勝利
(神機だと!! まさか本当に存在していたなんて……)
創元。はじめての星流人。
エリュハルト創生の神話に出てくる、天才料理人の名前だ。
この世界の子供たちが、全て知っていると言っても過言ではない名前。
おとぎ話として幼い頃から聞かされているからだ。
ワシは信じちゃいなかった。
フィリナが所属する、聖アルベルト教会……つまりはグラーチスの野郎の紹介でなければ、こんな小娘の話なんぞ聞きはしなかった。
だが目の前の焔が、すべてを否定していた。
「相棒! まだ腹は空いてねぇのか! 倒れるんじゃねぇぞ」
なんだあいつは。使い魔がフィーム語を話しているだと!
器用に黒髪の青年の頭の上でバランスを取りながら、やいのやいの騒いでいるトカゲ。
「グリューン! さっきからうるさいぞ! 全然集中できないじゃないか!」
笑っているのか。
ワシは黒髪が楽しそうに神機を振るっているさまを目に焼き付ける。
元々その手に収まるように決められていたかのような。
焔の力が強く……更に増すように滾る。
「くそっ……言われたら途端に腹が減ってきたじゃないか!」
戦闘中だぞ。
腹が減ったとか、そんなものは二の次だろう!
アイスウルフの群れが怯むような、震えるような唸りをあげた。
黒髪の持つ神機が一閃するたびに、焔がその怯えを吞み込んでいくかのようだ。
魔物たちは散り散りになり、雪原の彼方へ後退し始める。
吹きすさぶ冷たい風に、焔刃のあたたかな揺らぎだけがこの場の支えであるかのように感じられる。
「トラジ。終わったわね」
そう言いながら、残ったアイスウルフの体に魔力のこもった拳を叩きこみ、フィリナが声をかけるのが聞こえた。
「意外と呆気なかったわね。もう少し暴れたかったけど」
金髪が雪原に溶け込むように揺れる。
エレノールの尖るような視線の先には何が視えているのか。
「まったくよ。剣道がここまで役に立つとはな。一応、二段までは持っているんだぜ」
「なによケンドウって? また異世界の話なの。ほんとトラジって変よね」
「騎士道精神みたいなものなのかしら? なんでもいいわ。無駄のないあなたの動きに大分助けられた。ありがとう」
フィリナとエレノールの、さも当たり前のような会話。
それだけでも、ワシの理解から程遠いことを話している。
本当に……本当に。
トラジと言ったか。こいつは。
――星流人。
雪の上に立つトラジの姿は、まるで別世界の存在だった。
肩の上に乗っているグリューンと呼ばれたトカゲ。
まるで煙を吐き出すように、吐息をついた。
「ひひひ。今度は腹減りで倒れずに済んだんじゃねぇか。どこかで補給しないといけないだろうけどな」
「うるさいな。腹はさっきから鳴りっ放しだ。すぐにでも何か食べたいさ」
その瞬間、ワシは背筋が冷えた。
あれほどの力を見せつけておきながら、トラジは何でもないような顔をしているんだ。
恐れや誇り、そういったものとはかけ離れていた。
ただ、「腹が減った」だと!
「……おい、トラジと言ったか。あんた、いったい何者なんだ」
それでもワシは確かめずにはいられなかった。
声がかすれていた。
大斧を握る手に、べっとりと汗が滲んできている。
トラジは首を傾げるようにして、少し考えていた。
「そうだな。ただの……そう、ただの寿司職人だよ」
凍てつく風が吹き抜けた。
焼け残った雪が、湯気のように揺らめいていた。
✛ ✛ ✛
「我が名はベルガ・シュトルムヴォルフ。ファルナート王国騎士団の三番隊隊長を任されているものだ」
差し出した手を、頼りなげに握り返す黒髪の青年。
一八五センチはあるワシの巨体を見上げながら、大きく感嘆の声を出していた。
「おっさん、でっかいなぁ……それに全身に白い毛がびっしり生えている。なんかすごいな。おっさんもフィーム族ってやつなのか」
無邪気と言えば聞こえはいい。
ワシの三番隊隊長という言葉にも臆する様子は全くない。
いや。そういった価値観とはまったく懸け離れているような印象だ。
「ごめんなさい、ベルガさん。トラジは、その……星流人で。だからまだあまりこの世界のことよくわかっていないのよ。大目にみてくれるとうれしいわ」
フィリナが傍で済まなそうな顔をする。
特にワシは気にしてはいなかった。
それよりもトラジの持っている神機、今は包丁に戻っているようだが……焔刃に強い興味があった。
「トラジ、彼は獣人よ。フィーム族とは違うの。戦闘に長けた東の大国のルーツを持つ種族。色々な種族が、このエリュハルトにはいるの。全く、恥ずかしいったらないわね」
「そんなこと言ったって、俺はこの世界に辿り着いてから昨日の今日だぞ。分からないことが多すぎるんだ。あとでちゃんと説明してくれよな」
「あのね……あたしはあなたの世界辞典じゃないのよ」
エレノールとトラジとのどこかずれたやり取りに、フィリナが噴き出している。
使い魔の猫が「ミャア」と非難するような声を上げた。
ワシは目を丸くしたまま、そんな会話を聞いていた。
「ここではなんだ……まずはラベルク村に戻らないか。王国騎士団の支部がある。そこで今後の動きについて話したい」
まさか本当に、こんなことが起こるなんて思わなかった。
ワシの理解をはるかに凌駕している。
神の包丁の顕現。
そしてそれが、ラベルク戦線におけるファルナート王国側に存在するという事実。
これでヒサメのやつに一泡吹かせることができるかもしれない。
しかしその気持ちとは裏腹に、ワシの中でどうしても畏れが払えない。
どうしてなのかはわからないんだ。
背中に冷たい汗が流れ落ちる。
紫の長い髪を傍目かせて、艶やかにほほ笑んだアイツの顔が脳裏にチラついていた。




