生魚=猛毒!?
女神が去りし洞窟内には冷たい気配だけが残っていた。
手の中にあった包丁の焔は消え失せ、今は色を残すのみ。
俺は腰の包丁ケースにそれを戻した。
さっきも驚いたが、身に着けた覚えのないその美しい光沢の革のケース。でもそれはそこにあるのが当たり前であるかのように、したたかに照り輝いていた。
俺とグリューン、フィリナとエレノールはその場に座りこむ。
エレノールは鞄から出てきたミンミを抱えるようにして頭を撫でていた。
二人に自分がこの場所に辿り着いた経緯を語る。
自分が寿司職人で、包丁は師匠に託されたということ。
フィリナやエレノールもこの世界エリュハルトのついて、かいつまんで話してくれた。
自分がこの世界では、神の包丁といわれる神機の使い手で、星流人という存在だと言うのだ。説明されればされるほど、どこか現実味の薄い感覚がして、上を見上げて大きくため息をつく。
そこまで話して、ある事に気付いて声を上げる。
「ちょっと待ってくれ。俺達、いや……俺は何語を話しているんだ?」
意識せずに言葉が通じているから、今まで全く思い至らなかったが、どう考えても変だ。
エレノールが眉毛を寄せ、不思議そうに答える。
「トラジは会った時からファルナート王国公用語――つまりはフィーム語ね。ずっとそれを話しているわよ。あたし達からしたら全く違和感は感じなかったけど」
「相棒。洞窟から出る時にオイラが使っただろう。『情報処理』の異能だ。あれは神の包丁を介することで、この世界の言葉を理解して、話すことができる能力も含まれるのさ」
「おいおい……いったいこの包丁は、どれほどの能力を秘めているんだ」
俺は改めて、自分が持っている神機と呼ばれるものの規格外な力に、気が遠くなるかのような思いを抱いた。
するとフィリナが洞窟の入り口付近を気にしながら、言葉を吐きだす。
「外はもう大丈夫かしら。他のもの達の亡骸の平穏の為、せめて祈りたいの」
フィリナは胸の前で小さく祈るように組む。その時首から下がった小さなネックレスのようなものが見えた。それは蛇を首に巻いている女性の肖像。つまりは女神シャウザ・ニークを現したものだ。
俺は立て続けに起こっていることに頭の中が混ぜこぜになりながらも、自分の腹の虫が盛大な不平を上げるのをまた自覚してしまった。
「お、相棒。さっきの携帯食だけじゃ足りなかったんじゃねぇか」
俺はため息を付く。
かといって食べ物になりそうなものは、こんな洞窟の中にあるはずもない。
……いや、この感覚は?
『竿化』
グリューンが器用に指を鳴らしながら、そんな言葉を紡ぎ出した。
同時にケースに収まっていた焔刃は、ボンっと弾かれるように俺の手に戻り……刃が溶けるように変質していく。
柄が伸び、糸が張られ、その先にはきれいな色をした針。
手元にはリールのようなもの。
それは一本の釣り竿となっていた。
「ま、まさか!? 包丁が……釣り竿に! そ、そんな」
フィリナが目を丸くする。
エレノールの目がハート型に変化する。特徴的な耳が歓喜に跳ね上がるように上下した。
「包丁が変形するなんて! しかも変質率100%じゃない!? トラジ! あとでその神の包丁をじっくりと調べさせてよ」
「ちっちっち……エレノールやめときな。また解析不能と出るのがオチだぜ」
グリューンが人差し指を左右に振る。
エレノールが噛みつきそうな顔でグリューンを睨みつけ、フンっと横を向いてしまう。
「そいつは包丁が魔力によって変化した魔法の釣り竿だ! 寿司職人のトラジ、お前には似合いのアイテムだろ! その釣り針はお前の魔力によって魚を探し出し、釣り上げることができるのさ」
もう、ひとつひとつを驚いていても始まらない。
「これで釣りをしろっていうのか。そんなことするの小学生以来だな」
その時、俺の目に飛び込んでくる、ゲームのステータス画面のような表示。
泉の中に何かいる。
30センチくらいの――銀色の魚影。
すると釣り針が光を発し、スルスルスルっと糸が伸びた! 手元にあるリールが勢いよく回りだし針が勝手に糸を伸ばしていく感覚。
数秒も経たぬ間。
竿の先から何かを引っかけたような、小刻みな振動が両手に伝わる。
「よし! 今だ。トラジ!」
グリューンのその声に反応し、釣り竿をしならせリールを一気に巻いた。
確かな手応えと共に、なにか大きな物体が泉の中から飛び出してくる!
「これはいいぞ!」
ビチビチと勢いよく跳ねる、魚のようなもの。
口が横に割けていて、目が外側に飛び出している異様なものではあったが。
この世界で初めて見る『魚という食材』に興奮を隠しきれなかった。
「見事に釣り上げたな。次こそ相棒の腕の見せ所さ」
願うと、釣り竿は包丁の姿に瞬時に戻る。
そのまま、それを広い岩の上に乗せる。「まずは締めないとな」包丁をエラと思われる付け根に刺し入れる。
その時、フィリナとエレノールの顔が同時に引きつった。
「ま、まさか……」
「ちょっとトラジ! 魚を生でそのまま食べる気?」
二人の信じられないものを見るような視線。
「なんだろう、この魚が食えるという確信が包丁を通じて伝わってくるんだ。生魚を嫌いなのか二人とも」
俺の言葉に、エレノールが怒気をはらんだ声を上げる。
傍でミンミも抗議の鳴き声を上げていた。
「あんた知らないの! 生魚は猛毒なのよ! 世界の常識じゃない……星流人だかなんだか知らないけど、そういうのも知らないわけ?」
生魚が猛毒だって?
それはこの世界の特異的な常識に初めて触れた瞬間でもあったんだ。




