魔王の思念
光の剣を振り下ろした瞬間、手応えとしては何か固いものや大きなものを切ったという認識はなかった。
空間を切り裂いたかのような。
大きな繋がりを断ち切ったというでもいう感覚。
全身から一気に魔力がずるっと抜け落ちて、絞り出された魔力が包丁に吸い取れる感じだ。すぐに大きな倦怠感が俺の五感を支配した。
「ぐ……腹が、一気に減った」
腹減らしバロメーター、つまりはMPの残存が一気に残り少なくなる感覚には未だ慣れない。それぐらいの大量の魔力が消費されたことになる。
うずくまるようにして片膝をついたその時、自分の頭の中にゆるりと入りこんでくるような蛇のような何者かの思念を感じた。
それは強烈に黒く禍々しいが、どこか不安定な要素を称えるたゆたう水のごとき少年の声だった。
『素晴らしいよ。まさかボクの逆撫でし力を握り直すことができるなんて。これは愉しめそうだね』
愉悦にも似た、水面が泡立つように静かに揺れ動くかと思われる邪悪なる波動。
俺はすぐにその正体が分かった。
まだ見たこともない、会った事もない。それでも。
魔王レイカ。
エリュハルトを全く別の次元の彼方へ誘おうと企む闇の王。
『そう急かせないでよ。まだ時は満ちていないんだからさ。ボクがせっかく蒔いた種が段々と芽吹いてくるから……じっと終わりが始まることを待つのもメンドクサイなって思っていたんだけどね』
くくく。
ここではない、遥か遠くより伝わってくる余熱のようなもの。
笑う。嗤う。哂う。
この世界の生きとし生きるものを嘲笑してるかのようだ。
純粋そのものの、だが混じり気がないが故にそれはたちが悪い。
「俺は師匠から託されたんだ。希望を、絆を、誰か信じる心を……自分のちっぽけな腕に込めて、笑顔が意味のある世界になるようにって。誰かを幸せにするんだって。それが俺の寿司を握る原点だ。お前は何がしたいんだ魔王!」
手の中で自分の中の生きる証と化している焔刃。
覚悟とともに勢いよく燃え上がる。
「彼とよく似ている。それだけに不快だよ――すぐに逢えるよ。トラジと言ったね。まだまだだよ。これからボクの遊びに付き合ってもらうから。ゆるりと終わりまで愉しもうじゃないか」
紫色の長い髪。虚空に広がる昏き輝きを誇るそれは、視るものには優雅に映る。
儚げな少年。
しかしその姿には全ての虚無が詰まっている。
俺は握りしめた焔刃を引き抜き、思考の残滓に向け横に薙ぎ払った。
その力に陶酔したような表情を浮かべると、彼の思考は頭の中から四散する。
「トラジ。大丈夫か」
ベルガのふさふさと真っ白な毛に覆われた腕が肩に置かれた感覚。
大きく息を吐き出す。
視線を異形より戻すと、頭を激しく振る。悪夢から覚めたかのように。
頭を上げた先、心配そうに見つめるフィリナと警戒したような視線を投げかけるエレノール。その後ろには白い体毛を生やした巨大な前足、鋭い爪が見えた。
ホワイトドラゴン。
どうやらうまくいったようだな。
『おぬしのお陰で我とニルフの枷は外れた。手間を掛けさせてしまったな』
壮言な声が俺の耳に届いた。あの苦しみに塗れた辛そうな声とは違う穏やかな波動。
「まーったく。あたしの活躍を全部奪われたような気分よ。この手に負えない魔力バカを一発殴ってやろうかしら」
ツンとした表情で肩に乗ったミンミを撫でながら横を向くエレノール。
「いや、お前の魔導があってこそだ。あれが無かったら、今俺たちがこの場に笑いあって生き残っている事は無かったさ」
本心で告げる。エレノールは耳まで真っ赤にして腕を組む。
フィリナが優しげに彼女を抱きしめていた。
そんな俺の目に淡い姿を持つ、小さな羽の生えた丸っこいボディの男の子の姿が飛び込んできた!
『ありがとうトラジ! 助けてくれて嬉しいよ。これでこの地に春を呼び起こすことができるんだ! 双神カートル・ニルフの化身としてようやく役目を果たすことができるってわけさ』
双神カートル・ニルフの化身と自ら言ったニルフ。俺はその丸っこいボディを見ながらゆくりと頷いた。その言葉を聞いて悲鳴に似た声を上げたのは他の三人。
「双神カートル・ニルフって言ったの! 春の精霊っていうから関係があるのかと思ったけれど、まさか化身だったなんて!!」
特にフィリナが目を真ん丸にして驚く表情がなんともかわいい。
俺が大笑いする中、グリューンは何を今更と言いたげにため息をついた。
それとほぼ同時であった。
身を削ぐような冷気が地面より放たれる。
神の包丁――凍凪。
宙に浮かび上がる、凍りの結晶に纏われしその鋭い刃。
ラベルク山脈における寒冷化の直接の元凶。
しかし、その神々しいような姿にその場にいる誰もが一瞬見惚れるように呆けた。
爆発した。
まるで飛行機が飛び立つ瞬間のような音が火口内を支配した。
耳を塞ぎ、その轟音に耐える。
ジェット噴射をするかのような軌跡。
その場から自らが求める主の元に飛び立つ使い魔のように、あっという間に飛び去っていく。
「氷雨兄さんの元に! やはり決着をつけなければならないんだな」




