バカみたい(2)
靴は朝置いた場所で仲良く並んで俺たちを待っていた。
「置いていかないでよー」
「その人」が靴をパペットのようにしてふざける。
靴はまだ湿っていたので結局サンダルのまま帰る。
その後、駅に向かいながらロマンスカーで帰ろうという話になったので、チケットを予約してロマンスカーを待った。
「じゃあお菓子も買いましょう」
と「その人」に促され、お菓子と缶ビールを買い、ロマンスカーに乗り込む。
「快適快適」と喜ぶ「その人」。しかし、乾杯して飲みはじめた次の瞬間には2人とも寝ていた。
途中、目が覚めると俺より少し背の低い「その人」は俺の肩に頭を預けてすやすやと寝ていた。
香水か整髪剤か、柑橘の匂いがする。しまった、レモンサワーを買えばよかった。
この人を幸せにしたいという気持ちの反面、今世界で一番幸せなのは多分俺だ。
この人に出会ってから俺の人生はこの人を中心に回っている。ちゃんちゃらおかしい話だ。ついこの間まで連絡先も知らなかったのに。この人がどこの誰かも知らない状態で俺は空想の中心を起点に回っていたのだ。
この短い期間でこの人の寝顔を見るのは二回目だ。無害で無防備すぎる寝顔に少しこちらの顔が熱くなる。
俺も緊張と歩き疲れか、瞼が重いので今一度眠りにつくこととする。
柑橘の香りに包まれ、夢を見た。
初めて「その人」に会ったあの日の夢。しかし風景はぼんやりしている。気温や音も感じない。ただ、あの日のリクルートスーツの「その人」が目の前に立っている。あの日の感情を思い出す。別に、出会ったその瞬間に「その人」が特別な存在になったわけではない。会いたいという感情が俺を狂わせたのだ。でも会いたいと思わせる魔力が「その人」にはある。
社会に振り回されていて、親切なのに口が悪い。再会した「その人」もやっぱり社会に振り回されていて、親切なのに口が悪かった。これからもいろんな人を魅了して、愛されて生きていくのだろう。愛されて生きていってほしい。
この人が好きな物を俺も好きになりたい。この人みたいになりたい。この人になりたい。
翌朝。
「おはようございます。昨日はありがとうございました。」
という業務連絡のようなLINEが来ていた。
「こちらこそ、ありがとうございました。」
と、業務連絡のような返信をした。
あの人は、どこに住んでいるんだろう。どんな家に住んでいるんだろう。何色の家具が多いのだろう。整理整頓は得意なのだろうか。意外と生活感のある家だったりして。
結局何も考えない時間は「その人」のことを考えているので、状況は再会前と変わらない。むしろ情報量が増えたおかげで色々な想像をしてしまう。
散らかった自分の部屋を眺める。引っ越して以来散らかりっぱなしのこの家だが、万が一「その人」が来るようなことがあれば、と思うと俄然片付ける意欲が湧いてきた。
「よし」
と独りごちて士気を高め、腰を上げる。
元々持ち物は少ない方なので、案外簡単に片付いてしまう。自分の人生を体現しているようで嫌になる。すこし響きが良くなった部屋でスマホを眺める。メッセージはなし。
思春期の学生のような行動に我ながら笑ってしまう。彼女と自然消滅したころ、男友達と飲みながら「恋の仕方とか忘れたわ」みたいなことを曰うていた。落ちる恋には落ちるものだ。人を想う気持ちというのは、自転車の乗り方と一緒で忘れない。恋?
恋か。
コンビニで惣菜とレモンサワーを買う。だらだらとSNSをスクロールしていたらすっかり夜になってしまった。
前日との密度の差に落胆しながらレモンサワーを飲み、「その人」の香りを思い出す。
「バカみたい」