第23話 一本の連絡
役目の地図ができた翌日、あやかは最初の一件に電話をかけた。
相手は、集会所の段取りを昔から見てきたという宮本さんだった。
草刈りの写真にも、神社の寄付にも、選挙の当日にも名前が出る。
けれど村では、そういう人ほど表には立たない。
「いきなり行っても警戒されるから、先に声だけ通す」
あやかはそう言って、短く話した。
名乗り、近況を伝え、昔の控えを見せてもらったことだけを告げる。
電話の向こうでは、しばらく沈黙があった。
それから、低い声で「一度なら」と返事が来た。
「一度なら、会ってもいいって」
あやかは受話器を置きながら言った。
「この村は、いきなり聞くと閉じる。でも、順番を踏むと少しだけ開く。表に出ない人なら特に」
僕たちは、その午後、宮本さんの家へ向かった。
門の前には軽く刈られた草があり、奥の庭にはまだ手を入れきれていない畑が見えた。
座敷に通されると、宮本静江は最初に茶を出し、それから古い回覧の束を机に置いた。
「あやかちゃんから話は聞いたよ。あんたたち、控えを見たいんだってね」
「はい」
菜々さんが答えると、宮本さんはうなずいた。
「見てもいいけど、見たら分かるよ。村は、顔役が回してるんじゃない。連絡役が回してるの」
「連絡役、ですか」
「そう。顔の出る人は最後に動く人。前にいるようで、後ろがないと動けない」
その言葉で、僕の中に祖母の後ろ姿が浮かんだ。
子どもの頃、祖母はよく集会所に顔を出していた。
祭りの前には提灯の数を確かめに行き、草刈りの前には誰それの家は軽トラを出せるだの、誰それは朝が早いだのと、当たり前みたいに口にしていた。
誰かの家で不幸があれば、その日のうちに香典袋の順番が決まり、冬の前には雪囲いの段取りが静かに回っていく。
子どもの頃の僕には、それは祖母たちが勝手にやっている村の習慣に見えていた。
でも違った。
誰かが先に顔を出し、誰かに声をかけ、表に出る前に流れを作っていたのだ。
宮本さんは、机の引き出しから細い札を出した。
そこには、家ごとに回す順番が手書きで残されていた。
祭りの提灯、草刈りの参加、道路の砂利入れ、選挙の声かけ。
順番は毎年少し変わるが、中心にいる家はほとんど同じだ。
「この札、まだ使ってるんですか」
僕が聞くと、宮本さんは笑わなかった。
「使うわよ。使わないと、誰がどこまでやるか分からないでしょう」
菜々さんは、札の端に付いた印を見つけて指を止めた。
「この印、草刈り台帳と同じです」
「そうだろうね」
「じゃあ、補助の写真も、この順番で回ってる」
「回るわね。見せる順番が大事なの」
僕は、その一言で十分だった。
昨日描いた地図の線に、初めて動く順番が入った。
宮本さんは、選挙の年の札を一枚だけ引き抜いた。
そこに書かれていた名前は、台帳で見た姓と一致している。
「この家が声をかけると、二軒は動く。そこから先は、連鎖よ」
あやかが、その札を見て小さく息を吸った。
「……やっぱり、そこなんだ」
「そう。村は広そうに見えて、実際は狭い。一本の連絡で、草刈りも祭りも選挙もつながる」
菜々さんはメモを取りながら、短く言った。
「じゃあ、票の動きも読める」
「読めるわ。読めるけど、止めるのは別」
宮本さんはそう答えて、こちらを見た。
「止めるなら、家を一軒じゃだめよ。順番を変えないと」
その言葉だけで、次にやることは見えた。
誰か一人を責めても、村は別の順番で同じように回る。
変えるなら、連絡の流れそのものだ。
帰り道、あやかは前を向いたまま言った。
「この人が動くと、集会所の空気が変わる。だから大滝さんも、あの家の機嫌は外せない」
「なら、そこを押さえればいいんですね」
「うん。でも、押すんじゃなくて、選ばせる感じがいい」
僕は窓の外を見た。
草の刈られた道が、家々の間を細く結んでいる。
その先にあるのは畑じゃない。連絡の流れだ。
一本の連絡で村は動く。
なら、次はその順番をずらす番だった。




