ただいま
「おお、お疲れさまです」
受け取りカウンターで佇む俺に声をかけたのはもちろん「その人」だった。
「よく会いますね」
そういうと「その人」は注文カウンターへ歩いて行った。手短に注文と会計を済ませるとデカめのカップをもらってこちらへ近づいてきた。
「デカいですね」
「はい、いつもです」
「あ、いつもなんですね。よくないですよ、コーヒーの飲み過ぎは」
「何頼んだんですか?」
「豆乳ラテです」
「あら、おしゃれですね」
などと話をしていると豆乳ラテが出来上がったので受け取ってカフェを出る。
「たまたまですか?よく来ます?」
「まあ、たまに」
思えば、大学の頃なんかは友達と講義と講義の間にカフェにいって駄弁ったりしていた。社外人になってしばらく、こんな時間の過ごし方とは縁遠かったが誰かと一緒に通勤したり、休憩でカフェに行ったりするのは精神衛生上かなりいいかもしれない。いや、「その人」とだからこそ良いのか。大学の頃は1人になりたかったっけ。
「せっかくなので」
俺の少し前を歩いていた「その人」は先週と同じベンチに腰掛ける。俺も隣に座る。
「昨日はご迷惑を」
「え、時間差」
「朝はなんかタイミング逃しちゃって」
「全然、迷惑なんて」
「正直、朝一瞬びっくりしました」
「俺がいて?」
「はい」
「それは不本意」
はは、と「その人」が笑う。
「俺も無印のCDプレイヤー買おうかな」
「あれ、いいですよね」
「あ、CDが無いわ」
「貸しますよ」
「…、じゃあ買おうかな」
悪くない提案だ。本やCDの貸し借りなんてない時代になったものだ。今じゃアプリやサブスクを通して知らない人と物を共有することの方が多いかもしれない。モバイルバッテリーとか、車とか。
本やCDは借りたら返さないといけない。返す時にもう一度コミュニケーションがあるから貸すのだ。返してよと言うのもまあ、コミュニケーションだし。
「まあ、CDで聴きたくなったら来てくれても」
秋らしい冷たい風が吹いている。陽射しが無かったら結構寒いな。
「戻りますか」
「ですね」
ビルのエントランスへ向かう。俄然仕事をやる気が出たし、眠気もまあ飛んだ。
「じゃ、お仕事頑張ってください」
「そっちも」
別々のエレベーターに乗り込む。俺の会社がもっと上の階にあればな。
その後は眠気を感じることもなく仕事が捗り、豆乳ラテを一口飲むたびに「その人」を思い出せた。あの人はあんなにでかいコーヒーを終業までに飲み終わるのだろうか。
仕事をしている「その人」のイメージがわかない。なんだか危なっかしい感じもする。でも、歪な会社の制度に屈せずに環境を変えるという決断が出来るくらいだ、芯がしっかりしているんだろう。あの整理された家を見てもそう思った。俺の家だって最近までは散らかってたけど、今は片付いてるから、来るなら今だ。俺はあんなに器用に人を家に連れ込めないが。
学生時代、仲間内で合宿と称してログハウスへバーベキューをしに行ったことがある。男女5:5の絵に描いたような大学生団体旅行だった。同じ学科の同級生同士だったが、合宿とは名ばかりでただ酒を飲みたいだけのイベントだ。普段の学生生活では見えてこない生活感を垣間見るのを楽しみにしていた覚えがある。
今考えると意外たが、中でも成績がよくて面倒見のよい女子も参加していて、宿に着くなり荷物を散らかし、最後にはスマホを失くしたと騒いでいた。普段とのギャップで面白おかしく揶揄っていたが、人として惹かれることはなかった。普段はめちゃくちゃ良い子だったのに。
「その人」は丁寧な生活をしていて家も綺麗だった。昨日たまたまだとしても俺がより惹かれるのに十分な要素だった。質素で素朴な部屋に時代遅れの趣味の物がたくさん並んでいた。俺の家はいつも散らかっていて、置いてあるものにも統一感がない。「その人」の家はまるで「その人」自身を表しているようだった。じゃあ、俺は?俺もか。
いつ「その人」が来てもいいように家の掃除をちゃんとしよう。「その人」が家に来るまではその時に備えて綺麗にし続けなければならない。これもまた何度目かの呪いだ。
仕事を終え、帰宅準備をする。今日はトラブルは起きなかっただろうか。帰り道は偶然一緒にならないだろうか。あのコーヒーは飲み終わっただろうか。
オフィスをでる。一人の帰り道。
昨日が昨日なので何やらドッと疲れを感じる。今日は早く寝よう。
イヤホンをつけ、昨日聴いたアルバムをスマホで再生する。
暗い家に一人で帰宅し、電気をつける。片付けた部屋が寂しさを助長するようだ。匂いも何もしない。俺は溶け込んで無になる。
「ただいま」