聖なる山に向けて
聖なる山。それはラベルク山脈に連なる大きな峯の名称。
「毎年春の精霊が訪れ、その精霊の息吹により温暖な気候が保たれていると聞いていたが、それもヒサメの持つ暴走した魔道具のために力を歪められているのだろう」
「そ、そうなんだ……うわっ!」
俺はものすごいスピードで走る山羊の背から振り落とされないようにと、必死にベルガにしがみつきのが精一杯だった。
「ふふふ。神の包丁の使い手も全てに秀でているわけでは無いのだな。少し安心した」
そう勝手に納得すると、ベルガはガハハと豪快に笑う。
「ふ、ふざけるな! 神の包丁だか、星流人だかなんだか言われるけど、き、基本的にはただの寿司職人なんだぞ!」
「その割にはかなり剣術に長けているではないか。我らが扱うような剣の使い方とは根本的に違うようにも思えるがな」
日本でいうところの剣道と西洋の剣の扱い方は違う。今それを説明したところでどうしようもないんだけど。
俺は舌を嚙まないように喋ることに労力の大部分を使ってしまっていた。
そんなベルガはケリーさんから渡されていた簡易な皮鎧のようなものを着て、その上から寒さをしのぐための革の分厚いコートを羽織っていた。
俺が、金属製の鎧は装備しないのかと、地球でのゲーム知識を持ちだすとベルガは大げさに笑った。「この寒さの中でそんなものを着たら、凍傷に掛かってしまうぞ」と。それに金属製の鎧の防御力自体はかなりあるが、極端に重いので普段使いには全く向かないとのこと。そういうものなのか!
「もともと獣人用の金属製の鎧はあまり出回らない。ワシもそうだが、獣人全般の特性としては装備で防御を固めるより、素早く動いたり、攻撃を避ける事に重点をおくのだ」
金属製の鎧を好むのは主にフィーム族だな。そう言ってニヤリと笑うベルガはやっぱり歴戦の戦士だなと思った。
ちなみに俺とフィリナは騎士団支部の中にあった、ぶ厚いコートを貰って着ていた。何日も同じ服を着ているのが段々嫌になったので、ベルガに相談したら支部の中にあった騎士団用の簡素な衣類を渡してくれたのだ。俺がこの世界に来た時に着ていたダウンジャケットは、リュックの中に丸まって入っている。
もちろんエレノールはいつもの魔導師用の分厚い真紅のローブを羽織っている。
グリューンは俺のコートの中に包まり、首だけ外に出して雪景色を楽しそうに眺めている。こんな時こそ包丁に戻ればいいんじゃないのかと思うが、特にはツッコミをするのはやめておいた。
「もう少し行くと野営の出来そうな洞窟がある! 少し小休止としようではないか」
さすが旅慣れているようで、端々で的確な指示を出してくれている。ほんと頼りになるなこの人。始めの印象とはだいぶ違うんだよな。
ベルガが手で大きく合図を出す。
それを見るとフィリナやエレノールの乗っているヤギが近づいてきて、ベルガと俺の乗った山羊に並走するように速度を落とし始める。
洞窟内に山羊を止め、野営の準備をし始める。
外は雪が降りしきり、通常だと寒さで凍えてしまうような状況。
薪になりそうなものはもちろんないのだが、そこは焔刃が強引に解決してくれる。
「まったく、魔導師の役割を全部奪い取ってくれるわね、その神の包丁ってさ。あたしは楽でいいんだけど、なんだか素直に喜べないって言うかさ」
暖かくなるための『保温』の魔法を使えば焚火は特に要らない。
もちろん腹具合というMP配分に気を配らなければならないのだけれども。
ベルガがビスケットのような携帯食を出してきてくれる。「干し肉はあるがまだ取っておこうか」ニヤリと笑うと、愛嬌のある口元の白い髭が静かに揺れた。
もそもそとそれを食べながら、鈍く燻るように燃えている焔刃を中央に置く。
毛布に包まる4人と1匹。
「相棒。この携帯食っては味気ないなぁ。包丁の能力でなんとかできないのか」
そんなことを言っているのはグリューンだ。
俺の服に包まり、不味そうに携帯食を噛み砕いている。
「確かにそれはあるよな。もう少し旅を楽しめるようなものに変えたいんだよな」
俺は自分の荷物の中に入っている秘策を思い浮かべニヤリと笑みを浮かべた。
焔刃の焔や『保温』の魔法があるとはいえ、冷えを完全に防ぐことはできない。俺のMP問題があるからな。フィリナが寒さで毛布を肩まで上げている。
「また異世界の知識なのね。聞いているとトラジのいた世界はすごく過ごしやすそうな理想郷に聞こえてくるわ」
フィリナが光る焔刃を見つめながら、俺の独り言に応えている。
「そうでもないさ。どんな場所でも百点満点なんてことは無いだろうしな」
俺はふと思っていたことをフィリナに尋ねてみようと思った。それは心の中に引っ掛かっていた彼女に対する疑問だ。
「フィリナは教会の師匠に言われて、神の包丁を見つけに来たんだよな。それで騎士団に協力することにした。でもそれって師匠の意志に反するんじゃないのか」
喉に突き刺さった小骨を抜き取るような質問。
フィリナは少し考えているようだ。エレノールが壁に寄りかかりミンミの頭を撫でている。
「ワシも少し気にはなっていた。こうやって協力してくれるのは正直有難いが、グラーチス殿の密命とはズレてきているのではないか」
ベルガは元々グラーチスと知り合いだと言っていたな。その上でフィリナに頼まれ焔刃を探す兵を貸し与えたわけだ。結果、ケイブベアに襲われて兵は失ってしまったけれども、焔刃を持つ星流人である自分を発見した。
「無理に話す必要はない。どのような理由であれ、この危険な任務に同行してくれていることに変わりはない。冒険者の不文律だ。『仲間の技量を信じろ。下手に詮索するな』ってなぁ」
ベルガの年の功というべきか。
仲間に対する気遣いや、声の掛け方。
畏れから解放された彼からは、隊長らしい振る舞いや所作が見えて、培ってきた経験や知識が体から溢れてくるようだ。
ベルガの言うことは尤もだ、だけど。
俺はフィリナと……そしてエレノールにも。
この場の空気を借りて、少し腹を割って話したいと思い始めていた。




