えていたら、後ろから肩を叩かれた。

「おい」

「うむ?」

 振り向くと、黒眼鏡がいた。ちなみにちっちゃい人の眼鏡は銀だった。

 黒眼鏡は、ずいっとこっちに手を差し出した。思わず凝視する。

 握手する時は手を垂直に差し出す。手の甲を差し出すのは、お姫様がキスしてもらう時とか。手のひらを向けて差し出すのは……お手?

「ちょっとシャー芯くれね?切れた」

 違った。

「シャー芯……」

 自分の筆箱を取って、中を探す。……無かった。

 仕方なく、前の人の背中を突いた。また、ゆらりと揺れる黒髪。さらさらは羨ましい。

「俺の後ろの人にシャー芯を恵んでやって」

「ん」

 差し出された水色のシャー芯ケース。百均だ。

 なぜ分かるか。同じものを使っているからだ。九十本百円。今日は忘れたけれど。

 受け取って、バケツリレーよろしく後ろの黒眼鏡に渡す。

「お、俺と同じシャー芯じゃん、サンキュ。……お前ら、名前は?」

 シャーペンにシャー芯を装填しながら、黒眼鏡が聞いてきた。

 名前とは……なまえである。

 玄関で渡された名簿を黒眼鏡に見せ、指先で自分の名前をつついた。

「神田、春人」

「春の人?ハルト?うっわ、ぽいな」

「よく言われることである。だが決して脳内は春ではない」

 しまった。心の中の言葉が出てしまった。

「見た目も雰囲気も春だから、中身も春じゃねえ?」

 げらげら笑いながら失礼なことを言う。失礼な奴だ。

 前に座っていた人は、振り返って神田春人の上の名前を指差した。

「神崎……めぐみ?」

 聞くと、彼女はふるふると横に顔を振った。黒髪が肩の上で跳ねる。……さらさらは羨ましい。

「神崎、けい

「ケイちゃん?」

 こくっと彼女が頷くと、黒眼鏡は身を乗り出してきた。

「ハルとケイちゃんか。オッケー」

 言いながら、名簿の神田春人の下を指差した。

「俺、神原千十郎」

 ……何か思い出しそうだ。

「せんじゅうろう」

「ん、そう」

 頷いた黒眼鏡に、ケイちゃんがぽつりと呟いた。

「……総理大臣にいたような」

「あ、それだ」

 いくやまいまいおやいかさかさか。歴代総理大臣の頭文字でそんなふうに覚えたっけ。せんじゅうろうは何番目だろう。

 目の前の千十郎はいつものことなのか、苦笑いだった。

「銑十郎とは漢字違うけどな。……ところでさ、」

 センは窓の方を指差した。指の先にはきょとんとしたちっちゃい人。

「ハルとケイちゃんはあれと知り合い?」

「おやおや、これはこれは」

 眼鏡の奥でちっちゃい人が目を大きくした。

 知り合い、というのはどれくらいの付き合いを言うのだろう。うーん、分からない。仕方なく、正直に言う。

「さっき初めて会った」

「うん、さっき初めて会ってさっき初めてしゃべった」

「お前ら……」

 もっと違う反応あるだろーと言ったセンを見て、今度はこっちを見て、最後にケイちゃんを見て、三人分の視線が自分を見ていることを知ったちっちゃい人は目をきらきらさせた。

「いやあ、珍しいこともあるものです。ここ数年、私を見て下さる方がいなかったので寂しかったのですが……それが今年は三人も!」

 ふふふ、と嬉しそうに笑って、ちっちゃい人は窓の桟の上でぴょこんと立ち上がると、ぺこりとお辞儀をした。

「わたくし、皆様のようなヒトが言うところの『こびと』です。呼び名は学者。そう呼んで下さって構いません」

「うわー自己紹介されちまったよ……。なに、学者さんは普通見えないもんなの?」

「はい。理由は分かりませんが、『こびと』が見える方と見えない方がいて、見えない方が大部分なのは確かですね。同じ教室に三人もいらっしゃるのは私も初めてです」

 眼鏡のフレームを指で押し上げた学者さんは、まだにこにこと嬉しそうだ。

 それを見ながら、センがぽつりと言った。

「世界は広いなー。まさかこびとがいるなんてなー」

「皆さんから見えない所にはこびとの世界があるのです。私はヒトを研究するためにこちらに出てきていますが」

「へえー」

「……ですから、私に皆さんのことを教えて頂きたいのです。ああ楽しみだなあ、三人もいらっしゃるのは本当に私にとって幸運なことですよ!」

 るんるんしてるこびと。それを見つめる三人。

「……世界は狭いなあ。まさか見える三人が出会っちゃうなんて」

 出席番号も並んでるし。

 何となく呟いた言葉に、センとケイちゃんが頷いた。

「世界は広くて狭いな」

「狭いようで広いね」

「ヒトにとっての世界とは、広いようで狭い、狭いようで広いものなのですね」

 ふむふむと熱心に頷くこびとの声を中断するように、入ってきた担任だろう人が声を張り上げた。

「はーい、みなさん入学おめでとう。今から入学式だから体育館行くよー」




 窓の外は快晴。アフロの欠片舞う季節。

 窓の内はこびととこびとが見える人を含む人間社会。別名、とある県立高校一年B組の教室。

 広くて狭い世界で始まった、ヒト三人とこびと一人ののんびりスクールライフの行き先は?


 




神崎恵かんざきけい

出席番号4


神田春人かんだはると

出席番号5

※髪の毛もじゃもじゃ


神原千十郎かんばらせんじゅうろう

出席番号6


名字に全員神があり、入学式当日に訳の分からない会話を繰り広げたので、三人合わせてゴッドトリオ、略してゴットリオ。略す意味はあんまりない。三人とも同じシャー芯を使っている。

彼らに疾走はできない。実はスキップも危ない。でも運動神経が悪いわけじゃない。

まとめると、よく分からない人たち。


実にお粗末さまでした。


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