焔刃
雪原に映えるように広がったのは『焔』だったのか。
白く輝く風景に、赤い線が走る。
洞窟の裂け目から立ち上る熱が、世界の空気を押し返した。
「こうなりゃ、やけくそだ。グリューン頼むぞ!」
洞窟の闇から踏み出したトラジは、右手に持つ使いこまれた包丁を掲げた。
刃の縁が呼吸を始めるように輝き始める。
紅い光が柄から徐々に刃先に向かって生まれる。
焔刃。
それは包丁に彫られた銘。
彫られた文字が、美しくし謳いあげるように燃え上がった。
「集中しろ!」
俺は自分に言い聞かせるように雪原に響くような大声を出す。
そのまま刃先に沿うように、呼吸をのせていく。
踏みしめる足を低くし、重心がぶれないように。
摺り足――剣道で叩き込まれた構えが、身体の底からよみがえる。
肩に乗った小さな相棒が、耳もとで明るく告げた。
「相棒。まっかされたぜ! 【情報処理】――異能発動」
燕尾服を着て、サングラスをかけているトカゲ。
師匠から受け継いだ――神の包丁から生まれた使い魔グリューン・ヒエン。
「なんなのアイツ! 急に洞窟から出てくるなりすごい魔力……素敵」
金髪の背の低い耳の尖った異種族風の美人女子が、とろんとした目線を向けてくる。それは俺にというよりは、持っている包丁に向かって言ったのか。
彼女が提げている小さなリュックから可愛らしい黒猫がひょこっと顔を出す。
その横には2メートル以上はあろうかというデカい熊の姿が2体。猛々しい爪が周囲に居る全ての者を威嚇している。
「エルナ? グリューン、なんだそれ」
「魔法を使う時のMPみたいなもんだ…って、そんなこと気にしている場合か! 相棒、情報を送るぜぃ」
グリューンがパチンと指を鳴らす。
【敵対象:洞窟熊。個体数2。レベル23。爪後の噛みつき、熊の抱きつきに注意。一発で持っていかれます。肉はまずいので食べない方がいいです】
自分の頭の中に響いた厳かな女性の言葉。
どこに持っていかれるって言うんだ。勘弁してくれ。
この世界に辿り着いたばっかりで何が何やら、全く分かっていないんだ。
(……この状況で肉がまずいとか関係ないだろ)
そんな情報を示す画面が目の中に飛び込んでくる。
VRゴーグルを付けてゲームをやっているような感覚だ。
「なんなの貴方! とにかく逃げなさい! そんな包丁では勝ち目は無いわ」
大声を出して警告してきたのは、ケイブベアの前で両拳を握りしめ臨戦態勢に入っているもう一人の女性。
長い黒髪を頭の後ろで縛り、挑むような二重の茶色の瞳が印象的だ。
「エレノール! 援護をお願い。もう……わたし達しか残ってない」
「分かったわフィリナ! 熊の餌になるのだけは嫌よ!」
エレノールと呼ばれたのは金髪の女子の方だ。持っていた小さな指揮棒のようなものを演奏でもするように振りかざす。
甲高い気合を上げながら、フィリナと呼ばれた黒髪の女性が宙を舞う。両の拳に淡い光が満ち、力が込められているのがなぜか分かった。
見れば周囲に男たちが倒れている。
裂けたような体はボロ布のように雪原に転がりピクリとも動かない。その周囲には吐き気がするような臭いを放つ、どす黒いもの……大量の血だまりが見えた。
喉が一気に乾ききる。
全身に震えが伝わり、構えた包丁が小刻みに揺れる。
「相棒。震えているぜ」
肩の上に乗り、グリューンが呑気な声を掛けてくる。
フィリナと呼ばれた黒髪の女性が戦っているのとは別の個体。そいつが俺の方に向き直る。「ぐるる……」と唸り、その開いた口から見えた鋭利な牙。そして凶暴な爪についた真っ赤なもの。
『焔化』
グリューンが更に短く呟く。
爆ぜるようにして包丁が変化していく。
形成されたのは燃え盛る炎の剣。その熱は雪原を熱く溶かすようだ。
「包丁が焔を纏った!」
考えている場合じゃない。
両肺の奥底から空気を根こそぎ吐き出す感覚。
久しぶりだが体が覚えてくれていたようだ。
ケイブベアが雪を踏み砕き、正面からせせら笑うように迫る。
大きな爪が振りかざされた。
焔刃が閃いた。
赤くきらめく焔が弓のようにしなり、空気ごと割るように焼きつくした。
雪が蒸気のように蒸発する音。
ケイブベアの前足が火花を散らして弾かれる!
一気に詰める。柄で顎を跳ねあがる。
そのまま胴を狙い、袈裟切り。
ジュッ……という、肉が焼けるような嫌な臭いに吐き気がし、顔をしかめる。
ケイブベアの目の中に恐怖と苦痛の色が浮かんだ。
(まったく、剣なんて何年ぶりだよ)
そんな、どうでもいいことが頭をよぎった。
俺は摺り足で一気に間合いを広げ、ピタリと焔刃の剣先を獣の目に向けて構えなおす。
獣の咆哮がビリビリと体全体を震わせる。
圧倒的強者、狩るものという自負が折られた怒りの波動。
更に刃が唸るような音をあげた。
「とどめだトラジ! 一気に決めろ」
グリューンの声に押し出されるようにして踏み込む。
間合いを一気に詰める。
刃先に宿った焔の軌跡が、ケイブベアの胸を無情に引き裂いていく。
そのまま上段――面打ちで最後の一閃!
焼け焦げるようにして、両爪の動きが止まる。
そのままケイブベアは力を失うようにして後ろに向かって倒れ込んだ。
「ハァ!! 」
フィリナの気合の入った声が響く。
彼女の両手から繰り出された光に包まれた力強い拳の攻撃。それは的確にもう1体のケイブベアの生命力を叩き砕いた。
エレノール・アストリアの形の良い唇から流れる長い詠唱。それは魔導の発動を示す文言。
『凍りの踊り』
指揮棒で指示されるように空中に凍りの渦が凝縮し、一気に尖った氷柱のようなものが、最後のあがきが見えるケイブベアの全身を刺し貫く。
「相棒。やればできるじゃねぇか」
急激に視界が歪みだす。なにが起こっているのか分からない。
これは……空腹感か。
「腹が……減った」
俺はそのまま雪原の中に膝から崩れ落ちた。
その手の中で静かに温かみを発する包丁。まるでこの世界に戻れたことを無邪気に喜んでいるようだ。
そんな薄れゆく意識の中で、自分がもう戻れることのできない場所まで足を深く踏み込んでしまったことを感じていた。
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ご訪問頂き、1話目を最後まで読んで頂きありがとうございます。
毎日投稿、朝7時に更新しております。
これから始まるのトラジの異世界寿司旅にどうぞお付き合いくださると嬉しいです。
トラジの手の中で変化する包丁。
発動する異能。
それは包丁から発せられる稀有なる力か。
戦いが終わり、突然の空腹感に倒れてしまう。
彼がどうしてこの世界に訪れることになったのか。
少し時間を巻き戻し、転生することとなった発端を紐解いてみたいと思う。




