全ては包丁からはじまる
話はトラジが異世界転生に巻き込まれる少し前に戻る。
彼の持っていた包丁には大きな秘密があった。
海棠虎次は炎の中にいた。
燃え盛る灼熱の中心になすすべもなく横たわる自分の姿。死の予感を肌で感じて、闇雲に周囲に手を伸ばす。
「熱く……ないぞ」
自分を何かから守ろうしているかのように、体の周囲を覆う温かいベールのようなもの。それは右手に強く握られている錆びた年代物の包丁から発せられている。
なぜかその包丁が自分の手の中にある事が当然であるかのように感じられた。
「ここはどこなんだ。もしかして死んだのか」
問いに答えるものはもちろんいない。
周囲の炎は縮んだり膨らんだり、まるで潮の満ち引きのような動きを続ける。
ぼやけたような意識の中で、必死に目覚める前の出来事を思い出そうとした。
「確か、師匠の家の蔵で古い包丁を見つけたんだ。そうしたら火事に巻き込まれて……」
自分の身に起きたこと。
記憶をたどる。脳の中の海馬のページが足早にめくれていく。
自分が寿司職人の修業中の身であったこと。
超えたいと思っている師匠。
仲の良かった兄弟子の顔。
急に周囲の炎が大きく渦をなす。
「マジか。いよいよ、死んじまうのか」
火の圧倒的な勢いに、焼け死ぬことへの恐怖心が最初に頭をもたげる。しかし、死んでたまるか……という強い意識も同時に芽生えた。
「こんなところで、まだ何もしていないのに!」
師匠の願い、寿司職人としての想い、寿司を握って人を幸せにしたいという情熱。
その全てがこんなところで無くなってたまるもんか。
強く……強く願った!
周囲で渦を成していた炎が大きく弾ける!
弾けた炎は大きく身じろぎ、うねるようにして様相を変えながら…それが右手に握られている包丁と一体化して大きな炎の鳥のような外見を形作り始める。
それは中学時代に美術の教科書で見たような、なろう系のマンガに出てきそうな大きな炎を纏った想像上の動物。
「包丁が……鳳凰になっちまった」
現れた鳳凰は、自らの炎を大きくねじるようにして透き通るような高い鳴き声を上げた。それはどこか自身の衝動を押さえきれないといったような歓喜の叫び。
『懐かしい気配がします』
優し気な、天から陽の光が注ぐような声だった。
それは女性的で、吹き抜ける風を思わせる心地良さが伝わってくる。
『創元様と似ている匂い……それだけに、これからあなたに起こる試練はあまりにも過酷かもしれません』
いきなり現れた言葉を話す鳳凰に心を奪われ、そんな現実味を伴わない状況に対応できずにいた。
『虎次。あなたは火事に巻き込まれ、地球での人生は終わりを告げます。しかし、私の最後の力をふり絞り、あなたを異世界【惑星エリュハルト】に転生させます』
え?
なんだって? いせかい?
俺は耳を疑った。
✛ ✛ ✛ ✛
――創元寿司。
それは千葉県のとある港町にある小さな寿司店。
俺が師匠の元、兄弟子と一緒に修行をしていたところ。
知る人ぞ知ると言えばいいのか、地元では割と有名な店だった。
「……虎次。そこにいるのか」
創元師匠が、目の前に横たわっている。
突然、店で胸を押さえて倒れた師匠を病院に担ぎ込んだ。
清潔感のあるシーツにカバーの掛かった布団を掛けて、今はベッドに横たわっていた。
節くれだった創元師匠の手。
何十年も包丁を握り、包丁ダコの上にタコができそれがつぶれて……目標とするその大切な手。
俺は力強くその手を握り返した。
「お前に渡したいもんがあるんだ……それを今から持ってきてくれねぇか」
「何を言っているんだ! 死にそうな師匠を置いて行けるわけがない。それに兄弟子の氷雨さんがいないだろ。二番弟子の俺が先に受け取るのは変じゃないのか」
「ばかやろう!」
師匠の怒鳴り声。しかし力強さは全く感じない。
病は確実に師匠の体をむしばんでいる。
「氷雨は『心』をどこかに置いてきちまった。だからだ、だからお前に頼んでいるんだ」
師匠の強く握りしめようとする手が空しく震える。
「虎次、時間が無いんだ! これから何が起ころうとも……儂が教えた全てを心に込めて、お前が寿司を握るんだ。分かったら行け!」
呼吸が荒い。
もうあまり残された時間がないと悟った。
俺は師匠から蔵の鍵を受け取ると、白いダウンジャケットを羽織り病室から駆け出した。
病院から走ること十五分ほど。時間は真夜中だ。
俺は師匠の自宅にある目的の蔵に辿り着く。
かなり大きな蔵で、いつ建てられたのか正直分からないくらいの年季を感じた。
鍵を差し込むと、軋むように扉が開く。
懐中電灯を抱え、カビの臭いと埃が立ち込める蔵内に潜り込む。
中は雑多なもので溢れ、探しものがすぐに見つかるような期待を真っ向から否定していた。突然乱雑に重なっていた箱の塊が音を立てて落ち、古い人形のような物体が姿を現す。
「うぉおお!」
それが懐中電灯の明かりに照らされると、その不気味さに大きな声を上げた。
一歩一歩進めていく。
その度に埃が舞い、カビ臭さが辺りを充満していく。
ふと足を止める。
……なにかが聴こえたような、そんな気がする。
その声に導かれるようにして、大きな両開きの扉の前に辿り着く。
手をかけると思ったよりも割とあっさりと扉が開き、滑り込むようにして中に入る。その奥に保管されていた小さな箱をふたつ発見する。どちらの箱にもホコリは被っておらず、鍵がかかっている様子もない。
吸い寄せられるように片方の箱を手に取る。
箱の中から溢れ出てくるどこか懐かしい気配が、自分の名前を呼んでいる気がした。
蓋を開けると、錆びついた年代物の包丁が現れる。
あたかも、ひとりの生き物のように呼吸をしているかの印象だ。
懐中電灯の明かりの中、銘が小さく刻まれている事に気づく。
「焔刃?」
その時、何か燃えているような焦げ臭さを感じ、顔をしかめた。周囲は暗闇でよくは見えなかったが、嫌な予感が胸をかすめ後ろを素早く振り返った。




