そしてエリュハルトへ
火事に巻き込まれた虎次。
見つけた包丁に、彼の逃れられぬ運命が映えるように重なる。
そして……異世界転生へ!
入ってきた両開きの扉の間から赤い光が見えた。
「火!? 火事なのか!」
焦るようにして扉に身体をぶつけ、前の部屋に転がり戻る。
しかし飛び込んだ先はすでに火の海だった。
荒れ狂う炎が勢いを増し、天井付近まで到達している。蔵の中全体に明らかな灯油の臭いが混じっていた。
その時、蔵の外から聞こえた兄弟子――氷雨古廐の声。
「海棠寅次……お前さえいなければ!」
「兄さん! なんでこんなことを! 俺よりも技術が上だったあんたがどうして!」
「師匠の教えは、わたしの『技術』でこそ完成するのです! お前の『心』では師匠の教えは体現できません!!」
長い白く染めた髪。切れ長の一重の冷たいまなざし。寒気がするような空気をまとう異質な印象が頭に思い出された。
それでも、二番弟子の俺を『弟』と呼んで、優しい笑みや言葉をかけてくれた。それがどうして。
「ゴホッ! ゴホゴホゴホ!」
気を抜いた一瞬で、大量の黒い煙を吸い込んでしまった。黒い煙は肺の中を駆け巡り、頭がボーっとしてきた。
その場でがっくりと膝をついた。両手がしびれ、激しい頭痛が襲ってきている。目がかすみ、段々と周囲が暗くなっていく。
そのまま崩れ落ちるように体を横たわらせる……
✛ ✛ ✛
やっとここまでの経緯を思い出した。
(兄さんが火を放った! その火事に巻き込まれて俺は死んだ……)
目の前には先ほどの鳳凰が炎を羽ばたかせている。
その炎は焼き殺そうというような害意をまったく感じられない。むしろ慈愛や神の御心といった類のものであるかのような印象だ。
『私はこの神の包丁に込められし想い。始まりと終わりを司る、銘を焔刃。ホムラと呼んでいただいて問題ありません』
ゆらり……と炎の翼が躍るかのように揺れる。
ホムラと名乗った鳳凰の言葉を頭の中で、何度も何度も噛み砕くように確かめる。
しかし目の前に起こっている事象を認めようとしても、常識という壁をなかなか飛び越えることはできない。
『私は死にゆくあなたの魂を包み込んで、神の包丁の力の一端である再生の異能を最大限に使用します。そうする事であなたのこちらの世界での命は尽きてしまいますが、代わりに異世界にて転生することが可能となるのです』
どこかで聞いたことのあるフレーズだ。
異世界転生という、映画やファンタジーの中の言葉。
(これは夢なのか、いやそれにしてはあまりにも生々しい)
自分の頬を真っ赤になるぐらいに摘まみあげる。
その痛みに顔を歪め、改めてこの場で起こっている事の異常さを噛みしめる。
『創元様があなたに私を取りに行かせたことは偶然ではありません。しかしあなたが焼け死んでしまう事は想定外でした。起こってしまったことはどうしようもありません』
鳳凰ホムラに冷静に現実を突きつけられる。
「そうだよ! 師匠との約束はどうなるんだ?」
俺の手を握り返した弱々しい手のぬくもり。
どんなことになろうとも寿司を握れと言った、創元師匠の魂の籠った叫び。
悲しそうな表情をうかべるホムラ。その表情からどうにもならないこと、自分が死にゆく定めにあることを悟った。
「それじゃあ師匠は……俺が異世界に転生するって事を望んでいたのか」
ホムラは大きくため息をついて、こちらをもう一度見つめた。
『そうです。私のことを創元様は知っています。私も創元様と共にあるように創られし存在です』
その瞳には、悲しみと希望の両方が宿っていた。
「創元様は神の包丁を創りあげた。それは理を超え人を救う刃。しかし、その刃は世界を壊すほどの力を秘めていた。創元様はそれを封印し継承者を選んだのです――あなた、トラジを」
「そんな。俺はただ、寿司が好きで――」
ホムラが少しだけ微笑む。
「その好きという心が人を救うのかもしれません。けれど創元様はもう、転生の力を使い果たしてしまった。本来この使命は彼に与えられたもの。私はあなたを送るだけで精いっぱいでしょう」
視界が炎で揺らぐ。
ホムラと視線を交わす。それは長い――いや、時間にして30秒ほどであったのかもしれない。俺の頬を涙が伝う。拳を喰いこむほど握りしめる。
覚悟を決める。小さく頷く。
「惑星エリュハルトへ。そこは理が崩れかけた世界。寿司という調和の象徴が、再び世界をつなぐ鍵となるでしょう」
「師匠はどうなるんだ……兄さんは!」
「この世界はもう焼け落ちる。でも虎次、あなたの中の『銘』はまだ消えていない」
炎が紅く脈打ち、色鮮やかな羽のように広がった。
その時、ホムラが俺の肩に向かって目配せをした。
突然現れるサングラスをかけ燕尾服を着た、どこかユーモラスなトカゲ。
『オイラはグリューン。グリューン・ヒエンだ。行くぜ、相棒』
小さなトカゲはそう名乗った。両足でしっかりと肩の上に立ち、サングラスを何度も指で弾いている。
『オイラがこれからずっと一緒だ』
炎が世界を覆った。視界が白く反転する。
蔵も、兄弟子の叫びも、すべてが音もなく燃え尽きた。
そして、次に目を開けたとき。
トラジは見知らぬ洞窟の中に立っていた。
赤い焔を纏った包丁が、静かに呼吸している。
世界は、もう別のものになっていた。
これより、海棠虎次ことトラジと、彼の持つ『神の包丁』による冒険譚が始まる。
この後冒頭1話目、【焔刃】のエピソードにつながります。次はフィリナ視点で進みます。彼女がどうして神の包丁を求め、雪原にエレノールと共に訪れたのか。以下次節をお楽しみに。




