春の精霊ニルフ
「ちょっとグリューン! 春の精霊ニルフに直接会ったことあるわけ!?」
エレノールの驚きを隠せない声が雪原に響き渡る。
慌てて俺とベルガで彼女の口を塞ぐ。
うぐうぐと、それでもエレノールが抑えられた手の中で何かを叫んでいる。
グリューンの「しまった」とでも言いたげな表情。自分の両手で口を隠すようにしてニヤッと笑った。
その間も精霊の声は段々と大きくなり、耳の奥に響き渡るほどになってきていた。
『懐かしい匂いがするよ。これは、創元様の薫りだ』
今度ははっきりとそう聞こえた。
途端、目の前にぼんやりと小さな羽を生やした男の子のような姿が浮かび上がってきた。大きな目がくりくりと良く動き、俺達4人を興味深げに眺めている。
ベルガは顎が外れそうなほど大口を開けて驚いている。フィリナはその場にひざまずき、両手を組み一心に祈りを捧げる。エレノールの緑色の瞳がキリキリと精霊を見つめた。
『わぁ……焔刃がエリュハルトに戻ってきてるなんて。久しぶりに見たよ、なつかしいね。グリューンにも逢えて嬉しいよ』
きゅるんきゅるんと、何か金ぴかの鱗粉のようなものを背中の羽根から出しながら、くるくると器用に回る。
間違いない。この男の子みたいな存在が春の精霊ニルフ。
しかしこの場に実際は存在していないような、そんな不安定さを感じる。
どこか遠くから映像と音声だけを飛ばしているかのようだ。
「へへ。オイラも久しぶりに逢えて嬉しいぜ。もうどれぐらい振りか忘れちまったなぁ」
グリューンが嬉しそうに春の精霊と話している。
それは遠き悠久の日を経て、再会した双子の兄弟のようだ。
「焔刃の使い手……そう、トラジと言うんだね」
ぐぐぐっと俺の目の前に、まるでアイドルにかぶりついて見るかのようににじり寄ってくる。その姿は半ば透き通り、やはりこの場に居るものとは思えない。
「トラジ、僕たちを助けてくれる? この洞窟の先で、ヒサメの持つ神の包丁『凍凪』の暴走によって、僕と竜が括られてしまっているんだ」
俺達は互いの顔を見合わせる。
神の包丁『凍凪』と言った。精霊と竜が括られているだって?
「精霊ニルフよ。神の包丁と言ったか! 伝説の七包丁のうちのひとつ、凍りの神器『凍凪』も存在しているというのか」
「魔道具の暴走だと思っていたんだけど。もしかして……神の包丁の暴走だというの! それって……やばくない?」
フィリナは黙って祈り続ける。
俺は突然の洪水のような情報の流れに、頭が全くついていっていない。
「ヒサメさん……兄さんも神の包丁を?」
事実を確かめるように自分の口から出た言葉。
それはまさかという思いもあったが、それ以外にも理由があった。
転生直前、燃え盛る蔵の中で焔刃を見つけた時に何があったか鮮明に思い出した。
――そうだよ。箱がもう一つなかったか!
「ヒサメは魔王レイカに魅入られたんだ。神の包丁は逆化されてしまった。ああなっては元を断たなければ、どうにもならないんだ」
精霊は控えめに言ったんだろう。
おそらくはこちらを気遣って。
パタパタと足元から擦り寄り俺を見上げた。
「女神シャウザ・ニークよ。我らに導きを。かの者ヒサメの為に祈らんことを」
フィリナが祈り続ける。
俺はその傍で立ち尽くし、必死に春の精霊の放った言葉を頭の中で整理していた。
(女神様よ。俺に教えてくれよ、どうしてこうなったんだ。いや、迷っている場合じゃない。兄さんを止めないといけないんだ。なんとしても!)
手の中に握られている焔刃。
俺の心の中に灯る激しくも揺るぎない決意を感じ取り、呼応するように激しく燃え上がる。それは雪のような迷いを溶かし、真実の焔へと誘うようだ。
『洞窟の奥に君たちの求めるものもあるから……待っているよトラジ』
そう春の精霊は言い残すと、空気に溶け込むように雲散霧消した。
後にはただ、春のような息吹の匂いがその場に残るのみ。
「まさか、春の精霊に出会えるとはな。長く生きてみるもんだ」
ベルガの述懐を鼻で笑うエレノール。
「長く生きた合戦ならエルフに軍配ね! 獣人ごときが敵う訳がないわ」
「そこをこだわるのかエレノール!」
俺は頭を抱えた。
よく分からない事で言い争っている二人は放置することにする。
フィリナが祈りから立ち上がる。
「ヒサメすら魔王レイカに利用されていただけなんて。ベルガのことといい、わたしは絶対に魔王レイカを許さない」
艶やかな二重の瞳の中に真っ直ぐな断罪の色が宿る。
フィリナの強い正義感。
それは神官と言う職業故か、それとも。
「女神さまが一番許さないって言っているさ。そして俺もフィリナの気持ちに賛成だ」
創元師匠。氷雨兄さん。
異世界であるエリュハルトに誘った鳳凰ホムラ。
そして、今この手の中にある焔刃。
「よし。全てまとめて握り直しちまおう! そして春を呼び戻すんだ」




