第2章:悪意の論理
# 第2章:悪意の論理
**生後3日目。**
通常、赤ん坊というものは、温もりやミルクを求めて泣くことに最初の数日を費やす。
だが俺は、気を練ろうとして失敗し、天を呪うことに費やした。
俺は天井の梁を見つめていた。
粗末な木材だ。安い。前世の俺の浴室は翡翠で作られていたというのに、これは屈辱的だ。
だが、貧乏を嘆く前に、記憶が蘇った。
俺がなぜここにいるのか。
それは事故ではない。歴史上最も大人げない「癇癪」の結果だった。
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**【記憶記録:華山の包囲戦】**
空気は血と、松の燃える匂いがした。
俺は峰の端に立っていた。風が、ボロボロになった黒衣を叩く。体には42箇所の傷矢、斬撃、槍の突き傷があった。失血死寸前だったが、俺は背筋を伸ばして立っていた。
目の前には、俺を殺すために集まった「正義の味方」どもがいた。
その数、一万。
黄金の錫杖を持つ少林寺の僧侶たち。飛剣を操る武当派の道士たち。丐幇、名門世家、そして先週俺が侮辱した血教の連中まで。
「天魔!」
武林盟主が吼えた。内功で増幅された声が山々に響く。
「貴様の支配は終わった! 降伏せよ、さすれば苦しまずに殺してやる!」
俺は彼らを見なかった。彼らの背後を見た。
一時間前に俺が打ち上げた信号弾の煙が、空に消え入りそうになっていた。
それは俺自身の教団天魔神教に対する「絶対召集」の合図だった。
だが、地平線には誰もいなかった。
援軍はない。忠実な部下もいない。
副教主が門を閉ざしたのだ。彼らは自分たちの保身のために、俺を売った。
「ハッ」
乾いた笑いが喉から漏れた。
裏切りか。ありふれた話だ。俺は彼らに冷酷であれと教えた。彼らはその冷酷さを、俺に対して実践したわけだ。むしろ誇るべきか。
「何がおかしい、魔道よ」少林寺の方丈が一歩進み出た。「死に臨んでなお、仏を嘲笑うか?」
俺は一万人の達人たちを見渡した。彼らは汗をかいていた。死にかけの男一人を前に、恐怖していた。
「仏を笑ってなどいないさ、生臭坊主」
俺は顎から血を滴らせながら吐き捨てた。
「俺は『算数』を笑っているんだ」
「算数だと?」
「お前たちは一万人だ」俺は震える指で彼らを指した。「そして俺は一人。お前たちは勝ったと思っている」
俺は丹田に手を伸ばした。
武器を取り出すためではない。俺が30年かけて練り上げた禁断の核**『原初の混沌の種』**を掴むためだ。本来なら、神の領域に至るために使うはずだったものだ。
俺はそれを、握りつ潰した。
「だが、もし俺がこいつを起爆させれば」俺は笑った。「計算式が変わる。ゼロ対ゼロになる」
方丈の顔が蒼白になった。混沌とした振動を感知したのだ。
「き、貴様……まさか! そんなことをすれば、この州の半分が消し飛ぶぞ! 貴様の魂も砕け散る!」
「正解だ」俺は頷いた。「だが、お前らごときに『天魔を殺した』と自慢されるよりはマシだ」
「止めろォォォ!!」
奴らが突っ込んでくる。剣と気の津波だ。
遅い。
俺は種を砕いた。
「来世ではフンコロガシにでも生まれ変われ、馬鹿ども」
**ドォォォォォン。**
俺はただ死んだのではない。地図を削除したのだ。
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**【現在の現実】**
瞬きをした。
記憶が消える。
俺はベビーベッドに戻っていた。役立たずで、柔らかい、ピンク色の肉の塊だ。
「うぐっ」
起き上がろうとした。首の筋肉が機能しない。頭が枕に沈み込む。
情けない。
ただの「あてつけ」で軍隊一つを消滅させた俺が、自分の頭さえ持ち上げられないだと?
「あら? カイン、起きたの?」
ドアがきしんで開いた。サラこの人生での母親が入ってきた。彼女は疲れ切っていた。
彼女はベッドに身を乗り出した。その顔が視界いっぱいに広がる。彼女は笑った俺の肌が粟立つほど純粋で、温かい笑顔だ。
「おはよう、私の天使ちゃん」
*(天使だと?)*
俺は目を細めた。
*(俺は天魔だ。口を慎め、女)*
彼女は手を伸ばし、俺を抱き上げた。
俺は身を硬くした。武林において、このように掴まれることは、首をへし折られる前兆だ。
だが、彼女はただ俺を胸に抱き寄せただけだった。ミルクと、安い石鹸の匂いがした。
「静かね……」彼女は俺を揺らしながら囁いた。「お医者様が言っていたわ。マナ・ヴォイドのせいで、あなたにはあまり元気がないかもしれないって。でも心配しないで。ママが守ってあげるから」
俺は抵抗を止めた。
*(俺を守るだと?)*
彼女の腕を見た。細い。弱い。筋肉量ゼロ。マナの流れも淀んでいる。ゴブリン一匹でさえ、彼女を3秒で引き裂けるだろう。
それなのに彼女は、かつて目が合ったという理由だけでドラゴンと三日三晩戦ったこの俺を、「守る」と言っているのだ。
滑稽だ。
笑止千万だ。
だが……。
彼女から伝わってくる体温を感じた。
遠い記憶が脳裏をよぎる。血塗られた武林からではない。前世の、無機質で白い病室からの記憶だ。俺の母……ミナトの母。チューブに繋がれた俺の手を、彼女はこうして握っていた。よく泣いていた。あの感覚を、俺は忘れていた。
二度目の人生で、俺は悪魔になった。すべての絆を断ち切った。情愛など刃を鈍らせる弱点だと思っていた。俺は変わりすぎてしまった。
だが、この熱は……。
*(いいだろう)*
俺は冷徹に判断を下し、彼女の胸に目を閉じた。
*(お前は弱い。戦闘においては無価値だ。だが、熱源と栄養源としては機能する。そして……この感覚は悪くない。今は、この抱擁を許可してやる)*
俺は再び目を閉じ、呼吸に集中した。
「マナ・ヴォイド」による重圧が俺を押し潰そうとしている。重力が凄まじい。
普通の赤ん坊なら、ただ泣いて眠るだけだろう。
だが、俺は普通の赤ん坊ではない。
俺は**『亀の呼吸(玄武呼吸法)』**を開始した。
*5秒吸って。5秒止めて。5秒吐く。*
小さな肺が焼けるようだ。肋骨が痛む。象が胸に乗っている状態でストローで呼吸しているようだ。
だが、俺は無理やり続けた。
*(限界など認めない。俺はボトルネックを突破するために自爆した男だ。たかが重力ごときに止められてたまるか)*
母親が俺のリズミカルな呼吸に気づいた。
「あら? 寝ちゃったの、カイン?」
違うぞ、女。俺は修練中だ。降ろせ。
復讐を考える前に、まずはこの骨を硬化させねばならんのだ。
「おやすみ」
彼女は俺の額にキスをし、ベッドに戻した。
俺は彼女が出ていくのを待った。
部屋は静寂に包まれた。外で降る雨の音だけが響いている。
俺はカッ、と目を見開いた。
それはもはや、人間の赤子の瞳ではなかった。
肉体改造の凄まじい内圧により、瞳孔は充血し、毒々しいほどの**『深紅』**に輝いていた。
俺は自分の手を見た。小さく、むくんだ拳が、負荷に耐えきれず震えている。
俺はそれを握りしめた。山を動かすような重みを感じる。
(この世界がどうなっていようと知ったことか。王も魔王も関係ない。今の俺にとって最大の敵は、この重力だ)
ふぅーっ、と息を吐く。
冷え切った部屋の中で、俺の熱い吐息だけが白い蒸気となって立ち昇っていた。
**(オムツの中で死ぬなんてごめんだ。それだけは、俺のプライドが許さない一線だ)**
俺は再び目を閉じた。吸って。止めて。吐いて。
痛みはいい。痛みは、俺がまだ生きている証拠だ。




