ヒサメ
フィリナ視点が続きます。
倒れた黒髪の青年の背中から這い出すように出てきたのは、奇妙な服を着たトカゲ。
そういえば青年の肩に乗りながら、ぎゃいぎゃいと騒ぎ立てていた。
やけに真っ黒い眼鏡がずれて外れかけている。
それがサングラスというのだとは、後でトラジに教えてもらった。
「使い魔なのかな? 使い魔が王国共通語を喋るなんて。うそ!」
エレノールが驚くのも無理はない。使い魔と聞いて、彼女のカバンの中からミンミが興味深げに顔を出した。
わたしだって信じられない。
使い魔は術者と意思疎通はできるけど、他の人と言葉を交わすことは不可能。それは小さい頃、教会の初等科で習ったこと。
「まさか、魔族! 魔王レイカの眷属じゃないわよね」
エレノールの言葉に、両手の拳に力が自然と入ってしまう。
いずこから現れ、エリュハルトを少しずつ浸食し始めている紫の髪色の少年。
レイカ・ヴィルカス。
それが恐怖とどこまでも続く深淵の名を冠した、魔王の名前だった。
「ま、魔王? をいをい、そんな物騒なもんじゃねぇよ! 相棒のマスコット兼、胃袋警報装置ってところだ!」
「胃袋警報装置?」
不信感たっぷりの目線を一身に集めているトカゲ。
「どこからどう見てもトカゲね。トカゲにしてはだいぶ大きいけど」
それが変な派手な服を着て、大袈裟な立ち回りで話しかけてくる。
ふてぶてしいという言葉がぴったりと合う。
腕組みをしながら睨みつけるわたしと、面白そうに目を光らせるエレノール。
「オイラはトカゲなんかじゃない! 神の包丁から生み出されし高次生命体ってやつさ! 名前はグリューン・ヒエン。覚えておけぇ!!」
その小さな胸を精一杯突き出した姿に、エレノールがたまらず噴き出す。
ミンミが主の笑った声にビクッと反応を示した。
わたしも目を丸くして、全身の緊張が解ける。
そのままもう一度、倒れている黒髪の青年に意識を戻す。
「まっさか、気を失ってるトラジから神器を奪うなんて、そんな野蛮なことしねぇよな?」
グリューンの声に小さくうなづく。
エレノールは目を逸らすようにして、両手を上に向かって広げる。
雪の冷気の中でも、焔刃の光はまだ淡く明滅していた。
きらめく鼓動のように。
「……ん……んん」
トラジと呼ばれた青年が目を覚まそうとしていた。
ボーっとした、まだまどろみの中にいるとでもいうような。
くっきりとした茶色い瞳が印象的。
年は同じくらいなのかもしれない。
「腹が……」
腹が? 腹がどうしたんだろう。
どこか、さっきのケイブベアとの戦いで傷を負ったかもしれない。
心配をよそに――彼、トラジは一気に身体を起こして大声で叫んだ!
「腹が減った!!! なんか食わせてくれ!」
起き上がるなり、予想外の一言を放った。
目が点になる。
グリューンが彼の肩に飛び乗り、意気揚々と口上を述べる。
「相棒! 低血糖とMP不足だ。まずは座れぇ、静まれぇ!」
「グリューン。さっきからお前のテンションは一体何なんだ。いきなりこんな訳のわからない世界に飛び込んで、殆ど説明すらない俺の気持を考えろ! ってか、なんでこんなにいきなり腹が減っているんだ!」
目が回りそうになる。
星流人って、もっとこう厳かというか、カリスマ性というか。
そういったイメージを持っていたのに。
その時、遠くの山々が鳴るような音が響き渡った。
ギャアアアアアアアアアア――!!
耳をつんざく咆哮。
これはホワイトドラゴン!
白き凍りの息を吐き出し、周囲を雪原と化してしまう、魔王眷属の竜。
地面が震え、雪が崩れ落ちる。
エレノールが瞳を唸らせ、顔を上げた。
「ヤバい。あの猛々しい凍りの魔力! ヒサメだよ!」
「凍りの魔導具使い! あれが……確かにほとばしる魔力を感じる」
「半年ほど前に突然現れた魔王の配下のひとり、この地域を寒冷化させた力! はわわぁ……あっちの魔力も素敵」
敵だっていうのに、エレノールは魔力というものに対する頓着がまるでない。
突然トラジがエレノールの真紅のローブを掴み、その細い体を揺さぶった。
「今、ヒサメって言わなかったか? なんで兄さんの名前が……」
トラジの顔からは明らかに血の気が引いている。
でも今は、それに構っている暇はない。
ヒサメに見つかれば、今のわたしたちでは一瞬で全滅の憂き目に合う。
即座に判断を下す。
「神託の洞窟の中へ! ヒサメに見つかる前に駆けこまないと!」
エレノールが頷きトラジの腕を取り、三人と一匹は洞窟の奥へと走った。
だんだんと強くなっていく雪の向こうで、巨大な白い影が空を覆う。
逃げていくわたしの瞳の端に白いドラゴンが映り、それが大きく口を開けたのがはっきと見えた。
口内から迸る光線のような竜の息吹によって、ビキビキと地面が凍り付いた。
焔と凍り。
それは、いずれ再会を果たす、運命の兄弟弟子同士の衝突を予感させるものだった。
次回でフィリナ視点は終り、トラジ視点に戻ります。
もう少し彼女の視点からエリュハルトをお楽しみください。




