春の訪れ
茫然と俺は溶けつつある世界に倒れ込んだ。
空腹感が最大限に襲い掛かってくる。
(また気を失っちまうのか)
周囲の景色が色を失い、歪み始める。
ああ……このまま眠れたらさぞかし気持ちいいんだろうな。
ごぶっ……
何かが口の中に突っ込まれた。
もぐもぐ……うぐ。これはうっまいな。
強引にねじ込まれたそれを噛みくだき、味わい、匂いを嗅ぎ、そして飲み込んだ。
「トラジさん! 起きてください。皆で釣ったリールライのサンドイッチですよ!」
元気はつらつとした高いトーンの声。
ふさふさとした茶色の体毛が顔に触れて少しくすぐったい。
目を開けると、心配そうなケリーさんの顔があった。
「ぶはっ! 今ちょっと気を失っていただろ! っていうかケリーさん大丈夫なのか?」
目が覚めるように一気に身体を起こす。
その瞬間、起こそうと顔を近づけていたケリーさんと強かにおでこをぶつけ合ってしまう。
「何をやっているトラジ! 魔王レイカを退けたとはいえ、死んでる場合ではないぞ!」
そんな身も蓋もないことをないことを叫んでいるのは、もちろんベルガだ。
大斧を振りかぶり、最後の魔力をふり絞る。
気力で振り回しヒサメ軍残党のモンスターたちを切り裂いていく。
死んでる場合では無いってどんな言葉だ。もっと俺を労ってくれ。
『碧風の太刀』
小気味良いエレノールの声だ。
倒れているフィリナを守るようにして魔紋錬成。
周囲に襲い掛かる魔物たちを、空気が圧縮されたような刃を作り出し切り刻んでいる。
「トラジ。死ぬなんて許さないんだから! あたしの魔力追及の熱情はあんたを天上まで追いかけていくからね」
怖すぎるぞ。エレノール……
しかもそれって俺に対してではなくて、手の中にある神機に対してだろ。
どいつもこいつも!
「ひひひ。相棒、慕われているようじゃねぇか」
グリューンのニンマリした口調。
そして俺の足元には倒れている氷雨兄さん。
息はしている。死んではいない。
気を失っているだけだ。
ホッとするのも束の間。魔物たちの唸り声が周囲から聞こえ、ハッと包丁を構えなおす。
「ケリーさん! 氷雨兄さんを頼む。俺はその人すら救いたいんだ」
「分かりました! と、とりあえず全力で守りますね!」
自分の腰の剣を引き抜き、ケリーさんは俺と背中合わせになる。
腹具合は半分程度くらいしか回復してないけど、これならなんとかいけるだろう。
『焔化』
焔刃が爆ぜた。
その焔が明るく、だが確実にこの世界に春の訪れを照らし出すようだった。
✛ ✛ ✛
既に戦況はあらかた決していたと言っても過言では無かった。
王国騎士団一番隊がその後ラベルク戦線に加わり、更に形勢は勝利に導かれた。
特に一番隊先頭に立つ、空を貫くような赤髪の男。
王国騎士団団長ジルベニスタ。
確か、ベルガの養子だと言っていた。
彼が腰から切り裂くような魔力を発する小剣を抜き放ち、周囲の魔族たちを突き倒していくさまは圧巻だった。
「凛とした風の精霊力を感じる。かの有名な『シルフィ・ソーン』ね。風の精霊の名を冠した優美な魔道具。噂にたがわぬ業物ね……素敵」
誰の言葉かはもう語る必要は無いだろう。
風を感じるようにしてフィリナが起き上がった。
まだよく状況が呑み込めていないようで、頭を押さえたところをエレノールが支える。
「わたしいったい……」
黄金色だった瞳が、いつもの茶色に戻っている。
女神シャウザ・ニークはいずこかへとまだ戻っていったのだろう。
フィリナに寄り添うように座り込んでいたホワイトドラゴン――エーデルヴァイスが呼吸を整えるように頷き、大きな羽を広げた。
『シャウザ様は去ったようだな。我はもう行く。ドラゴンと人が長くいるものではない。さらばだ』
羽ばたくとその風圧で吹き飛ばされそうになる。
次の瞬間、エーデルヴァイスは一気に上空に飛び上がった。
『また逢おう。それまで竜炎の縁が続くことを願っているぞ』
俺達はエレノールの白き翼が聖なる山に向かって飛び去って行くのをいつまでも見送っていた。
「魔王配下ヒサメ。神機凍凪を没収し、王国へ連行する」
俺の横で魔力を使い果たし力なく横たわっている氷雨兄さん。
抵抗する気はない様子で、団長であるジルベニスタの指示のもと、王国騎士団数名に厳重に囲まれ、後ろ手に縛りあげ連行されていく。
仕方ないことではあるが、どこかやるせない気持ちが先立ち、目を合わせることができない。
その時連行されていこうとした兄さんの歩みが止まり、俺に振り向いた。
騎士団に緊張が走る。
ジルベニスタ団長が腰の魔剣に手を掛けるのが目に端に映った。
「トラジ。今回はわたしの完敗です。だが、まだ諦めませんよ。いつか私の方が上だと示して見せましょう」
兄さんの瞳の中にはまだたどたどしい光が見え隠れする。それは陰りはあるがどこかスッキリとしたものとして感じられた。
「これからの奴の処遇を考えると頭が痛いな。魔王に魅入られていたとはいえ、神の包丁の使い手という事実は消えん。無暗に消せば貴重な神機が使い手を失い無力化してしまう。それは避けたいと考えるのではないかな」
これはもちろんベルガの言葉だ。
兄さんが王都に連れていかれる。
俺はどうすればいい。
ラベルク村でのこの戦いが終わり、次に自分はどうすればいいのか
俺は旅の軌跡を思い出しながら、頭の中で今後の方向性について想いを馳せていたんだ。




