第3章:庭園の将軍
# 第3章:庭園の将軍
**年齢:3歳。**
「うあー! にーに!」
甲高い声が、俺の瞑想を切り裂いた。
俺は片目を開けた。
芝生の上を情けない速度で這ってくるのは、**エレナ**だった。1歳になる俺の妹だ。
彼女はピンク色の肉とヨダレの球体だった。
だが、彼女を直視するのは目が痛かった。
文字通りだ。
彼女は、光っていた。
微弱だが、一定のリズムで**『黄金の光』**が肌の周りで脈動していたのだ。
それはマナではなかった。俺はマナを知っている。青く、混沌としていて、重い。
だがこれは違う。温かく、攻撃的で、信じられないほど高密度だ。
*(なんだ、このエネルギーは?)*
俺は目を細めた。
*(武林では、少林寺の高僧だけが黄金の気を持っていた。だがこれは……もっと神聖だ。傲慢だ。まるで空が地上を見下ろしているような感覚だ)*
1年前、彼女が生まれた日のことを思い出した。
俺の静かで不吉な誕生とは違い、彼女のそれは「イベント」だった。寝室全体が目もくらむような金色の閃光に包まれたのだ。花瓶の枯れた花が一瞬にして咲き誇ったほどだ。
あの日、父アーサーが彼女を抱いているのを俺は見た。
父は笑っていたが、泣いていた。それは嬉し涙ではなかった。**恐怖**だった。
*『聖女だなんて……』*
その夜、父が母に震える声で囁くのを俺は聞いた。
*『よりによって、なぜここで? なぜ今なんだ? 我々は隠遁生活に幸せを感じていたのに。サラ、教会がこの光を知れば……あの子を連れて行ってしまう。平穏は終わりだ』*
その時、俺は3つのことを理解した。
1. **聖なる力が存在する。** それはマナや気とは別物だ。
2. **父は隠れている。** マナが少ない(弱い)ために追放されたが、彼はこの静かな生活を愛していた。エレナの才能は、彼を再び政治の地獄へと引きずり戻す呪いだ。
3. **俺は無知だ。**
*(全てを知っているつもりだった)*
俺はクローバーにヨダレを垂らすエレナを見ながら、自分を批判した。
*(だが俺は「聖女」が何なのか知らない。教会の政治的ランクも知らない。聖なる力の特性も知らない)*
無知は戦術的敗北だ。
情報が必要だ。
*(書斎を襲撃する必要がある。よろけずに歩けるようになったら、この家の本を片っ端から読んでやる。敵を知らねばならん)*
「にーに! だっこ!」
エレナがベタベタした手で俺の脚を掴んだ。黄金の光が俺の肌をチリチリと刺す。
「あっちへ行け」俺は彼女の額を指で突いた。「俺は修練中だ。あとオーラを消せ。お前は暗い森の中を歩く松明みたいだぞ」
「えへへ!」彼女は笑った。自分の中に眠る壊滅的な力を制御する方法など、知る由もない。
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**【蟻の戦争】**
エレナは日向で眠ってしまった(スタミナ不足だ)。
俺は退屈した。
俺はバラの茂みの近くに座り、地面を見下ろした。
二つの軍隊が衝突していた。
**黒蟻軍 vs 赤蟻軍。**
激しい小競り合いだった。赤蟻は体が大きく、強力な顎を持っていた(マナを含んだ土壌による軽微な変異だろう)。黒蟻は小さいが、数で勝っていた。
「愚かだ」
敵陣に正面から突っ込んでいく黒蟻の指揮官を見て、俺は呟いた。
「高地を捨てるとは。赤蟻にはサイズで2倍のアドバンテージがある。正面突破は自殺行為だ」
黒蟻の指揮官は引き裂かれた。部隊はパニックに陥った。
俺はため息をついた。「情けない。この世界の将軍レベルはこの程度か? 虫けらでさえ無能とは」
俺は小枝を拾った。
*(介入してやろう。慈善事業としての軍事コンサルティングだ)*
ただ突っつくような幼稚なことはしない。
俺は小枝を使って戦場を作り変えた。
赤蟻軍の左翼に小さな溝を掘る。そして、ジョウロから溢れたわずかな水を葉っぱで誘導した。
*ザッ。*
鉄砲水が赤蟻の増援を分断した。
「行け、黒の部隊」俺は目を細めて囁いた。「敵は孤立した。側面を突け」
俺は小枝で黒蟻を優しく押し出し、敵の無防備な側面へと誘導した。
好機と見た黒蟻たちは群がった。赤蟻の前衛を圧倒する。虐殺だった。
「いいぞ。冷酷だ。合格点だ」
奇妙な満足感があった。俺は花壇の軍神だった。
*ブゥン……。*
その音集中力を乱した。
普通の羽音ではない。重い。空気を振動させている。
俺は見上げた。
眠っているエレナの真上に、**『ホーネット(一角・殺人蜂)』**がホバリングしていた。
スズメほどの大きさがある。その毒針は、ネオングリーンの光を帯びていた。
*(ランク1のマナ・ビースト)* 俺は即座に分析した。 *(有毒。風属性)*
蜂は俺を見ていなかった。エレナを見ていた。
彼女の「聖なるマナ」が、寝ている間に漏れ出ていたのだ。モンスターにとって、彼女は光り輝く極上のキャンディに見えるだろう。
蜂が急降下した。
その針は、エレナの柔らかい頬に向けられていた。
*(時間が遅くなる)*
俺の戦術脳がシミュレーションを実行する。
1. **父を呼ぶ:** 遅すぎる。蜂の攻撃まで0.5秒。父は屋内だ。結果:エレナ死亡。
2. **石を投げる:** 命中率80%。だが蜂には**『マナ・シールド(風の障壁)』**がある。石は弾かれる。結果:エレナ死亡。
3. **直接介入する。**
*(チッ)*
俺が動いたのは、彼女を愛しているからではない。
彼女が俺の**「肉の盾」**だからだ。もし彼女が死ねば、教会は代わりに俺に目を向けるだろう。それだけは困る。
俺は立ち上がった。
「ゴミ」と判定された体が、幼児とは思えない速度で動く。
武器はない。
だが、**『気』**がある。
俺は右手を上げた。人差し指を伸ばす。
丹田から「天魔の気」をほんの一筋引き出した。ほんの一滴だ。だが俺はそれを圧縮した。ダイヤモンドのように硬くなるまで絞り上げた。
*(魔法は気体だ。気は固体だ)*
**天魔武功:指弾。**
俺は闇雲に振り回したりしない。蜂がエレナの鼻先1インチに迫るまで待った。
*デコピン。*
俺は指を弾いた。
ただのデコピンだ。
だが、気を纏った俺の爪は、蜂の頭蓋を捉えた。
**【衝突】**
蜂のマナ・シールドが俺の気とぶつかる。
もし同じエネルギーなら反発しただろう。
だが俺の気は**『重い』**。それは煙を貫く鋼鉄の針のように、緑色の風の障壁を易々と貫通した。
*グシャッ。*
蜂の頭が爆ぜた。
緑色の体液が芝生に飛び散ったが、エレナの顔には一滴もかからなかった。死骸は地面に落ち、一度だけ痙攣して動かなくなった。
エレナが目を覚ました。彼女は瞬きをし、死んだ虫を見て、それから俺を見た。
「にーに……むし?」
俺は彼女を見下ろし、指についた緑色の血を拭った。
「寝てるだけだ」俺は嘘をついた。「お前も寝ろ」
「あい!」彼女は即座に目を閉じた。単純な生き物だ。
「カイン?」
ポーチから声がした。
俺は凍りついた。即座に仮面を被り直す。
俺は手を下ろし、死んだ蜂を見て「驚いたフリ」をして目を丸くした。
父が歩いてきた。彼は娘の横に転がる巨大な昆虫を見た。顔色が蒼白になる。手は即座に剣の柄にかかり、殺気を放った。
「ホーネットだと!? エレナの横に!?」
彼は駆け寄り、エレナに刺し傷がないか必死に確認した。彼女は無傷だった。
彼は死んだ蜂を見た。砕け散った頭部を見た。
彼は眉をひそめ、俺を見た。
「カイン……お前が踏んづけたのか?」
俺は彼を見上げ、首を傾げ、少しだけヨダレを垂らしてみせた。
「むし……悪いことした」俺はムチムチの指で指差した。
父は息を吐き出し、肩の力を抜いた。彼は重い手で俺の頭を撫でた。
「運が良かったな、お前たち。もし刺されていたら……神よ」
彼は蜂を拾い上げ、捨てようとした。
「待って」
俺は彼のズボンの裾を掴んだ。
「どうした?」
「おなか、すいた」
俺は蜂の死骸を強烈な目つきで見つめた。
父は笑った。胸を震わせるような太い声で。
「だめだぞカイン! 虫は食べ物じゃない! ははは! お前は本当に怖いもの知らずだな。何でも口に入れようとして」
彼は蜂をフェンス越しに、深い森の中へと投げ捨てた。
俺の心が砕け散った。
*(馬鹿野郎! あれはランク1のコアだぞ! 純粋なタンパク質だ! あれがあれば3日分の修練になったのに!)*
俺の昼食が茂みの中へ消えていくのを見送った。
俺は泣かなかった。天魔は泣かない。
だが俺は『恨みの書』にしっかりとメモを取った。
*(今夜だ。今夜抜け出す。あの虫を見つけ出して……絶対に食ってやる)*




