おはようございます
2日目の肌着とワイシャツを洗濯カゴに入れ、部屋着に着替え買ってきた惣菜を食う。レモンサワーを飲む。美味い。
芸のないシーリングライトを見上げて「その人」の家を思い出す。最近はそんな時間が長すぎる。
スマホを確認するが、特にLINEも来ていない。
せめて柑橘のルームフレグランスでも置きたい気持ちだ。この家は寂しすぎる。あれ、いつから一人がこんなに寂しいと思うようになったんだろう。というか、俺はいつからこんなにレモンサワーを飲むようになったんだろう。
ある友人カップルが結婚を考え始めた頃、男の方と飲みの席に同席し、結婚観についての講釈を延々と聞かされたことがある。彼は相手を理解することと諦めが肝心と言っていた。つまり、いい歳こいた大人は簡単に変わらないから悪いところ、好きになれないところは理解した上で諦めて受け入れろとのことだ。それが愛だと。まあ、確かに納得できる。世の中にはお互いのことを心底憎み合いながら夫婦生活を続ける場合もある。そんな話を見聞きする度、むしろどうして結婚に至ったのかと、そもそも付き合い始めた時は愛はあったのかと、疑問に思う。結局、相手のいいところ、自分に都合のいい側面にはいつか慣れや飽きが来て当たり前になってしまって、その反面嫌いな部分はどんどん目につくようになってマイナスの感情だけが膨れていくのではないか。親からの愛は偉大だが、それを毎日噛み締めて生きているティーンエージャーなどいないだろう。それほどに愛は生活に馴染み、透明化してしまうのだ。つまり、愛は当たり前なのだ。それが人類が発展した理由だ。
俺と「その人」の関係は非常に不安定な状態だとも思う。俺は「その人」の理想像を3年かけて構築してきた。つまり、その理想像とのギャップを嫌でもこの先見つけていくわけだ。この1週間で理想と現実の答え合わせを少しずつしていることになる。しかし満点だ。これは単に俺が盲目過ぎるのか、「その人」があまりにも俺が描いた理想に添いすぎているのか、たったの1週間では分かるはずもない。
コロナ禍にマスクを外せない生活習慣が誕生し、昔からあったマスク美人なんて言葉がかなり表に出るようになった。マスク美人は大体マスクを外した時にがっかりする。見えない部分は脳が勝手に理想の顔を補完するからだ。そしてその理想を追い越せることはまずない。人間の想像力はそんなに乏しくない。
「その人」に裏切られる日も来るかもしれない。え、そんな人だったの?って。でもそれすら愛せるかもしれない。もはや「その人」は人生を前に進む原動力になっている。勝手な話だ。でも事実だ。
次は俺から飲みに誘おう、そして俺のことをもっと知ってもらいたい。
LINEを開く。「その人」のアイコンはちゃんと自分の顔だ。おかげでこんな顔だったなあと思い出せる。正直ちゃんと顔を見ているのは寝顔の時だけなので、顔の詳細は曖昧だ。今より結構髪が短いので、もっと若い頃の、学生の時の写真かもしれない。日常的な連絡は全く取っていないので、トーク画面は江ノ島の翌日の業務連絡で止まっている。
今頃何をしてるかな。海外ドラマでも見進めているだろうか。
今日は寝よう。明日はまた朝電車で会ったりするかもしれない。
翌朝。
「おはようございます」




