後編-プレゼント-
「『異端の者は大きく羽ばたく』…これは…」
俺達は部署に帰ってきて、早速今までの文書の解読に勤しむことにした。総勢10名ほどで、一つの文書につき思いつく童話の名前を出していく。
「恐らく『みにくいアヒルの子』、では?最後に白鳥になって飛んでいくっていう」
全員片手にはコーヒーを持ち、連日の疲れと眠気を追い払いながら作業しているわけだが、それでも中村が思いつくのが早く、俺達はどうにも思いつくのに一歩遅れている。むしろ中村が一歩先を行っているのだろう。
「よく思いつくね…」
紙に書きながら仲間の一人が苦笑しながら呟いた。
それに大して中村は、
「子どもの頃、よく読んでましたから。童話」
と、微笑んで返答する。しかし中村の過去を考えれば、それは楽しい記憶じゃなく寂しい記憶なのだろう。それを考えると、中村の表情もどこか淋しげに見えた。
「じゃあ次の文書の…」
中村の活躍あって、どうにか文書の解読はまとまった。
『異端の者は大きく羽ばたく』というのは、『みにくいアヒルの子』。
『100年後の茨の中には衰えぬ愛』というのは『眠れる森の美女』。
『愚かな強者は賢い弱者に追いつけず』は『うさぎとかめ』。
だがそれでも接点は童話、ということのみで、童話好きの殺人鬼という手がかりしか手に入らない。(その影響で、通称「グリム」と呼ばれるようにはなったが)おまけに今回のガイシャの井 上徹という30代男性と、今までのガイシャとの接点もまるで見受けられない。
「つまるところ、夜に絞殺され、現場に童話のあらすじを濁して残す、ってことくらいしか共通点はないわけか」
そう言ってコーヒーを飲もうとすると、中村が付け加えてきた。
「あともう一点。犯罪の起きた夜は決まって月が出ています」
「月、ねぇ…」
俺は窓の外で暗い空にポツンと浮かぶ月をチラリと見て、一人笑った。
謎は解けぬまま警察仲間もパラパラと帰り始め、部署には俺と中村と数人しかいなくなってしまった。しかも、いよいよコーヒーでは追い払えぬ眠気も意識を朦朧とさせて、うとうとしてくる。
「まるで、子どもみたいですね、犯人のグリム」
中村の声で我に帰り、「そうだな」と言葉を返す。
「もしかしたら犯人は誰かに構って欲しいのかも…」
その言葉に俺が首を傾げると、中村はさらに続けた。
「普通だったら手がかりなんて残さない。弓原さんが最初に言ったように、挑戦状のつもりか、それとも頭がおかしいのか…でも、そうじゃないとしたら。純粋に誰かに読んでもらいたいと思っていただけなら…」
意味深な言い回しは寝ぼけている頭で理解するには時間がかかった。俺は残り少ないコーヒーを飲み干す。
「仮にそうなら、グリムの野郎は遊び感覚でやってるのかもしれない。そうだとしたら、尚更早急に捕まえなきゃいけないな」
俺は髪をかきあげ、頭を左右に振って眠気を飛ばそうとした。しかしどうにも目が冷めないため、俺はトイレに行こうと席を立つ。
「ちょいと顔洗ってくるわ」
その言葉に中村は会釈程度に頷き、また一人考え始めた。
「誰も童話を一緒に読んでくれなかった…」
俺は中村の独り言のような声を無視して扉をあけてトイレに向かった。
トイレは換気のために窓が空いており、外の空気が入り込んでおり非常に寒い。俺は凍えてしまう前に早々に出ようと蛇口をひねり、手に冷水をためて顔を洗う。
そういえばしばらく息子にも本を読んでいない。少し前…いやかなり前までは日課だったはずなのに。クリスマスも帰宅の予定をしていない。息子はどんな気分か考えたことすらなかった。俺が家にいないことで、直接俺に怒ったり泣いたりすることすらできない。それどころか、妻も家にはあまりいない。あいつは…一体誰に本を読んでもらえばいいんだろうか。
「グリム…お前は一体何者なんだ…どうしてこうも…」
続く一言は思わず涙ぐんだ声がトイレに響いた。
「胸が痛むんだ…」
気持ちを立てなおして部屋に戻ると、中村が一人でキーボードを叩いていた。
「どうした、なんか閃いたのか?」
俺の声でもどってきたのに気がついたらしく、突然の声にちょっと驚いた仕草をしたが、すぐにメモをさし出してきた。
「やはりグリムは、無差別に殺人を行っているとは思えません。人のいない時間帯、警察にすら見つかりにくい場所を選んでいるのに、突発的な殺人を連続して起こしているとは考えにくいからです」
「つまり、何か規則性をもっていると?」
この言葉に中村はゆっくりと頷いた。
「はい。恐らく、何かの本に従っているのではないでしょうか?童話を集めたような…」
パソコンの画面にはネット販売サイトの本のページが開かれている。
「確かにそれを証明できれば次の犯罪の手がかりになるな」
中村は「なので」とパソコンの方へ向き直した。
「その方向で調査してみませんか?」
ようやく事件に進展が起きそうな気がしてきた。俺は中村の肩を叩いて、自分のデスクのパソコンをすぐに起動した。
外から太陽の光が差し込む。小鳥も囀るいい天気だが、気分は重い。推理まではよかったが、肝心の本が見つからない。
「朝か…仕方ない。中村、お前はこのままパソコンで調べろ。俺は街の本屋に直接聞き込みをしてくる」
中村は疲れた表情をしているが頷いてくれた。その場は中村に任せて俺はコートを羽織り、駐車場まで走っていった。
「『みにくいアヒルの子』『眠れる森の美女』『うさぎとかめ』これらが書かれている本ってのは取り扱ってないか?」
昼過ぎ、俺はいよいよ5件目となる本屋に足を運んでいた。ここまでの4件は全滅。しかし探すのに時間がかかるため、思ったより1件1件で足止めを喰らい時間がかかる。
「うーん…少々お待ちください。探してみます」
ここもまた同じ返答。期待はできない。俺は腕時計で時間を確認する。ここまでの統計上の話だが、「月夜」のみの犯罪というのも否定出来ない。この前までは雲がかかっておりあまり天気がよくなく、犯罪の日にちに間が空いていたが今日は快晴だ。恐らく夜も綺麗な月が拝めるだろう。つまり犯罪が起きるかもしれないのだ。それまでに手がかりになるかもしれない「本」を見つけないと、また犯罪を許してしまう。
「すみません、刑事さん。当店には置いていないようです」
その言葉を聞くと俺は深い溜息をついた。ここは市内でもそこそこ大きい本屋で、ここにもないとなると他の店で期待ができないのだ。そんな落ち込んでいる俺の様子を見かねてか、店員が話を続けた。
「ただ、その話見覚えがあるような気がします。ただの憶測なので正確ではありませんが、確か『童話全集』と言ったような本の内容だったような…」
その言葉に反応して、俺は慌ててメモ帳を取り出して記帳する。
「『童話全集』だな?」
「正確な名前じゃないと思うけど…確かそんなような名前で、数巻出てた内の1巻だと思います」
俺の問いかけに自信なさそうに答えてくれたものの、それでも充分な手がかりだ。俺は礼を言ってすぐに車に乗り込んだ。
中村に連絡をとったが、『童話全集』は依然見つからずもう随分と日も暮れてしまった。あと2時間程度で真っ暗だろう。俺は車の中ハンドルを握りながら次はどの本屋へ向かうべきか考えていた。
「恐らく昔の本なのだろう…それを取り扱っている店…」
市から少しはみ出すが、ふと心当たりがある店を思い出した。
「行ってみるか…」
俺はハンドルをそのまま右に切って、交差点のギリギリのところで右折して道に入り、その店へと向かった。
「おぉ、弓原さん。お久しぶりですな」
そこは小さな昔ながらの本屋。店主は小村という70代くらいの老人。以前はよく利用していたが、ここ最近はめっきり来なくなってしまっていた。
「覚えててくれましたか」
俺は微笑して、早速手短に要件を話すと小村さんはダンボールを開けて中身を調べ始めた。
「確か『新童話集-①』というタイトルだったはずです」
小村さんの言葉には驚いた。もう昔の本だろうし、まだ若い本屋の店員ですら忘れていたのだ。
「よく覚えてますね」
本を探している小村さんの背中に向かって言うと、笑いながら言葉が帰ってきた。
「職業柄でしてね。一度取り扱った本は中々忘れないんですよ」
なるほど、と納得して俺は頷いた。
「なぁ、小村さん…親から愛情を受けられなかった子どもはどう成長すると思います?」
俺はふと頭に浮かんだ質問を口にした。すると小村さんは探す手を止めてきょとんとする当然の態度を示したが、すぐに作業を再開し、やがて口を開く。
「子どもというのは、親から愛されながら育っていくものだと思います。愛されることで初めて人間として大きく成長していく…もしその愛がなかったなら、体だけ大きくなって、心は幼稚なまま。子どものように幼い大人になるんじゃないでしょうか?」
意外にも「なぜ」とは聞いてこずに俺の質問にだけ答えてくれた。
幼い大人…俺は頭の中で妙にその言葉がひっかかった。中村の言っていた言葉とまるで同じだ。
「ありました。これじゃないですか?」
グリムについて考えていたところに、不意に小村さんの声がかかる。ふと見ると手には『新童話集-①』と書かれた本が握られている。
「おぉ、多分これです!開けてくれますか?」
小村さんは商業用のカッターで手際よくビニールをはがして本を渡してくれた。俺は年季の入った表紙をめくり、目次の欄を見る。
「みにくいアヒルの子…眠れる森の美女…うさぎとかめ…」
「次はヘンゼルとグレーテル…ですか」
前回の犯罪の『うさぎとかめ』の次は『ヘンゼルとグレーテル』になっていた。俺はじっと目次を見つめる。ヘンゼルとグレーテル…一体どこだ?犯罪はどこで起きる…?
ケータイの着信音がズボンのポケットから鳴り響く。まさか、と思いつつも、本をカウンターに置いて店の外に出て電話に出る。
「弓原さん!今度は昨日のマラソンロードから一本入った通りで…!」
「事件か…」
俺はちら、と腕時計を見た。時間はまだ0時前だ。いつもより明らかに早い。しかもまだ人もそこそこ出歩いているだろう。
「中村…どう思う?」
月を見上げながら息をつく。息は白くなって消える。それと同時に中村からも返事が帰ってきた。
「恐らくグリムの奴、俺達が文書の謎を解読したのを察知したんでしょうね」
思っていたことと同じ回答。きっとそうなのだろう。
「…俺もすぐに向かう」
「小村さん、どうもありがとう」
俺はカウンターに置いてある本を受け取って代金を支払った。小村さんはいらないと言ってくれたが、これは正式な証拠じゃなく、俺と中村で勝手にやってることなので強引に受け取ってもらった。
「じゃあ、またよろしく」
そう一言残し店内を出ようとすると、小村さんが声をかけてきた。
「どうかお気をつけて。その犯人…どうか助けてあげてください」
少し沈黙し、ゆっくり俺は頷いた。
『帰り道は蜜のように甘い』
現場に残された犯人による文書。ただ今回は殴り書きのように急いで書いた感じがかもし出されており、殺された50代前後と見られるの男性の表情もいつものように柔らかくはない。やはりグリムの焦りというのが分かる。
殺された場所は、大通りより一本入った小道のお菓子屋の真正面だ。おそらく次の物語『ヘンゼルとグレーテル』の魔女のお菓子の家を考えての犯行だろう。
「どうです、手がかりは見つかりましたか?」
殺人現場に到着すると中村が駆け寄ってきた。俺は車の中から『新童話集-①』を取り出して目次の欄を見せる。
「『ヘンゼルとグレーテル』…なるほど今回の犯行はこれですね」
「情報を手に入れるのがもう少し早ければな…」
中村は俺から本をとって、ペラペラとめくり始める。
「今度は『シンデレラ』だ。急いで場所を特定しなきゃならんな」
「弓原さん、その件なんですが…」
夜は開けた。久しぶりに俺は自分の部屋(といっても寮だが)のベッドで寝た気がする。疲れが溜まっていてか、起きたらもう昼過ぎであった。俺はのんびりシャワーを浴びて私服に着替える。
本の第一版は約20年前だ。そしてこの本をモチーフにして犯罪を犯してるグリムの年齢はその20年+4、5、6、と言ったところだろう。つまり、20代半ばから後半くらいの奴が怪しいというわけだ。そして次の犯罪の場所は…
「次の犯罪は時計塔で起こると思います」
昨日の夜、「場所を特定しなければ」という俺に、中村はまた面白い推理をしてきた。
「なぜそう言い切れる?」
「犯罪が起きた場所は市内の公園から、ほぼまっすぐに時計塔に向かっているのです」
確かに地図に記していけば分かることなのだが見逃していた。たどっていくと確かに時計塔にたどり着くのだ。
「シンデレラの魔法は0時に解けます。それを考えると…」
俺は簡単な朝飯…いや、昼飯を作った。食パンとベーコンだ。これもまた久々のまともな食事だ。午後の太陽の光がカーテンからかすかにかかる。
時計塔の警備は通常はほとんどいない。そして今日も一見ほとんどいないように見えるようにしてある。だが、そこには何人かの刑事が交代で1つしかない入り口を見張っている。これは犯罪防止のキャンペーンではなく、犯人逮捕のための行動だ。つまり威嚇せずにスキをみせてそこで捕まえる他ない。そして俺が行くのは一番犯罪の可能性が高い0時頃。
小村さんは「助けてあげてください」と言っていた。それに対して俺は頷いた。だがはっきり言って、何をどうしたらいいのかは全くわからない。ただ今は逮捕しなければいけないという気持ちがあるだけだ。この気持ちを強く持たなければ…ヘタをしたら俺は取り逃がしてしまうかもしれない。…この期に及んで、俺の中ではグリムが俺の息子とダブって見えてしまう。歳は全然違うが、推測するに環境がすごく似ている。
親の愛情を受けられなかった子どもは、幼いまま大きくなってゆく。そんな小村さんの考えや、中村のグリムの犯人像は深く俺の心に突き刺さっている。
俺にグリムを逮捕する資格はあるのだろうか…
ケータイのアラームが鳴る。23時の合図だ。コートを来て、使うことにならないよう祈りながら銃をポケットにしまった。部屋を出て駐車場に向かうと、丁度中村も来ていた。
「行きますか」
「最後にしよう。気合入れていこう」
俺達は車に乗り込み、次の発生現場であろう時計塔へと車を急ぎで走らせた。
今日の夜空はすごく綺麗だ。空気が澄んでいるためか満点の星空が広がっている。勿論月もいつもにまして輝いている。
暗くなっていく街並みの中に一つ、大きく飛び出してる塔がある。それが国内でも有数の時計塔だ。時計塔の近くに車を止めて、見張りの仲間に現状を聞く。
「弓原さん。怪しい人影は全くないです。もしかしたら感づかれたのかもしれません…」
見張りの刑事が不安そうに言ってきたので、俺は交代とのことを伝えて今度は中村と見張りをすることにした。
「中村…」
木の影からさりげなく時計塔の入り口を見張っている。まだ辺りに人影もなく、異変も起きていない。俺は重い口を開いた。
「なんです?」
中村はきょとんとしている。
「ここに来るまでずっと考えていたんだが、もしかしたら俺はグリムを捕まえられないかもしれない」
俺の言葉に中村は驚いたような表情を見せた。
「やっぱり…グリムは俺の息子みたいに思える。全く親の愛情を受けずに育った子ども…それがグリムなのかもしれない。すると奴はお前の言ったとおり、子どものように幼い大人になってしまったのだろう。そんなグリムを俺に捕まえる資格があるのかどうか…」
深い溜息のあと、沈黙が続く。
「駄目ですよ。逃げちゃあ」
その沈黙を破ったのは、中村のこの言葉だった。
「グリムはそうした寂しい青年なのかもしれません。でも仮にそうだとしたら逆に逮捕しなきゃならない。誰かが愛情を持って叱らなきゃならない。今その役目を担うのは、誰がなんと言おうと弓原さんなんです」
中村の声に俺はしばらくの間何も言えなかった。
「俺も昔非行に走ったことがあります。でもその時、ちゃんと俺のことを考えて怒ってくれる人がいたから、俺は立ち直れたんです。…親戚には自分の都合で怒られたことしかなかったから、あの時の叱りはすごく感動したのを今でも覚えています。だから…」
俺は力なく笑った。
「部下に説教されるとはな…」
そんな俺を見て、中村も微笑む。
「知ってました。弓原さんが今回の件で家族と重ねあわせて悩んでたの。お願いですからクリスマス、帰ってあげてください。それが弓原さんのこの事件最後の仕事ですよ」
中村のセリフに俺が礼を言おうとしたその時、時計塔内から甲高い悲鳴が辺りに響く。俺は中村と目を合わせると、即座に時計塔に走りこんだ。
時計塔内は複雑な道はない。ただ階段を駆け上がるだけだ。そんなに現実離れした高さではない。てっぺんにグリムがいるにしてもまだ間に合う。時計はその時55分を指していた。
途中から息切れがしてくる。数年前なら余裕だったのかもしれないが、やはり不規則な生活に運動不足が重なると、やはり体力は格段と落ちているようだ。しかし、俺にはやらなきゃならない仕事がある。グリムを捕まえて、家に帰るんだ。俺は息切れして感覚の消えてきた足を前に前に伸ばし、必死の思いで走り続けた。
「いいかい?ここに座るんだ…」
見知らぬ青年の声が聞こえる。俺は最後の踊り場までたどり着いた。ゆっくりと一段一段登っていく。
「やめて!あなた誰なの!?」
もう一人は若い女性のようだ。中村を確認しようとしたがもう少し下のようだ。俺はポケットの拳銃に手を伸ばし、即座に構える。
「動くな!警察だ!」
グリムと見られる男は全身真っ黒の服装で、俺の声に反応してこちらを見た。その目には困惑と恐怖が映し出されていた…だが、それもすぐに消える。
「やっと…やっと追いついたか…のろまな警察め…」
その声はかすかに震えているように思えた。それが恐怖からなのかそれとも武者震いなのかはわからない。
「いいか、その女性からゆっくり離れろ」
「うるさいぞ…」
グリムは一向に女性から離れようとしない。一方女性も腰が抜けているのか、逃げきれそうにない。
「お前らのせいだ…お前ら大人のせいで僕は…」
俺はグリムに銃口を向けたはいいが、女性から離れる気もないらしく発砲もできない。
「俺らのせい…?一体どういう事だ?」
グリムは怒りのせいか歯ぎしりをし、語り始めた。
「僕の両親は…昔は中が良かったんだ…でも…お互い忙しくて…やがて離婚した…。それから、僕はお母さんと暮らすことになったけど…お母さんはほとんどど家にいなかった…」
グリムの語りに俺は胸が締め付けられそうになった。まるで同じなのだ。離婚した点以外まるで俺の家庭と同じなのだ。
「それにお母さんは…機嫌が悪い時僕を殴ってきた…僕は悪くないのに…それでも、僕には宝物があったから…耐えられたんだ…」
「『新童話集』…か?」
俺が尋ねると、なぜ知ってるの?と言いたそうな顔をしたが聞いてはこなかった。
「そうだよ…『新童話集』…お金がなかったから一巻しかなかったけど…」
と、グリムはポケットから本をのぞかせる。それは確かに俺が昨日手に入れた『新童話集-①』と同じものだ。
「ちっちゃい頃は…まだお母さんたちの仲が良かった頃は…それを決まって月のでる夜に読み聞かせてもらったんだ…」
俺はようやく謎が解けた。犯罪が起きたのが月夜だけの理由…それは…
「だから…だから僕も月夜にしか『読み聞かせ』をしなかった…」
「読み聞かせ、ってのはお前が犯した犯罪のことか?」
その言葉にグリムは怒ったように反論してきた。
「違う!僕は!犯罪なんか犯してない!僕は…!」
グリムはしばらく息遣いを荒くし、言葉を探していたようだったが、やがて再び語り始めた。
「それでもあの夜は…公園を歩いていた夜は我慢できなかった…池を覗き込むあの女の姿が、僕のお母さんにそっくりだったんだ…だから、僕は仕返しをしてやった…」
おかしそうにグリムは笑った。
「面白いよね…読み聞かせてもらってた人に、今度は僕が読み聞かせる番になったんだ…だから僕は次の人にも読み聞かせてあげることにした…」
やはりグリムは正常な状態ではない。少なくとも、まともな大人には成長出来ていない…
「わかってるだろ…こうなってるのもなにもかも、お前ら大人のせいなんだよ!体だけ大きくなって、心を肥やした醜い大人どもめ!」
俺は反論しようとしたが、ふと息子のことが思い浮かんで頭が真っ白になる。それを見計らってか、グリムは俺に向かって突進してきた。俺は悲鳴をあげて階段から転げ落ちる。丁度下の踊り場まで駆けつけていた中村にぶつかり、なんとか止まった。だが、グリムはそのまま倒れこんでいる俺達を乗り越えて、下へと下りていってしまった。
「すまん…中村…やっぱり撃てなかった…」
なんとか起き上がりながら、泣きそうな声で呟くように中村に謝る。
「らしくないですよ、弓原さん。被害者が守れたなら任務をこなしてますよ」
中村はなだめてくれたが、まだ止まるわけにはいかない。
「ありがとよ…俺も情けねぇな。そのついでに、上の被害者の女性を保護しといてくれるか…間に合うかわからんが、グリム追う」
俺が服を払って立ち去ろうとすると、中村は靴音を響かせ、敬礼をしてきた。
「了解しました!お気をつけて!」
俺はまた息を切らしながら階段を猛スピードで下りていく。グリムもまだ塔内のようだが随分と差が開いてしまっている。しかしこのまま逃がすわけにはいかない。俺は持てる力を振り絞って前に向かって必死で走った。
塔を出ると、既にグリムの影はない。見失ったか、と意気消沈しそうになったが、ある考えがそれをやめさせた。犯罪を実行できなかったグリムは果たしてどうするだろうか?
「『新童話集』の最後の話は…」
最後の話は確か…『マッチ売りの少女』…今までずっと犯罪は一直線上で起きてきた。今更このルールを破ることはないだろう。
俺はそのルールに従って、公園から伸びる一直線上に走り始めた。
住宅街のほとんどはもう消灯しており道はかなり暗い。しかもグリムは全身黒ずくめ。ヘタをしたら見逃してしまう。だがここでそんなヘマをするつもりはない…絶対に見つけ出す。
塔を出てから20分ほどだろうか…塔は元々市内の隅の方に作られておりもう少し進めば市外なのだが、丁度境目のところに随分と長い空き家がある。そこにグリムは入っていくのをようやく見つけた。
俺が駆け寄って扉を開けようとすると鍵がかけられている。俺は扉を強く叩いた。
「おい…!…もう…逃げられないぞ…!出て来い!」
肩で息をしながらなんとか言葉をひねり出し、叫ぶ。すると意外に近く、ドアの向こう側から声が聞こえてきた。
「お前らのせいなんだ…!お前らの…!」
グリムの言葉を聞くたびに胸が痛む。だが、俺は決着をつけなければならない。
「いいか、よく聞け。そうだ。お前がこうなってしまったのは俺達大人のせいかもしれない。お前にちゃんとした愛情を与えられなかったからかもしれない。だから俺はお前を逮捕する。それがせめてもの償いのために!」
グリムは黙り込んだ。だが俺もその隙をついて扉を力づくで開けようとは思わなかった。するとようやく言葉が帰ってくる。
「『零の刻、鐘と共に魔法は解けゆく』」
いきなり言われると何のことかわからなかったが、どうやらこれは『シンデレラ』の文書だろう。
「『少女は暗闇、一人炎と夢をみる』」
少し時間を置いて、また聞こえてくるこの言葉は、最後の物語『マッチ売りの少女』なのだろう。
「それぞれ…最後二つの物語にあてるつもりだった文書だよ…」
「どういうつもりだ…?自首するのか?」
この俺の問いかけに対し、グリムの返事はない。
「僕はあんたの名前すら知らないし、あんたは僕の名前を知らないだろう。なのに僕は一夜目からあんたから逃げてて、あんたは一夜目から僕を追ってた…不思議だと思わない?」
俺は意味がわからずにもう一度扉を叩いた。すると奥のほうから力が抜けたような声が聞こえてきた。
「楽しかったよ、ありがとう。刑事さん」
「どういうつもりだ。もう俺は出し抜けないぞ?」
いつ出てきても対応できるように、片手には手錠を持つ。
「僕は…やっぱり寂しかった。誰かにかまってほしかったんだ…僕も童話を読み聞かせて欲しかった…」
裏の換気窓から煙が出ていることにふと気づく。
「馬鹿野郎!ここで火を放ったのか!いいから出て来い!」
俺は慌てて扉を開こうとしたが、びくともしない。代わりにグリムの声は聞こえてくる。
「一番好きなお話は、やっぱり『うさぎとかめ』かな…その次は…」
横にも後ろにも回ったが、どこも木で打ち付けられていて、突入するのには時間がかかりすぎる。やがて、中から聞こえるグリムの声も途切れてしまった。
俺が燃ゆる家の前のベンチに腰掛けその様を見ていると、中村がようやく追いつく。
「な、なんですか、これ…」
驚く中村に俺は「グリムだ」と呟いた。
「空き家がここまで出入口を封鎖してるとは思えない…どう考えても事前に準備してたんだろうな…そう考えると、グリムは結局ここで最後を遂げることを計画していたのだろう」
中村はしばらく放心状態で家を見ていたが、急に慌てだしてケータイを取り出した。
「消防隊ならもう呼んだぞ?」
その言葉でぴた、と動きが止まってケータイをもう一度しまい直す。
「さて、行くか」
と、俺が立ち上がると、中村は不思議そうな顔をする。
「行くって…どこへですか?」
「息子へのプレゼント買いにな。ちょっと中村、付き合えよ」
中村はため息を付いて苦笑する。
「いいですけど…今、夜中の1時ってことをお忘れなく。
「警察の名を使えばそんなもん大したことないだろ」
小村さんの要求…グリムを救うことはできなかった。だがグリムは最初からああなることを覚悟していたのかもしれない。凍えるような寒い夜。燃える炎の中。絶命することを…俺はそれに対し、少しでも助けの手を差し伸べられたのだろうか。最後のグリムの「ありがとう」というセリフは未だに心に残っている。
そして…今年は妻に、息子に会うために…俺は俺の意志で家に帰ることができそうだ。
END
いかがだったでしょうか。
たまたま生まれた作品だったのですが、
自分なりに結構こね回して作ってみました。
是非ご感想などいただければ有難い限りです!