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旅人さんは見捨てられない

掲載日:2026/06/07

こんばんは。

『暮色 ―ぼしょく―』と申します。


 目深に被った緑のとんがり帽子、体を隠すほど大きい緑のマント、革のブーツに腰には短剣、首には竹の呼子笛。


 彼は、旅人さん。

 たくさんの村や町に訪れて、たくさんの人に出逢い、たくさんのことを教わります。


 ある時には、頂く動物への感謝の祈りを。

 ある時には、雨を降らせる舞のやり方を。

 ある時には、笑い方と泣き方と怒り方を。


 旅人さんは旅が楽しくて仕方がありません。

 今日訪れたのは、人の少ない小さな村。


 ちょっと、木の上から様子を見てみましょう。


   ◇


 ボクの村には不思議なお(うち)があります。

 ちょっとだけ窓から覗いたことがありました。


 びっくりぎょうてん!

 そのお家には、たっくさんの時計が壁にかけられていたのです。


 それもそのはず。

 だってね、そのお家に入る人は、みんな時計を持って入るから。


 だからボクは、そのお家のおじいさんを『時計のお医者さん』って呼んでいます。


――ケホッ、コホッ

 咳が出てきちゃったから今日はお家に帰ろう。



 次の日、ボクは不思議な人と出会いました。全身が緑のへんてこな人です。


 『旅人さん』って言うそうです。

 旅人さんはとっても面白い人です。


 だって、何にもないところで転ぶんです。

 狭い洞窟の中で、頭に気を付けてね、って言ったのに頭を上げて、ゴンッってぶつけちゃうんです。


 ボクの最近の楽しみは、そんな狭い洞窟で旅人さんのお話を聞くこと。

 今までの旅のお話をしてくれます。


 髪が真っ白で生まれた女の子のお話、病で倒れたお母さんを治す花を咲かせようとする少年のお話、他の鳥から嫌われているドードーのお話、欲張りなクッキー屋さんのお話。


 どのお話もとっても面白かったです。


「旅人さん、明日もお話聞かせてくれる?」

 ボクがそう聞くと、旅人さんはお口を三日月のようにして頷いてくれました。


 でもね、約束は守れませんでした。

 ボクが倒れちゃったから。

 咳が止まらないの、体が熱いの、胸がギュッと苦しいの。

「……旅人さんに、あいたいなぁ……」


   ◇


 ひとり狭くて寒い洞窟で待っていた旅人さん。どんなに待ってもお友達の男の子はやってきません。


 次の日、村の人が男の子が倒れてしまったことを教えてくれました。


 あそこの家に運ばれていった、と聞きました。時計がたくさん壁に掛けられたあの家です。

 ですが、時計の針はどれ一つ動いていません。動いているのは、あの大きな振り子時計だけ。


――コン、コン、コン

 旅人さんは時計の家の扉を三回叩きました。


 中から出てきたのは、しわくちゃなおじいさん。首からはステート(聴診器)がかけられています。


 旅人さんは聞きました。どうしてそんなに時計があるのか、と。おじいさんは答えてくれます。


「この時計たちはな、この村で生きた人々の最後の時を刻んだものなんじゃ。小さい子らはわしのことを『時計のお医者さん』と呼んだりするがなあ」


 おじいさんは「ほっ、ほっ、ほっ」とひげを撫でながら笑いました。


「ここに来る人はもう長く生きられない人たちじゃ。この男の子もそう。だが困ったことに、生まれてすぐに両親を亡くしたこの子は時計を持っておらなんだ。お前さんこの子のお友達なんだろう? 時計をひとつ作ってきてくれないかい? 針が自分から動くものじゃなくていい、小さくても、歪でもいい。どうか、頼む」


 おじいさんは、深く、深く頭を下げました。


 旅人さんは時計を作るために森に行きます。木を切って作るためです。ですが、木の切り方も、時計の作り方も知りません。


「木はこうやって切るんだ。こっちの斧を貸してやる」

 腕が足よりも太い木こりが教えてくれます。


「木を彫る時はこうやるのよ。ほらやってみて」

 赤茶色の長い髪の彫刻家が教えてくれます。


「墨はこういれるんだよ。そう上手、上手」

 優しい顔と声の墨職人が教えてくれます。


 一日かけて、男の子のための時計は出来上がりました。

 小さくて、下手くそで、針が自分から動かない時計を持って、旅人さんはおじいさんのところに向かいます。


   ◇


 ボクは、もうすぐ死んじゃいます。

 わかるんです。

 たった五年だ、短い、と時計のお医者さんは泣いてくれたけど、

 ボクにはとっても楽しい五年だったのです。


 最後にはお友達もできました。全身緑のへんてこな人だけれど。


 ギュッと握られた手。大きくて、でもとても冷たいその手をボクは知っています。


「……たびびと、さん。そこに、いるの……?」

 手がもう一度ギュッと握られました。


 旅人さんはボクに時計を見せてくれました。

 小さくて、へたくそで、針が自分で動かない時計だけど、世界でひとつだけのボクの時計です。


 旅人さんのお目目から流れるたくさんの涙。


 泣かないで、泣かないで。

 大丈夫だよ。お空に行っても、ボクは旅人さんと一緒に旅をするから。

 春になったら、綿毛になって旅人さんの元に行くからね。


   ◇


 そして、男の子は天使が手招く空へと昇っていきました。

 旅人さんが作った男の子のための時計は、最後の時を刻み、先に空へと昇った村の人々の隣に掛けられたのです。



 村のみんなが泣いています。

 おじいさんのお家にたくさんの人がやってきて涙を零します。

 おじいさんが、最後の時を刻もうとしていたからです。


――カチ、コチ、カチ、コチ

 大きな振り子時計の針はまだ動いています。


――カチ、コチ、カチ……

 おじいさんはゆっくりと目を瞑り、みんなに看取られて空へと昇っていきました。


 大きな振り子時計の針を止めた旅人さんは、静かに時計のお医者さんの家を後にしました。


 ツーと旅人さんの頬を滑り落ちる涙。

 旅人さんは口を弓のように弧を描かせます。

 忘れてはいません。ある時に教えてもらった、悲しくても笑う方法を。


 旅人さんは、また旅に出ます。

 さあ、今度はどんな村や町を訪れて、どんな人と出逢えるのでしょう。


――ピィ―

 竹の呼子笛は、次の旅への出発の合図。

 そして、出会った人とのお別れの合図。


ご高覧いただき感謝の至りでございます。

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