**第9章:毒蛇の巣**
**第9章:毒蛇の巣**
**年齢:7歳(カイン行方不明)場所:王都ルミナ**
ヘリオス王国の王都、**ルミナ**。
そこは白大理石と黄金で作られた都市だった。
美しい。雲を突き抜ける尖塔。青空を巡回するグリフォン騎士団。石畳の通りは塵一つなく、魔力灯があらゆる闇を追い払っている。
庶民にとって、そこは楽園に見えただろう。
だが、**アーサー・ヴァレリウス男爵**にとっては、黄金の歯を剥いて獲物を待つ獣の口に見えた。
我々の馬車は襲撃で破壊され、泥にまみれ、ドアが一枚欠けた状態で壮麗な正門を通過した。
対比は鮮烈だった。舞踏会に入場する乞食のようだ。
市民たちは足を止め、ささやき合った。
「あれがヴァレリウス家の馬車か?」
「ひどい有様だ……噂は本当だったんだな」
「息子が死んだらしいぞ。あの『ゴミ』が」
「自業自得さ。呪われた家系だ」
馬車の中で、**サラ**はカインの座っていた空席を掴み、声もなく泣いていた。
**エレナ**は凍りついたように座っていた。彼女はもう泣いていなかった。彼女の小さな手は、カインが残していった乾燥マムシの切れ端を握りしめていた。関節が白くなるほど強く。
アーサーは彼女たちの向かいに座っていた。
彼は身なりを整えていた。新しい貴族のコートを纏い、髭も剃っていた。
だが、その目は違っていた。
かつての温かさは消えた。迷いも消えた。
彼は戦場を偵察する指揮官のような、冷徹で捕食的な眼差しで、輝く都市を見つめていた。
*(カインの言う通りだ)*
アーサーは剣の柄に手を置きながら思った。
*(この都市は家ではない。装飾が豪華なだけの牢獄だ)*
---
**【玉座の間】**
1時間後、我々は**『太陽の玉座』**の前に立っていた。
巨大な広間だった。天井からはマナ結晶のシャンデリアが下がり、床は磨き上げられた黒曜石でできていた。
玉座に座っているのは、**ローランド・ド・ヘリオス国王**。
彼は老いて見えた。疲れていた。王冠の重みに押し潰された男の姿だ。親友であるアーサーを見て、瞳に一瞬だけ親愛の情が灯ったが、すぐにそれを隠した。
彼の隣に立っていたのは、**イザベラ王妃**。
息を呑むほどの美女だ。黄金の髪、突き刺すような緑の瞳、そして絶対的な権威のオーラ。
表向き、彼女は**『高位魔導師』**として知られている。だが、その真のランクを知る者はいない。
彼女を見た瞬間、アーサーは天候とは無関係の悪寒を感じた。
彼女の周囲の空気は、単にエネルギーで唸っているのではない。**歪んで**いた。そのマナ密度は、単なる高位魔導師の域を遥かに超えている。
彼女はアーサーを見ていた。だが、そこに嫌悪感はない。
あるのは、科学者が実験体を観察するかのような、冷徹で計算高い眼差しだけだった。
そして脇には、薄ら笑いを浮かべた**ドラヴェン伯爵**が立っていた。
峡谷の隣の領地を持つ男。傭兵を雇った黒幕。
彼は赤いベルベットの服を着て、ワイングラスを片手に持っていた。
「アーサー男爵」イザベラ王妃が先に口を開いた。凍った鐘のような声だった。「遅かったですね。それに……随分と見苦しい格好で」
アーサーは一礼した。機械のように完璧な礼だった。
「申し訳ございません、陛下。道中……少々困難がございまして」
「ああ、そうだ」ドラヴェン伯爵が一歩進み出た。その声からは偽りの同情が滴り落ちていた。「悲劇的な知らせを聞いたよ。山賊だったか? 私の領地で? なんとも恐ろしいことだ」
彼はワインを一口飲んだ。
「それで、息子が……あの口のきけない少年が、行方不明になったとか? 狼に食われたのかな?」
サラがビクリと震えた。
ローランド王は恥ずかしそうに視線を落とした。
ドラヴェンは残酷な笑みを浮かべて続けた。「まあ、かえって良かったのかもしれん。あの少年に未来はなかった。マナの不具者が王都に来ても苦しむだけだ。神が早めに連れて行ってくださったのは、慈悲というものだろう」
宮廷の貴族たちが忍び笑いを漏らした。カインが「ゴミ」であることは周知の事実だ。彼らにとって、カインの死は血統の浄化に過ぎなかった。
アーサーはゆっくりと背筋を伸ばした。
彼はドラヴェンの方を向いた。
叫ばなかった。泣きもしなかった。
ただ、ドラヴェンの目を真っ直ぐに見た。
「ドラヴェン伯爵」アーサーは静かに言った。
「なんだ?」ドラヴェンが鼻で笑った。
**ズンッ。**
一瞬、玉座の間の空気が消失した。
アーサーは剣を抜いていない。その必要もなかった。
彼は凝縮された針のような**『剣意』**を放った。
それは初心者が放つような拡散したオーラではない。ドラヴェンの喉元一点に向けられた、純粋な殺意のレーザーだった。
*パリン。*
ドラヴェンの手の中でワイングラスが砕け散った。高価なベルベットのスーツに、血のように赤いワインがこぼれる。
ドラヴェンは喉を詰まらせた。彼はよろめき、自分の首を押さえて目を剥いた。アーサーは5メートルも離れているのに、冷たい刃物を肌に押し付けられたような感覚に襲われたのだ。
近衛兵(ランク4)たちが硬直し、反射的に武器に手をかけた。彼らは感じ取ったのだ。この部屋で、怪物が目を覚ましたことを。
「私の息子は」アーサーは囁いた。その声は静まり返った広間に反響した。「最期の瞬間において、貴様が全生涯で示したよりも気高い誇りを持って戦った」
アーサーは一歩踏み出した。
「二度と侮辱を込めてその名を口にするな……さもなくば、心臓が二度鼓動する前に斬り捨てる。王の御前だろうとな」
静寂。
絶対的な、恐怖に満ちた静寂。
イザベラ王妃が目を細めた。彼女は壊れた男、泣き崩れる父親を予想していた。
だがそこにいたのは、狼だった。
*(変わったわね)* 彼女は魔術的な感覚で分析した。*(マナは詰まったまま……けれど、精神が……超越している)*
ローランド王が咳払いをして、緊張を破った。
「やめよ」王は厳格な声で言った。「アーサー、喪失を悼もう。王国はこの山賊について調査を行う。だが……今はそなたが呼ばれた理由について話さねばならん」
扉が開いた。
白いローブを纏った長身の男が入ってきた。太陽のシンボルを冠した黄金の杖を持っている。
**聖法国サンクタ**の、**イグニス司教**。
彼はアーサーを見なかった。真っ直ぐに**エレナ**へと歩み寄った。
彼は5歳の少女を、まるで競走馬を品定めする商人のような目で見下ろした。
「ほう」司教は完璧な白い歯を見せて微笑んだ。「これが器ですか」
彼は手を伸ばし、エレナの額に触れた。
エレナは身をすくめたが、逃げなかった。彼女はカインの言葉を思い出していた。*『恐怖は自分を獲物にする』*。彼女は反抗的な青い瞳で司教を見返した。
「素晴らしい」イグニス司教は頷いた。「聖属性への親和性が極めて高い。立派な聖女になるでしょう」
彼は王の方を向いた。
「聖法国サンクタは満足しております。しかし、今すぐ彼女を聖都へ連れ帰るのは……非効率です。幼すぎますな」
「同感だ」ローランド王は素早く答えた。王国最高の資産を外国に奪われたくはなかった。「彼女はこのヘリオスに留まるべきだ」
「もちろんです」司教は巻物を取り出し、微笑んだ。「**『賃貸契約書』**を用意しました」
「賃貸だと?」アーサーが冷たい声で遮った。「私の娘は家畜ではない」
司教は彼を無視した。「聖法国は王都へ**上級家庭教師**を派遣します。我々が教育し、資源を提供しましょう。その対価として、ヘリオス王国は教会へ毎月の『十分の一税』を支払い、今後10年間の彼女の『奇跡』に関する権利は教会が保持します」
それはビジネスだった。
彼らにとってエレナは人間ではない。バッテリーだ。二つの国家を結びつける政治的道具に過ぎない。
ローランド王は契約書を見た。高額だ。だが聖女を繋ぎ止めておけるなら安いものだ。
「受諾しよう」王は言った。
司教はエレナに向き直った。
「子供よ。今日から、そなたは神のものだ。王宮の西棟で暮らし、夜明けから日暮れまで学ぶのだ。過去のことは忘れなさい」
エレナは父を見た。母を見た。
泣きたかった。逃げ出したかった。
だが、ポケットの中にある乾燥した蛇の肉の感触が、彼女を支えた。
*(にーには逃げなかった)* 彼女は思った。*(にーには私たちを救うために、地獄へ飛び込んだ)*
エレナは深呼吸をした。一歩前に出る。
カーテシー(膝を折る礼)はしなかった。ただ頷いた。
「わかりました」エレナは震える、しかしはっきりとした声で言った。「私は強くなります」
*(そしたら、にーにを見つけられるから)* 彼女は心の中で誓った。
---
**【その後】**
その夜、アーサーとサラは貴族街に割り当てられたタウンハウス(都市邸宅)に引っ越した。
豪華だが、空虚な家だった。
サラは悲しみに疲れ果て、早々に眠りについた。
アーサーは書斎に座っていた。
窓が開いており、きらめく王都の夜景が見下ろせた。
彼は机の上に剣を置いた。その隣に、**黄金の家紋**を置いたあの森で回収した、カインが遺した唯一の痕跡だ。
彼は自分に酒を注いだ。
忘れるために飲むのではない。思考を研ぎ澄ますために飲むのだ。
彼は机の上に、大陸全土の巨大な地図を広げた。
「この毒蛇の巣で生き残るには」アーサーは呟き、国境線を指でなぞった。「盤面を知らねばならん」
彼は地図を見つめ、彼らを取り巻く勢力を分析した。
- **南:聖法国サンクタ**
- 「白き都市、厳格な法、そして教皇」。エレナの手綱を握っている連中だ。聖魔法に特化し、『異端者』を狩る。もしカインがあの異質な力を持って帰還すれば、彼らが最初の敵になるだろう。
- **北:カイザー帝国**
- 「鉄の国」。機械と魔導技術の軍事帝国。ヘリオスの宿敵だ。冷徹で、工業的で、無慈悲。
- **極東:暁の王国**
- 翡翠海の彼方。精霊と呪符の神秘の国。アーサーは地図に触れた。カインの黒髪と黒目……あの子は彼らに似ている。もしかすると、あの子の運命はそこにあるのかもしれない。
- **亜人の領域:**
- 山脈の**鉄の砦**。森の**シルベニア(エルフ)**。密林の**ワイルドファング(獣人)**。どいつもこいつも強力で、傲慢で、危険な連中だ。
- **そして中央:中立地帯**
- アーサーの指は、三大国に挟まれた一点で止まった。
- **創世学園。**
- 身分が意味を持たない唯一の場所。王族も、エルフも、獣人も、ただ己の力のみを証明するために集う場所。
「アカデミーか」アーサーは囁いた。
もしカインが生きていれば……もし息子が、あの森で見た怪物の魂を本当に持っているのなら、永遠に沼地に留まりはしないだろう。
奴は、力が集まる場所へ行くはずだ。
アーサーはナイフを手に取った。
彼は地図上の**ドラヴェン伯爵**の領地に、ナイフを突き立てた。
「私はこの王都で前線を維持する」アーサーは誓った。蝋燭の光の中で、その瞳がギラリと光った。「政治という名の砦を築こう。そして息子よ、お前が帰還した時……奴らを全て焼き払うのだ」




