エーデルヴァイス
「星流人トラジよ。礼を言わねばなるまい」
地の底から伝わってくるかのような穏やかな声。それはひとつの凍てつきし物語の終わりを意味していた。
「礼を言われるようなことは何もしてない。俺はただ、師匠の言葉を信じて兄を救いたいと願っただけだ。その道中に皆の苦しみがあって拾い上げて行ったら、ここまで事がでかくなったってだけだよ」
頭に手をやり、照れ隠しにうそぶいた。
「ふふふ。創元様とシャウザに選ばれただけはあるね。粋なことを言うもんだ。オイラは一気にトラジのファンになっちゃったんだから」
きゅるんきゅるん。
目を潤ませながら、羽をきらめかせ火口の中を所狭しと飛び回るニルフ。
全く神の化身ということが信じられない。
ホワイトドラゴンが真剣な表情になり、言葉を紡ぐ。
「我々は元々この地における氏神のような存在だ。それに目を付けたのは奴……魔王レイカだ。まるで弄ばれるかのように我とニルフを縫い付けた力。必死に抗ったのだが手も足も出なかったのだ」
「オイラも怖かったよ。あいつの力は単に強いという感じじゃない。何かもっと底無し沼にはまって抜けれないような、そんな感じがしたよ」
俺は、今自分に語り掛けてきた魔王の残滓とも言うべき会話を全員に話す。
長い沈黙がその場を支配する。
特に奴の力を目の当たりにしているベルガの眉間のしわが海溝よりも深く険しさを増す。
手の震えにフィリナが両手を重ねる。
エレノールが何かを振り払うように夜空を見上げる。それは自らの立ち位置から来る迷いか。
「ワシは追いかけねばならん。魔王レイカはお前に興味を持ったという事だ。いずれトラジの前に必ず現れる。ワシはお前と共にいるぞ! 絶対に決着をつけてくれるわ」
もうそこには以前のような畏れは感じられない。
白い体躯に宿る魔力の源は、覇気と勇気。大斧がベルガの気力に呼応し震える。
「なんだか悩んでいるのがバカバカしくなっちゃった。政治とか駆け引きとかもうどうでもいいわ。あたしはあたし。トラジの魔力の傍に居たいのよ。こんな気持ちになるなんて思いもしなかったわ。やだやだ、あたしもヤキが回ったのかなー」
「ふふふ。エレノールも焔刃の焔に焼かれたのね。わたしも一緒よ。女神とともに現れたトラジの焔を見た時からこうなることは定めだったのかもしれない」
フィリナの信頼の光が心に更なる焔を宿す。
エレノールの諦めに似た顔。なにかを振り切るように俺――というよりは焔刃の焔に視線を交わらせる。
羽に光を纏わせながら焔刃を指差し、ニルフは歌うようにつぶやいた。
『トラジの持っている包丁さ。その包丁たちの存在が、エリュハルトでは様々な出来事を引き起こすんだ。良いことも悪しきこともね! オイラにはトラジの持っている包丁の真の名は……まだ言えないんだ。ごめんね。これは世界の理に引っ掛かるからさ』
肩に乗っていたグリューンがわざとらしく口笛を吹く。
それは言わないのではなく言えないということ。
別にそれでいいと俺は思う。知るために異世界に降り立ったわけじゃない。
師匠の想いが自分の中で昇華されつつあることをひしひしと感じていた。
ニルフの言葉に、ホワイトドラゴンが話を繋げる。
『我々、古きもの達と名付けられた存在は語れることが限られているのだ。許してくれ。我々も様々な因果に縛られている。決して自由ではない』
俺はホワイトドラゴンに向かってにこやかに頷いた。
「よく分からねぇが、今は語れないってことなんだろ? いつか教えてくれればいいさ。定めとか理とか、なんか面倒くさいからな。もっとお互い気楽に生きようぜ!」
ホワイトドラゴンが一瞬、その予想外の言葉に戸惑った。
その瞬間あたりの壁を揺らすように大きく笑いだす。
『ハハハハハ! お主の心地良い真っ青で純粋な魔力を感じると、我の気持ちまでなにか軽くなるようなそんな気がするわ。さぁ、ヒサメの元に行くのであろう。もう我とニルフを縛る枷は外れたのだ。ここからは我が意志で焔刃の使い手に加勢をする時だ』
ホワイトドラゴンの背に畳まれていた優雅な二枚の翼……片方で3メートルはあるその大きな翼をゆるりと広げると、大きく羽ばたく。
その風圧に俺たちは吹き飛ばされそうになる。
「ホワイトドラゴンと共になんて……うそ! 古きものたちは不干渉がこの世の常と聞いていたわ」
フィリナの目がひっくり返りそうになっているのはもう慣れっこだ。
ベルガは落ち着き払う。
エレノールは次の興味に碧の瞳を輝かせる。
「そうだな、行こう。ホワイトドラゴン……待ってくれ、まだ名前を聞いてなかったじゃないか。なんて呼べばいいんだ」
『――エーデルヴァイス。ドラゴンの言葉で『美しき尾』という意味だ。真名は明かせぬ』
ふさふさとした触り心地の好い白い毛並み。
そういえば、そんな竜に乗って冒険する映画が昔あったなぁと今更ながらに思い出す。
隣では別れを惜しむようにグリューンとニルフが抱き合う。
それは神代の時代を生きた二人の友情の証を見るかのようだ。
俺に続き、ベルガ、フィリナ。最後にエレノールが子供の様な無邪気な顔をしてリグナムの背に乗り込む。
『一気に飛ぶぞ。振り落とされんようにしっかりと掴まっておくのだ』
次の瞬間、俺達は聖なる山の遥か上空。
吹きすさぶ凍てつく風の舞う、ラベルク山脈を見下ろしていることに気付いた。




