トラジは異世界にて初めての寿司を握る
「表面だけ焼いても意味はないだろ。中は鮮やかな赤色。つまりまだ生焼けだ。毒はまだそこにあるんじゃないのか」
ベルガの言葉に周囲の村人の何人かが小さく頷く。
まだそんなことをと言いたげなフィリナの顔。
ミンミがエレノールにランガンサンドを分けてもらって満足そうに一声鳴いた。
「だったら食べてみろ。女の子が美味しいと言っているんだぞ。俺たちも口にしている。この場で誰か倒れたか? 苦しそうな顔をしたか?」
女の子はフィリナに貰ったランガンサンドを全部食べてしまっていた。
口の周りにパンくずを沢山つけて満足そうな笑顔を浮かべている。
女の子はフィリナの手からランガンサンドを貰うと、ガルムの前に差し出した。
「おじちゃん。すっごく美味しかったよ。毒じゃなかったよ」
陽だまりのような笑顔。
凍てつく世界に咲き誇る一凛の花の雫。
ベルガはひったくる様にランガンサンドを手に取る。
「こ、こんなもの……こんなもの! 」
ベルガの震えは身体全体を覆う。
それはまるで世界の全ての理から、自身の心を拒絶させてしまうかに見えた。
食べないのではない。食べることができないのだ。
そこまで呪いの力は強い。
まだだめか。仕方ない。これも予想の範囲内だ。
エレノールが悪戯っぽい笑みを向ける。フィリナが黙って頷いた。
作戦B発動だ。
「ベルガはしょうがねぇなぁ。グリューン奥の手いくぞ」
「あいあいさー!」
グリューンが『生成』の魔法で創り出した、ダルマ型のはんごうの蓋を口で開けた。
そこから立ち上るほのかな甘い匂い。
つやっつやで瑞々しい光沢を放つ真っ白な粒々。
もちろんそれは、夢にまでみたお米だ。
おっと、こっちの世界ではファーバンって言うんだっけか。
「寿司酢も醤油も山葵もないけどな。それでも俺がこの世界で握った初めての寿司だ。存分に味わってくれ」
人肌の温度で止められたお米――シャリを左手に取る。
ランガンの刺身を上にしてすばやく形を整えるようにして握る。この世界に来てからそれほど時間が経っていないとはいえ、久しぶりという感覚が拭えない。
数秒と言う握る時間が、とても長いものに感じられた。
周囲の目線が、息遣いが、いやに刺さるように感じたのはやはり久しぶりの緊張からくるものであったからか。
「よし。ランガン寿司食べてみてくれ」
握った寿司を差し出し、ベルガに近づく。
一歩一歩、歩み寄る度に俺から遠ざかるベルガ。
全身の白い毛が恐怖で逆立っているのが、ここからでも分かる。
「やめろ。トラジ、やめるんだ」
後退りするベルガ。その後ろに忍び寄る雪の足跡。
ベルガは全く気づいていない様子。
それもそのはず、足跡以外は全く視界から消えているのだから。
俺が目で合図すると、それは急に姿を現した。
「さぁ、捕まえたわベルガさん。ちょっと大人しくしていてね」
そう。ベルガを羽交い絞めにしているのはフィリナ。
その後ろには高い集中から解き放たれて、安堵の息を漏らすエレノール。
「な! 貴様いつの間に後ろに? 全く姿が見えんかったではないか!」
「三番隊隊長ともあろう人がどうなっているやら。『姿隠し』の魔導よ。気配や音までは消せないから普段の貴方だったら分かるもんでしょうけど。よほど慌てていたのね」
つまりはこれが作戦Bだ。
名付けて……
「トラジ、別に名付けなくていいわ。まぁ敢えて言うなら『魔導同調律87%! 奇跡の消失作戦パート2.057』とでも呼ぶといいけど!」
あれだけランガンの炙り刺身で温まっていた村の空気感が、極寒に変化した気がした。それは時間すら凍結させたかのようだ。
「エレノール。俺も大概だけど、お前だって命名レベル一緒だぞ」
「い、今は……そんなこと言ってる場合じゃないでしょ、二人とも!」
フィリナの焦りの声に我に返る。
ベルガの腕の筋肉が大きく盛り上がる!
『筋肉移動』の異能ってやつか。
「エレノール!」
「あたしにまっかせなさい!!」
指揮棒のように小さく、まるで四拍子を刻むように短杖を振りかざす。
『筋力増強』
「きゃあああ!」
フィリナの羽交い絞めにしている両腕が大きく膨らむ!
ビリビリと袖の端が破れる。
ありえないほどの筋肉の増強率にフィリナのみならず、ベルガや俺も驚きの声を上げた。
その力に押さえつけられ、ベルガは苦悶の表情となる。
「ごめんフィリナ。ちょっとやりすぎちゃった」
「やりすぎちゃった、じゃないわよ。エレノール!」
美人が怒ると、やはり怖さが半端ないな。
でもこれで、逃げられる心配はない。
ランガンの炙り寿司を構え、もう一度ベルガの口元に近づける。
狼のような少し尖った鼻元が、香ばしい匂いに反応を示した。
ベルガの力が少しずつ弱まっていく。
「この薫りは……」
ベルガの口が、おそらくは彼の思考とは別のなにかに動かされるようにして、少しずつ開いていく。
俺はそんなベルガの頬を指二本で挟み込むように掴む。
そのまま持っていた寿司を口の中にねじり込んだ!
ベルガはランガン寿司を口の中で白目をむくようにして噛みしめている。
次の瞬間だった。
全身の力が抜けるようにしてその場に崩れ落ちるベルガ。
押さえ込んでいたフィリナがホッとしたような息を漏らす。
「鼻に抜けるあぶり出された複雑な薫り。口の中に広がる甘みと苦みの一体感……そして、ファーバンと一緒に食べることで、味に更なる深みが増している」
ベルガの言葉に確信を覚える。
その表情をさせたかったんだ。どうだ! 旨いって顔に出ているぞ。
ベルガは絶叫した。
お尻に生えた白い尻尾が大きく振られた。
「旨い! こんな旨いものをワシは毒なんて言っていたのか! トラジ。こいつをもっと寄こせ!」
それはもう、全身から発せられる喜びの雄叫び、歓喜の突風といったもの。
まるで冷たい村中を一気に温める、一陣の春風が吹いたかのようだった。




