熟成って大事
「いきなり刺身を出したところで食べることはできないだろう。だったらまずは神の包丁の力ということにしてしまえば、皆が口にしやすくなるはずだ」
俺はリールライを釣り上げながら、自分の考えを説明する。
まずは食べる敷居を下げること。
毒という意識を頭から切り離すこと。
「認識の理、それ自体を変えるということね。トラジ」
湖の畔で、焔刃の焔に炙られたリールライの刺身を目の前にしながら、エレノールの口から洩れた言葉。
フィリナが切り身から漂う甘い香りに、ごくりと唾を飲みこむ。
「少し赤みがかった豊潤な色合い。鼻の奥に流れ込んでくる香ばしい匂い。洞窟の中で食べた魚とはまた違う種類なのかしら」
「この魚はリールライといって確かに違う種類ではあるんだ。だけどこの匂いはそれだけじゃない。ちょっとした魔法を思いついたのさ。それも格別なやつだ」
「魔法を思いつくだなんて……そんな簡単に」
エレノールの瞳が緑色に輝く。
彼女の癖だとは分かっているが、魔力に対する反応が段違いに早い。
包丁に注がれるねっとりとした視線。
構っていると自分の手が止まってしまうので、今は気付かぬふりを貫く。
『熟成』
包丁の銘が鮮やかな炎を纏う。
切り身がオレンジ色の光に包まれる。
それはその身の持つ、時間という理を少し進める事で引き出せた奇跡の色合いだ。
「切り身の上に流れる時間という概念が一気に進んだの、そんな事ができるなんて。星流人は常識とか、当たり前っていう言葉とは無縁だっていうの!」
エレノールが驚くのも無理はない。
まさに言葉の通り。
生の魚の身を、瞬時に熟成させたんだ!
俺の元居た世界では適度の湿度と温度、完璧な管理の元に何日か熟成させることで、更なる甘みや旨味を引き出す技法が当たり前に行われていた。
もちろんそんな方法や、機材なんてエリュハルトにある訳がない。
だったら、便利な包丁の魔法で何とかならないかと。
そう思った瞬間に、頭の中で閃いた言葉。
女神様の幸せそうな顔が浮かんだ。
「ひひひ、相棒。すげぇこと考えるな。焔刃が喜びに満ち溢れているじゃねぇか」
グリューンが歯をむき出しにしてニヤける。
「もちろんいきなりこれを出す訳じゃない。まずはコイツの出汁をふんだんに使った鍋だろ? そして焼き魚。煮たって構わないわけだ。絶対に旨いぞ」
「つまり、敢えてみんなの前で火を通す料理を提供することで、魚に対する抵抗感を無くそうってことなのね。なるほど。一理あるわ」
感心するように大きく首を振るフィリナ。
エレノールはさっきから刺身から目が離せない。
グリューンが横から我先にと手にして、一気に口の中に放り込んだ。
「ちょっと! グリューンずるいわよ! あたしにも食べさせなさい!」
エレノールが金髪を揺らし、子供のようにグリューンに食って掛かっている。
フィリナは流れるような黒髪を揺らしながら俺と一緒に笑う。
それは、この戦場の地域において、どこか奇妙な安堵感に包まれたもの。
包丁の光だけが、この場を誇らしげに照らし続けていた。
✛ ✛ ✛
「これがベルガ殿の言っていた神の包丁。本当に存在したんだ」
「おい! ベル湖での戦いを見ていなかったのか! アイスウルフを一瞬で両断したんだぞ」
「立ち昇る焔の魔力。これはすさまじいな……」
俺達は今、王国騎士団の支部にいる。
微妙なパン粥を味わった食堂の中だ。
あの時、配膳をしてくれたヒューム族の女性――アンネさんに相談して、厨房を強引に借りることを了承してもらった。
「きゃっ! この沢山の魚は? ちょっと、生魚は毒だって知らないんですか!」
ベル湖から釣り上げた大量のリールライを突然アンネさんの前に広げたから、かなり驚かれてしまった。
その時、何人かの兵士たちも食堂内で食事を取っていたから余計だ。
「おい! あんたなにやってんだ」
「神の包丁の使い手だからって、ちょっと強引すぎるんじゃないか」
周囲の兵士たちの塩対応の反応も当たり前。
彼らの中では、フィリナやエレノールと同じように、常識がこびりついている。
まずはそれを強引にだが、はがすところから始めないといけない。
「みんな聞いてくれ。確かに、魚は生で食べれば毒成分が身に残っていて、それだけでは食べられない。だが、神の包丁を使えば美味しく食べられるんだ」
魔力を込める。腹に力を入れる。
焔刃が燃え上がり、焔の魔力に包まれる。
兵士の中には魔力の流れが視えるものもいる。
彼らから驚きと畏怖の呟きがあがる。
作戦は簡単だが大胆。
名付けて、『神の包丁使えば毒が消えちゃうんじゃねぇの? と思わせて食べさせちゃおう作戦!』
ラノベ作家が名付けそうな長い作戦名に、俺はひとりニヤニヤと笑った。
三枚におろし、内臓をきれいに取り除く。
借りた大鍋に丁寧にぶつ切りのリールライを並べていく。
「この野菜も使っていいか、アンネさん。それと塩はあるか」
この間と同じでびっくり目になったまま固まっていたアンネさん。
俺の言葉に我に返り、保管庫らしきところから、野菜をたくさん出してきてくれている。
「あいにく肉の類は切らしているわ。ごめんなさい」
すまなそうに謝るアンネさんの肩を叩いて安心させる。これだけの材料があればとりあえず充分だ。なんとかなる。
たまにはお腹いっぱい食べたいだろう。
美味しい物を食べるだけで、幸せな気分になって、不安や悩み、恐怖から少しの時間だけでも解放されて欲しい。
それは、俺ができること。
星流人だからとか、神の包丁の使い手だとかそういった超常的な力ではない。
寿司職人、いや料理人としての矜持。
腹いっぱい美味しい物を食わしてやるさ。
「よし、任せろ。いつも戦いで疲れているみんなの胃袋をしっかり満たしてやるさ!」




